7話 代表決定戦1
神谷が教室へと戻ってから始まったのは、言っていたようにクラスリーダーを決定させる授業だ。担任であるのぞみも討論だけで決定させるのは難しいことを分かっていたのか、クラス全員がいま位置するのは訓練エリアである。
「はい、では試験生存者であるミリーシャちゃん、シルフィーちゃん、緋桜君に……そして神谷君!四人は前に出てくださいね」
試験を受けた頃より二周りほど大きい空間に響く声に従い、神谷共々が前へと踏み込むと同時に一同の関心がそこへと集まる。特に神谷へと突き刺さるは諸月を代表に不満の視線だった。
「先生、俺は別に代表にならなくて良いんですが……」
「まぁまぁ、せっかくなので力比べに参加してくださいっ!それに……」
「……?」
静かに歩み寄ったのぞみの顔が神谷へと近づき、その耳に彼女の吐息がかかる。わざと背に合わせて屈んだ神谷の背中に走るは悪寒だった。それはまるで心の奥を見透かされているかのような、得体の知れない視線の恐怖。
「試験を見ていれば分かります……神谷君の秘密はね……?」
「……っ」
のぞみの囁きが意味するは神谷の陥った現象の直結命令だ。だが神谷がそれ以上に彼女へと警戒を見せたのは自身に置かれた現象ではない。そんな現象如きアトックの教師一人が知っていてもなんら不思議ではない、それが神谷の見解だったのだ。
(偽装入学がバレるのはまずい……ヒジリが俺に任せる任務はいつも最重要任務……さて、どこまで見えているんだこの人は……)
神谷がヒジリから受ける任務はいつも決まってその目的までは知らされていない。だがそれでも一貫して誰かの命を救うという点においてはいつも同じだった。
死の概念の薄れた世界に馴染んだ生き物はそこへと直面した時、生物としての本能を思い出し恐怖に溺れる。それは本来の力すら抑制させられ、己が無力を痛感して永眠へと誘われるもの。現実世界にある脳細胞の死の受諾。神谷が最も忌み嫌い、直結者だからこそ知る永遠の別れの辛さ。
例え見知らぬ他人だったとしてもその窮地に陥った命を見捨てない。死の恐怖と別れを知っている神谷だからこその矜恃だった。故にのぞみへと偽装入学の事実を悟られる訳にもいかず、表情を崩さず言葉を返す。
「高く評価して頂いてるみたいで何よりです。それより、これから何をするんですか?」
「……そうですねっ!みなさーん!それでは今からクラスリーダーを決めたいと思いますっ」
小さな背が伸ばす腕に一同が集い、代表を決定させる授業内容の説明が始まった。それは試験生存者を二手に分けた共同模擬戦。実際の戦闘を見てもらうことでクラスの決定意志を統一させようという目論見だった。
「これより四名にはランダムに二名ずつに別れてペアを組んで頂き、二対二の模擬戦を見せてもらいますっ!他の皆はそれを見て代表一名を多数決で決めて頂きますっ!」
(……蒼天級を二人相手にするのは流石に厳しいぞ?あの教師は一体俺の何を見透かしてたんだよ)
もの言いたげな神谷の視線がのぞみとぶつかり、何を意図するのかウインクを返された。とても良い笑顔と共に返ってきた無言の返事に、神谷へと僅かな怒りが募る。こちらは模擬戦ではなく本当に命がかかっているのだと。
「それでは早速始めましょうかっ、抽選開始っ!」
「……ミリーシャさんよろしく」
「荒涼級って噂のあなたとペアになるなんてね。こちらこそよろしく」
眼前に浮く抽選結果の文字に従い、神谷とミリーシャのペアがエリアの端へと歩んだ。それと反対側へはシルフィーとミドリが位置に着く。四名を除く他者が巻き添いを喰らわない位置へと移動した頃に再度のぞみの声がエリアへと響いた。それは代表決定戦の狼煙の合図。
「それでは始めますっ!!よーい……始めっ!!」
「っ――」
開幕の声と共に神谷へと降りかかる鋭い輪郭のガラス。神谷へと強い関心を抱いていたシルフィーのそれは、まさに挨拶代わりのような攻撃だった。だがガラスを浴びる当人は何かをする訳でもなく、ミリーシャの保護が彼を包み込む。
「荒涼級さん?事実かは分からないけれどせっかくペアになったんだし、改めて名前を教えて貰っても良いかしら?」
「どうも、神谷 鏡だ。助かったよ相殺術壁」
創術の基本中の基本である相殺術壁、想像を世界に投影する『CPU』を介さない神谷にとっては、それすらも自力では展開できない。だがそれ以上の恩恵を持つ神谷にはガラスの軌道すらも見えていた。
(ミリーシャさんも伊達に蒼天級じゃないな。視認しずらいシルフィーの創術をはっきりと認識していた)
相殺術壁とは自身の領域を脅かす媒体を強引に消し去るものであり、術者本人が攻撃と認識出来なければその効果を発揮することは不可能だ。他者の伸ばした領域、塗りつぶした色彩から身を守る術、それが相殺術壁の本質だった。
「極力相殺術壁は貼り直してあげるつもりだけど、期待はしないでよね?来るわよ」
「分かってる」
シルフィーの放つ無色透明な刃に加え、ミドリが背負う複数の創術紋様が一際輝きを放つ。レイピアを模したかのような鋭い水の突剣と、バスケットボール程の炎球が、戦場と化した訓練場へと降り注いだ。更にはそれらを全てを巻き込むような暴風のつむじと雷を添えて。
(一人で四つの創術を同時に……?)
