61話 祈りの代償
学園祭が始まろうとしていた頃、神谷単騎では切り崩すことが出来なかった空間へと透明な刃が走る。クラヴィスの持つ不可解な力であれど【拒絶】の心象がその拘束を拒んだ。覗く世界の裏側へと神谷とシルフィーは身を投じたのだった。
「勢いのまま来ちゃったけど……私大丈夫かな?これでも退学した身だし、監視映像とか……残るよね……」
「……その線については大丈夫だと思う。この学園はただの学園じゃない。既にシルフィーや俺という存在すらも分かっていて受け入れてるんだと思う」
「アトックには……学業以上の目的があるって、そういうこと?」
「ヒジリに比べたら根拠の無い推測だけどな。要するに表立って動くならともかく、裏でこそこそ何かをやる分には阻止してこないだろうなって事だ。向こうが態度を変えた時、それこそが何かの尻尾を掴んだって事になる」
元天剣生である風島と同じように、神谷達が学園にとって不都合な情報を掴んだ瞬間に舞台は大きく動く。学園の存在意義、それとは何か。そして未来生体路線図から生まれ落ちた人型の何かと『収束期』の謎。
学園の企みにシャドウ研究会がどんな形にせよ関与している事は濃厚であり、任務対象であるもう一人の人物と共にキーマンとなりうる人物の整理を行った。
「今回は情報をゆっくり炙り出す時間がない気がする。別行動を強いられたら今から言う五人の人物には細心の注意を払ってくれ」
「ん」
一人は天剣第一星、そして元天剣生である風島。学園の真実に最も近しいと思われる、神谷にとって無害な白色の駒のような存在だった。続くは敵対する可能性の高い二つの駒。
「クラヴィス、それからリリシア……こいつらの言葉が表面通りの意味合いを持っているならシャドウ研究会の者だ」
「残り一人は……?」
「あと一人は――」
『収束期』について口にしようとした時に二人の視線が一つの場所へと釘付けになった。通常世界の裏側では、表世界の可変情報によって光で構築された仮の足場となる部分が定期的に出現と消失を繰り返す。
それであってもその往復はある程度は法則性があり、その法則を覆すような激しい可変状況に目を丸くした。膨大な0と1の切り替えによって描かれた裏の世界、その一部分が古びた蛍光灯のように点灯と消灯を激しく繰り返す。
「神谷……あれは?」
「……あの可変情報は物体データじゃないな。学園のセキュリティシステムの一部だと思う……そうか、始まったのか――」
突如として学園全体を覆い尽くしていた目に見えない構築媒体が大きく姿を変えた。広大なそれは神谷達が足にしていた架け橋さえも奪い去り、両者は見えない虚空へと身を落とす。
「きゃっ……!」
「少し抱えるぞ……!」
異能の篭手と空道鉤爪を用いて空を渡る。その手にはシルフィーを抱え、魚群のように球体状に渦巻く巨大な光の集合体の側へと。球体の大きさは端が見えないほどに巨大であり、そこから表世界の情報を読み取るなど馬鹿らしい規模だった。
「これ全部……学園のセキュリティシステムの基盤なの……?」
「多分な、それより見てみろ……学園に食いついてる何かが動き始めたようだ」
広大に渦巻く光球の隙間、そこから見えるは豆粒程の大きさの動く何か。その数は少なく、目的は分からずとも世界の裏側へと身を投じる事ができる人間という事だけは分かる。すなわち異能に目覚めた直結者であり、セキュリティを掻い潜ってでも得たい何かが眠っている事を示唆していると言える。
「遠くて見えないけど……扇子の異能……?それから他のあれ全部が……裏の人間なの……?」
「そういうことになるな。力技でセキュリティを潜ろうとするくらいだ、それだけアトックの裏側には価値のある情報があるんだろうな」
シルフィーを抱えたまま神谷も動く。学祭の最中であるが故に、裏側から飛び出すべきエリアを探す。それはつい先程までは存在すら知らなかった研究室のような場所だ。
