75話 一方通行の案内人
移動距離を断続的に消失させた少女が神速の速さで舞う。遥か上空から眺めた学園の様子は上場と言えるだろう。各地に散った天剣によって表の学内はほぼ制圧、沈静化したと言っていいものだった。
「もしもし?そっちも片付いたのね。ヴァリス……燐はどこの方面に向かったか分かる?」
『紅月なら校庭の方に向かったと思うよ。でもあいつのことだろう?どうせ転々としてるだろうからあまり意味は無い情報かな』
「……そう、ありがとう。引き続きあなたも学内の警戒を続けて。でも中枢エリアへはまだ入らないで」
通話を切った後に奏は、既に到着していた校庭の上空で不安な表情を浮かべる。その瞳の先にあるのは未だに転送途中の肉体達だ。恐らくは燐による蹂躙、その結果として三桁に近いシャドウ研究会の下っ端が無力化されたのだろう。
校庭だけではない。上空から見るに点々と同じ光景がある。世界最高峰と謳われる学園に武力介入しようものならば、例え力を保持するシャドウ研究会と言えど敵では無い。
ただしそれは表面上はという前置きが着く。転送間際という事は、戦闘からさほど時間が経っていない事を示すのだ。にも関わらず燐の姿が見えないことに不安が隠せなかった。
(アトックの創術士を潜り抜けてハッキングなんて現実的じゃない。でも現実はそうじゃない……もし仮に燐が裏に誘い込まれていたら……)
天剣生には通路のない重要エリアへの転送権限が与えられている。だがセキリュティを乗っ取られている今やその権限は無いに等しい。シリウスの一員としての権能さえも干渉不可な状況だった。
「どこの中枢エリアもアクセスできない……燐には通話も繋がらないし……っ!どこに行ったのよ…あの子」
忙しなくメニュー画面を操作する奏の指が止まる。近辺の大気を形成する電創粒子へと己の想像粒子を結んで蔓延させていたのだ。それは背後に突然現れた何者かが存在する事を示す。
「……今とても機嫌が悪いの。そんな格好の餌をぶら下げて来て何のつもり?」
「会うのは初めてだな、一席。俺は浅霧 深夜、一応同じシリウスの一員だ」
「名前なんかどうでも良いわ。それ、一体なんなのよ」
奏が睨む先には蒼く煌めく斧槍が。神谷やライフルの少女とはまた違う、垂れ流したままの不可解な力が肌を撫でる。
(敵意?いやそうは感じられないけど……間違いなくこの人は強い。さっきのティリアなんとか言う奴よりずっと)
「そう威嚇するな。俺はお前の案内人として来たんだ。必要ならばな」
「案内?どこに?」
「友達を救いたいのではないのか。俺を信じるかどうかは好きにしろ。どうせお前に選ぶなんて事は出来やしない」
「なんであなたが燐の事を知っているの?いや……なんで燐が何かに巻き込まれそうだって知っているのよ!」
友の行方について知っているかのような口振り。それでいて傍観者のような態度を貫く深夜へと奏の怒りが飛び付く。掌へと圧縮した風の想像、そこへと纏わせた消失粒子が深夜へと放たれた。
だが届かない――
「子供みたいに喚き散らすのはやめろ」
「っ……!」
手加減など微塵も加えていない奏の風弾は、本来ならば並の防壁諸共身体データを吹き飛ばす威力を有していた。だがそんな天才の演算能力を惜しみなく注がれた矛は、あっけなく蒼い斧槍の一振でかき消されてしまう。半ば分かっていたからこそ、さらに問う。
「着いてこいって言ったわね……断ったら?」
「それも好きにしろ。お前の選択だとしても乱れにもならない。何を選んでも一緒だ……恐らくはな」
含みのある言い方と同時に深夜は近くの壁へともたれかかった。奏が受け取った事実として確かなことは、彼が正義を象徴するはずのシリウスの一員を名乗ったこと。武力集団が乱入しているにも関わらず、その静観した態度に抱いていた疑念が芽を出した。
「テロリストがいるっていうのに随分と落ち着いているのね。いつからシリウスは正義の味方じゃなく、私利私欲の権化に堕ちたのかしら」
「計画のためならばテロリストも利用する。子供が思っている以上に大人の世界は醜いものだ。お前が計画の一部に触れていることも知っている。その上で第一席……お前が選ぶんだ」
正義の象徴であるシリウスの刺繍、天秤に込められているのは世の善と悪の抽象化。悪しきを罰し、正しきを掬う意味合いがある。人を食らうシャドウを、法を犯す人類を、他者を蝕む陰謀を、それらから弱きを助けるために存在するはずだった。
だがこんな異常事態にも関わらず目の前の男は正義の執行をしない。奏が辛うじて創術にうちこむ最後の理由、強さを保有する理由を否定するかのようだった。戦わずとも分かるのだ。この男は神谷のように圧倒的で次元の違う強さを有しているのだと。
「ふざけた計画だったわね。一部しか見れなかったけど……『自他の存在しない奇跡の祈り』だったかしら?それが私の創術で、私自身に世界が祈らせた本望だとかなんとか書いてた気がするわ」
「一部しか見ていない……?シャーネスの記憶を全て見ていないのか?」
突如として静観の姿勢を崩さなかった深夜の表情が驚きに変化する。対して奏が。
「ええ。けど話す義理なんてないわ。対価として燐を解放する、もしくはそのお膳立てをするならその限りでもないけどね」
「侮っていたが前言撤回しよう第一席、泳がされているとは言え強かだな。その対価、払う価値がある」
壁にもたれていた深夜が目の前へと歩み寄る。男女、そして成人と少女、そんな身体的な差だけでは説明がつかない程に威圧的に感じた。ただ射程範囲に踏み込んできた、それだけなのにだ。