様々な術者を見てきた神谷にとっても、ミドリのような並列詠唱者は異端に映った。その答えは単純にして明白。人間はマルチタスクに対応していない生き物なのだ。
一つの事に打ち込み、集中して順番に物事を片付ける方がよっぽど要する時間が少ない。故に神谷は愚行とも言えるミドリのスタイルに僅かな驚きを感じた。だがその印象はすぐに間違いだと気付くことになる。
「っ……!ミリーシャさん!!爆発するぞ!!」
「っ!」
水剣や炎球、雷槍が床へと突き刺さる中、その幾つかが螺旋状に渦巻く風に攫われた。雷槍が頬の真横を通り抜ける最中、神谷の視界に映るは状態変化を起こす水剣。液体から気体へとその姿の変化を起こす。それは急激に加増する体積の壁。卵が破裂するかのように空気の壁が押しよせた――
「っ……!!」
神谷とミリーシャへと押し寄せるはつむじ風によって融合した炎と水による水蒸気爆発。相殺術壁を持ってしても後方へと吹き飛ぶ二人の体。地に伏せぬよう身を翻し、吹き飛ぶ体の慣性をいなした神谷が第二の刃を視界へと映すと同時にその手に二本の剣が煌めく。
(シルフィーの創術――)
飛来するは光が輪郭を照らすガラスの刃であり、迫り来る脅威を手に取った刀で振り払った。だが神谷はただちに理解する。加速した思考と視界故に、その行為がどれだけの危険性を孕んでいるのかを。
「っ……!!」
彼女の放った創術が紙を切り裂くかのように子気味の良い擦れる音を掻き鳴らす。異常なまでの切れ味のガラスが鉄製の刀身へと滑り込んだ。まるで抑止力として働かない刀身を手に、神谷はそれを振り抜く。僅かでも死の軌道を自身から逸らすために。
(なんて切れ味だ……!)
「神谷!!走って!!止まってたら的になるわ!!」
「分かってる」
刀身を犠牲に僅かに逸らしたシルフィーの刃。それが神谷を包む相殺術壁を掠めて背後の地面へと突き刺さった。それに目もくれず前線へと飛び込む神谷。視線のぶつかり合う最前線、ミドリが刀を手に口角を上げる。
「荒涼級だとしても手加減はしないよ」
「それはどうも」
お互いの距離がゼロとなった神谷とミドリの刀、僅かな鍔迫り合いから衝撃波が発生し、神谷の体が後方へと伸びる。自身と同じくして細身なミドリの腕力とは到底信じられない。後方へと流れる最中、それが神谷の抱いた違和感にも近いミドリへの印象だった。
(っ……身体強化?いや、違うか……一瞬だが切っ先が加速した――)
崩れた重心を取り戻すべく地面を蹴った神谷と再度詰め寄ったミドリ。その表情は変わらずどこか余裕のある微笑。だが驚きを受けることになったのは神谷だけではなかった。ミドリの加速する切っ先、直結命令の恩恵者はそれすらも見極める。
「なっ……!?」
「……」
神谷の纏う相殺術壁を切り裂き、首をすり抜けようとしたミドリの剣、その軌道。それは神谷の喉から一センチ未満程の位置で空を切った。目の前を通る死の媒体を前に、それでも神谷の表情は一切崩れない。捉えた情報の全てがそれは自身の命には届かないと分かっているから。それ故の最小限の首の傾き。
「っ!!」
「っ……ただの荒涼級じゃない…!」
後方へと傾けた頭部と重心に従いながら神谷は切断された左の刀身と、右手の剣を前方へと投げ穿つ。天井から観戦者の生徒がいる後方へ、そして後方から地面へと流れゆく視界。空いた右手には突撃銃、対の手には剣を。再度視界の中にミドリが入るよりも早く、その引き金を絞る――
「ちっ……!」
(土壁……どう出る)
投擲した二本の剣がミドリの防壁へと阻まれた直後、神谷の掻き鳴らした発砲音は地面から生えた土の壁によって遮られた。後方へと手もつかずに宙返りをして身を翻した青年、その足が地に着くと同時に土壁に身を隠していたミドリが姿を表す。手にしていた剣を投げ放ちながら。
(投擲と同時に創術展開……っ)
壁から飛び出すと同時に投げられたミドリの剣、それは先程と同様にそこまで力強く投げられたようには見えなかった。左の剣でそれを受け止めた突如に神谷の体勢が大きく崩れる。込められた力とは釣り合わない、圧倒的なエネルギーが投剣には込められていたから。
(っ……どう考えてもおかしいエネルギー量だ。何か創術によるバフ効果があるとしか思えない――)
体勢が崩れた神谷へと追い討ちの如くシルフィーの創術、無色で透明なその刃が降り注いだ。そして十字砲火を狙うミドリが展開した複数個の創術紋様。加速した神谷の思考と視界、生を繋ぐための情報処理の軌道予測。一寸の違いもなく、二人の蒼天級創術を華麗に転脱した。
頭部へと伸びるガラスの刃はその首を、左肩に乗った雷槍の射線は切るように身を翻し、自身の位置そのものを爆ぜさせる炎球は大きく後方へと飛び退く。凝縮された死の波状攻撃、引き伸ばされた時間感覚が凡人では描けない回避の導を神谷へと知らしめた。
「何者だよ、こいつ……っ」
最後の一閃、射出された氷の刃を取り出した左の剣で弾く神谷の視界へと、ミドリの表情が映る。まるで人外を見るかのような見開いた瞳と不敵な笑みが。