71話 確言の詠人
黒髪の兄妹の加勢によって第一星と第四星は全校生徒の集まる避難場所へと身を移していた。奏にとって兄妹の妹の方は面識のある人物であり、かつて先輩にあたる者だ。
「月宵先輩、お久しぶりですね」
「久しぶり。色々と話したい事もあるけど落ち着いてからになりそうね」
月宵 秋、奏が第一星に着くと同時に卒業した生徒だ。元第四席を預かっていた創術者であり、加勢に加わった際に見た限りではその実力は衰えていなかった。奏から見てもとても珍しい類の想像を持つ。
「腕は衰えていないようで」
「奏ちゃんもね。星天になってるし、流石は最強の創術者ってところ?」
「そんなんじゃありませんって……」
秋の描く想像は他者の演算を修正するものであり、仲間の創術の威力や射程の向上、敵にはその逆の効能を働かせるような創術だった。奏が敵対した創術者の理論や構築を丁寧に探り当てる手腕は、この人物から学んだところが大きい。
「月宵先輩や他の人達から様々な事を学んだおかげで今の私があるんです。第一星なんて言われていますが……もっと相応しい人がいると思うんですよ」
テロリストにも近しいシャドウ研究会の介入によってざわつく周囲など気にもとめず、奏は自身の持つ強さは己だけの実績ではないと謙遜する。だが奏と同じくして非常に小柄な少女、秋はこう返した。
「演算能力だけでも充分秀でているのに、そうやって勤勉な姿勢を崩さないあなただからこそ選ばれたんだと思うわ。他人の演算を、想像のからくりを、それらの一切を真正面から解き明かす。私の真似でしょ?生意気なんだから」
「少しは真似出来ていると良いんですけどね」
両者共に皮肉ぶった口振りだがその表情は明るかった。奏にとって秋はどこまで行っても良き先輩であり、卒業した今でもその関係性は変わらない。第一星の座に着く以前、奏の戦士としての水準を上げた当人でもあるのだから。
「各クラス点呼を取ってください!!クラスリーダーは自身のクラスメイトの人数を確認後、担任と共に報告を徹底してください!!」
一人の教師の呼び掛けに集まった膨大な生徒達が動く。奏もまた特別生徒の代表として秋へと別れを告げた。
「では月宵先輩また」
「ん」
去り際に奏は秋の乱入時のことを思い返していた。あまりに鮮やかな場の鎮静、あの時の戦場は母親の介入を考慮しても学園側が不利なように感じていた。だが実際にはそうはならず、意思疎通していないにも関わらず秋は自身と第四星の連携創術へと加勢していた。
乱入者の放つ想像は同調。おおよそ彼女の領域に蝕まれた者は違和感なく庇護欲をそそられる。小動物を愛でたい、守りたいという愛情を掻き立てるものだった。偽りの庇護欲を押し付ける想像、あの場にいた殆どの生徒と観客が間違いなく感染していた。
(だからこそ庇護欲から助長するこちらへの敵意を燐は一身に集めた……燐もまた他者の関心を集める創術者だし、あの乱入者だって例外じゃない)
乱入者と感染者の敵意を真正面から受けた燐へと自身の持つ消失の想像の照準を当てる算段だった。あわよくば燐に伸ばされた乱入者の演算を解き明かし、逆転の手を打つつもりでさえいた。
だが目論んだ戦術は披露する間もなく、意図しない外部からの創術干渉によって戦況は一転したのだ。洗脳の解除、加えて燐の持つ視線誘導の弱体化、他者の演算に紛れ込む創術者によって。
(あの一瞬だけは月宵先輩が場を支配していた……力比べなら負けないけどああいう分野はまだまだ見習うところが多いわね)
創術練度とは一言に言っても様々な見方がある。炎という想像ならばその激しさ、核のような爆発、威力という一目で分かるものも練度の一つと言える。だが研鑽を積んだ者はそれらを組み立てる目に見えない術式そのものにも手を伸ばすのだ。
秋の得意とする創術は他者の演算を歪ませるものであり、奏が今も尚課題とする創術分野でもある。威力を力量と言うならば、少ない力で敵対者の想像を崩す様は技量と言えるだろう。
「全員い……いないわね。あのホラ吹きはどこに行ったのよ」
集まった白いブレザー六名、奏は七人いるはずの天剣生が一人足りない事を言及する。ホラ吹きと称したのは第六席、道化の創術者クラヴィスのことだ。答えたのは眠そうで気だるげな空気をまといつつも、右に幼い少女と手を結んだ第二席。
「クラヴィスは見てない。ほらシトラちゃん、奏ちゃんのとこ行っておいで〜」
「奏お姉ちゃん!」
「無事で良かった」
騒ぎの中シトラの安否を密かに心配していた奏が抱く。優しく慈愛に満ちた瞳を閉じ、その存在の温もりを確かめるように。そしてシトラのか細く不安の籠る声が耳元で囁かれた。
「奏お姉ちゃん……皆ケガなんてしないよね?」
「当たり前じゃない。だって私がいるんだもの」
シトラを抱いたまま目の前に歩み寄る部隊を見据える。シリウス第一大隊、見たところでは指揮官である小金色 海七は不在のようだ。それは事実上この場においてその隊の指揮権は奏にある事を示す。
「状況は?」
「現在アトックはセキュリティに侵入され出入口の制限がかけられているようです。校外へと一部の通路を無理矢理大隊長が切り開いておりますが……いかがなさいますか?」
「無理矢理……?まぁいいわ。ひとまず生徒達の避難を優先よ。私と他の天剣は害虫を駆除しに行くわ」