「紅月 燐、アトック天光学園第四学生、久莉穹 奏の一学年上の生徒、天剣第四星、会得想像特質は『集積』……契約上の最終確認だ。第一席の言う燐とはこれで合っているか?」
「……随分と事務的ね。まるでAIみたいだわ。でもまぁ…合ってる」
「未来が分岐したとなれば俺にも確信は無い。だが恐らくは……第四席は強制転送によって学園にはいない可能性が高い」
「あなたも結局は答えを知らないんじゃない」
「当たり前だ。言っただろう?俺はただの案内人だ。そしてこの世界に情報よりも価値のあるものはない。俺もお前も結局は結果を生み出す道具でしかないんだ。だがまぁ、心当たりならある……予定は変わるが、興味深い話の礼だ。着いてこい」
達観していた深夜の眼差しはどこか儚げで悲しげに映った。天剣第一星という地位に着く以前からも、己を見る他者の目は恐怖や畏怖、そして人として壁を隔てられた羨望や憧れの眼差しばかり。
だが深夜から向けられた眼差しはどこか違う。子供扱いするような、幼稚だと馬鹿にしているような、それでいてどこか懐かしさと寂しさに思い耽る眼差しだった。
「あいつもそんな目で私を……」
「どうした?来ないのか」
「……行くわ」
今の一学年が入学してきた頃、クラヴィスにジャンケンで負けた奏は天剣生のたまり場へと忘れ物を取りに行かされていた。その時に接触した仮面の男も今の深夜のように儚く、懐かしげな瞳をぶつけてきた。
その時からだ。無意識に抑制していた想像領域の拡張をまた広げ始めたのは。仮面の男、否――
(やっぱり神谷は何か裏の事情を知ってる。もしくはそれに勘づいて何かを探ってる……?入学早々校舎に忍び込んで来たのも全部そのために?)
アクリル板越しに眺めていた世界の色が変わる。異常性を屈折させた歪な正常を映す世界、その過程でシャーネスが言っていた言葉の真意を理解する。世界を導く者とは真実を渇望する者なのだと。
「空間が……」
「世界へと触れる力だ。この事実を受け入れるも拒むも自由、案内まではしてやる。くどいようだが、どうするかはお前が決めろ」
生まれて初めて見る世界の裏側へと恐る恐る足を踏み出す。普段の日常とは遠い世界の裏側、周期的に点滅を繰り返す光の足場へと。底の見えない空間への恐怖からか、彼女は無意識に風の想像を備えたのだった。
「それで、あなたも燐の居場所は知らないんでしょ?どこに行くって言うのよ」
「とある人物のところまでお前を連れていく。独断だがあのお方なら想定内だろう。恐らくは答えまでの一番の近道なはずだ」
「……それは誰?」
「大神 賢人。一応はシリウスに属するイカれた研究者だ。名前くらいは聞いた事があるはずだが」
「ついさっき名前は知ったわ。けどそれ以上は何も知らない。なんだってそんな研究者が燐を……?」
「聞けばなんでも答えが返ってくると思われても困る。情報が欲しければ自分自身の目で確認する他に術は無い。着いたぞ」
点滅する光の足場を時には飛び越え、数分間歩いた後に辿り着いたと深夜は言う。裏側へと飛び込んだ時と同様、空間を切り裂き表の世界が顔を覗かせる。そこには中年の男性が丸底フラスコを片手に、まるで待っていたかのように発言した。
「おや?もう少しのんびり来るものかと思ったら、早いじゃないか……深夜君」
「第一席の気分次第と言いたいが……そうか、元より俺のこの選択も折り込み済みということか」
「あなたが大神 賢人さんかしら?悪いけど気が長い方じゃないの。燐はどこ?」
「私こそが大神 賢人で合っているよ。第四星か……彼女には終末の換算、その観測のために研究に協力してもらおうと思ってね。他者の感情へ想像を纏わせる彼女にしかできな――」
思った通りの分かりやすい答えが返ってこなかった事に第一星の怒りが飛ぶ。蔓延させた消失の粒子、それを媒体に大神の近くにあったデスクを抉るように消し去った。
己の創術の解釈の拡大、それに成功した奏は最早触れずともありふれた物体ならば消しされるようになっていた。その行為が示すは恐ろしく単純だ。次は無い事を相手に示す。
「燐はどこ?」
「せっかちなお嬢さんだ。ついてきたまえ」
少ない会話のキャッチボールで答えを渇望する奏にとって、その提案でさえも苛立ちを加速させる材料にしかならない。だが今は大人しく大神の後をついて行く他に道は無い。答えを消してしまうほど冷静さを欠いてはいなかった。
「深夜君は見なくて良いのかい?」
「あんな胸糞悪いもの、二度と見たくない」
「そうかい……?」
狭い部屋から扉を隔てた向こうへと続く階段。地下へと伸びるであろうそこは薄暗く、妙に嫌な湿気が感じられた。それでいて深く、長い階段を一歩一歩と奏と大神は降りきった。
錆び付いた扉の開く音と共に第一星の眼前へと広がるはケーニスメイジャーの異常性を示すもの。数多の巨大なビーカー、それら全てが壁一面に、そして何段にも構えられていた。
「なに……よっ!?これは…っ!?」
九〇〇〇を超えるビーカーのその殆どが謎の液体に満たされており、そしてそのひとつひとつに全く同じ人型の何かが収まっていた。それらにはまるで生気はなく、液に満たされたビーカーの中でただ虚ろな目で漂っていたのだった。
次話より第一章下幕になります。
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