第一大隊の一人が言うように、学園は今出入が出来ない状況下にあるようだった。一部の生徒が学園とその外の境界線へと手を触れている。見えない壁に阻まれ郊外へと避難が出来ない様子だ。
「シルヴァ、ギンネス、レダ、あなた達は外の見回りをしながら生徒達の護衛をして」
「了解〜」
「分かった」
「了解」
眠そうなシルヴィアーナ、生真面目そうなギンネス、どこか緊張感のなさそうなレーダニックの順に返事が来る。特殊な状況に置かれても尚、彼女、彼らの態度や様子は普段と何ら変わらない。純白のブレザーを身に纏う事を許された者だからこその冷静さと言える。
銀に煌めく長髪のシルヴィアーナを先頭に三名を見送り、奏は残った燐とヴァリスへと向き合う。第四星の紅月 燐、そして第七星であるヴァリス・プニール、両者から向けられる眼差しが物語っていた。
指示はまだかと――
「私達はそれぞれ敵を殲滅するわよ」
口角を上げた二人を少し見つめた後、続けて言った。
「殲滅が最優先。暇だったら……捕まえてもいいわ」
「相手が強ければ検討するよ」
ヴァリスの言葉の本質が理解できない奏ではない。奏と同じくして天剣である彼らにとって、捕獲よりも討伐の方が遥かに容易なのだ。うっかり死なれない程の相手ならば後者の選択も余地がある事を示す。
「じゃあ、また後で」
「奏お姉ちゃん!」
「シトラ?」
「……死なないでね?」
己の身を案ずる幼子を前に、奏の脳裏へと過去の言葉が駆け巡る。かつて天剣という地位に上り詰めるまでに聞いた他者の声。羨望、嫉妬、恐怖、過去のそんな声は一線向こうの怪物を見たかのような心無いものだった。
『化け物……!』
『い、嫌よ!あんたと模擬戦なんて死んでもごめんよ!』
『く、久莉穹さんとやると自信なくすんだよね……』
『いいよなぁ、天才は。人の努力なんか知らないんだろ!?なぁ!!なんとか言ってみろよ!!』
かつて創術を磨くことが楽しかったはずの少女はいつしか競うことをやめた。他者というものさしでは己の強さを図ることは叶わず、全てを無に返す己の想像は他者の努力を踏みにじるものだと理解した。
『もうお母さんでも敵いませんね!流石です奏ちゃん!』
そして唯一だった模擬戦相手でさえもその矛は自分に届かなくなった。多くの者にとって創術とは意地や誇りを込めるものであり、それらを容赦なく否定する自らの想像は畏怖の象徴なのだと少女は悟っていたのだ。
(私に死なないで……か。優しいのね、シトラちゃん)
恐怖されることに慣れてはいても、安否を懸念される事には少なからずの驚きがある。それだけ創術者として完成形に上り詰めつつある少女が、年相応の笑顔を浮かべた。添えるように綴るは頂点としての誇り。
「何も心配はいらないわ。予習は済ませてあるし、もう二度と負けないから」
蒼白の武具という未知の媒体を知った。そしてそれに伴う現象のことも。シリウスの一員としてこなす任務、その裏で奪い取った情報、加えてクラヴィスから聞いた話、そして実際に自分が敵対した蒼白の武具を持つ戦士達。
自らかき集めた全てのデータを元に少女は未知へと手を伸ばす。しかしその原動力に疑問を抱いていない。疑問にさえ感じていない。その根幹に自らの無意識な願いが込められている事に気が付いていないのだ。
「じゃあ私は行くわ」
燐とヴァリスへと目配せをした後に天賦の想像を織り成す。瞬きの度に一瞬で変わる景色、距離という名のデータを消失させる彼女の移動術。時間にして一分も使わずして見知った顔を捉えたのだった。
「リリシアさん?何故この人がここに……それに、あなたは誰ですか」
「第一星……マリカのやつしくじったのか」
目の前には力の抜けたリリシアとそれに肩を貸す短い黒髪の男性。男のややうねった髪から覗く瞳の奥から、なんとも言えない狂気のようなものを感じる。だがそれと同時に関心を引く他者の名前が耳を着いた。
「ちっ……神谷の次はお前か。めんどくせぇ」
「神谷?なんであなたが神谷の名前を?それに、リリシアさんとはどんな関係があるのかしら」
質問を投げながら手に長剣を出す。どうせ答えなど帰ってこないだろうと、実力行使を実行しようとしたが思わぬ返答にほんの一瞬だけ眉をひそめた。
「あいつは裏の業界じゃあ有名人だぜ?シャドウ研究会である俺らと面識があるなんざ当たり前だろうが」
「――」
一瞬の困惑があったが直ぐに奏は転移した。それは目の前の男が何よりも貴重な情報源となり得る可能性が高いから。シャドウ研究会を自ら名乗り出た者は人生で二回目であり、手段を選ばない過激派集団という認識以外にめぼしい情報も今は無い。
(情報が欲しい……)
男の背後へと転移した後に首へと伸ばした刃の軌道を一気に斜め下方向へと変化させる。あわよくば生け捕りにしたいという奏の傲慢さが敵対者の反撃を許してしまった。響き渡るは絶対不可侵なはずの防壁の崩壊音――
「痛っ……!」
「ちょっと味見すっかぁ……!ティリア・バースだぁ!よろしくなぁ!!第一席!!」
後方へと飛び退いた奏、その頬と肩へと等身大の痛みが。誰が見ても切り傷だと認識できるそれは既に奏の知っている痛みだった。人体という電子データでさえも飲み込み消し去る防壁、それを破壊して自らへと噛み付く異能が今目の前に。
来週の水曜くらいまで毎日投稿します!多分……!恐らくは……!!