アトックの領域にありながらも校舎からそこへと通ずる道はない。校舎と並行して存在する秘匿エリアというのが神谷の予想だ。言わば区切られた箱型の隠された部屋、だが隠すにはあまりに広大過ぎた。
「シルフィーは二進数からある程度の読み取りはできるか?多分あそこなんだが」
「分からない……でも、かなり大きい基盤……」
魚群のように渦巻く光の集合体、その光球の内部へと隙間から飛び込んだ。複雑に絡み合うように宙へと連なるそれらとは別に、独立したプログラムに神谷は目を細める。
(ここに物体データらしきものが校舎とは別に存在してるってことは……ここが研究室ってやつか?だが完璧に解読するには規模が大きすぎる。出たとこ勝負だな)
空道鉤爪を操り、振り子状に空を舞っていた体が直線的な慣性へと変わる。シルフィーへと目配せのみを送り、突入の意を共有した。光の架け橋の一部を切り裂くは神谷の持つ異能の音叉。
「うわ!?なんだお前ら――」
「シルフィー!!」
空間の亀裂から靴底を滑らせた神谷が抱えていたシルフィーから手を離す。研究室のような装いのエリアには白衣を纏った者達が十名。その一人一人が手へと光の紋様を掲げる。創術による神谷達への迎撃、だが突入と同時に背中合わせになった二人の方が早かった。
「っ……!」
シルフィーの一振にリーチという概念はない。リーチを無視した斬撃が研究者達の防壁のみを一人残らず切り裂いた。間髪入れずにそこへと続くは神谷。右手の音叉を頭上に回すように放り投げ、その刹那ほどの狭間に両手へと二丁の拳銃を。
連なる発砲音が十回ほど続き、異能の篭手を通した鉄粒が研究者達の肩や足を貫いた。異能の力は電子データを破壊する、すなわち非直結者へと痛みという演算の阻害を与えたのだった。僅かに生まれた戦場の空白、頭上へと回した音叉が吸い付くように拳銃を手放した左手へと収まる。
(なんだ……この妙な感覚は――)
突如シルフィーの心象を具現化した音叉から不可解な感覚を掴んだ。言葉には起こせない未知の媒体が。やったことも考えたこともない異能の特質、彼女の断絶の力が神谷へと根拠の無い全能感へと誘う。
「あ……ぇ?」
「っ……」
「ぅ……ぁ?」
神谷の篭手によって性能を底上げされた音叉が見えない媒体と電脳世界を一時的に切り離す。すなわちCPUから世界に適応させた脳信号の断絶を。CPUという変換器によって電子データ化した人間の思考そのものを身体データから切り離したのだ。
だがそれも一時的なものに過ぎない。故に研究者達は死んだわけでなかった。言うなればネットワークの切れたPCのように、思考と体を繋ぐ回路を失ったということになる。意識はあれど世界の情報を受け取ることも、思考を発信する事もできない状況に追い込んだのだった。
「神谷……なんでみんな急に…倒れたの……」
「意識と身体を切り離したんだ……いや、自分でも何を言ってるのか分からないがそういうことなんだと思う……」
「私の力って……そんな使い方もできるんだ」
「できる気がした、でも本当にこんな事が実現するなんて思わなかった……底が知れないな、異能神装は」
テイルニアの技術を持ってしても異能の力は解明が進んでいない。人の精神と肉体を切り離す偉業を前に本人ですら驚愕していた。だがどれほどの時間で意識を取り戻すかも不明なため、神谷は記憶データから任務の手がかりを掴もうと『抽出機』を手にした。
「……今度は直結者か」
「あれ……?あの人って……」
静かになった部屋へと空間の亀裂から一人の男性が。手には蒼い斧槍、冷徹な瞳が突き刺さる。シリウス暗部の右腕、浅霧 深夜だった。だがどこか敵意を纏っていない様子だ。
「久しいな、相変わらず大胆なのか、無謀なのか……普通の人間がこのエリアに立ち入ろうものならば抹殺されるぞ」
「あんたはそのためにここに来たんじゃないのかよ」
「お前達じゃなければな。手を貸せレーヴァテイン」
突然の申し出に目を見開く神谷とシルフィーだったが、こちらの言い分など聞く気はないのか続けて深夜は言う。そこには情報を晒してでも神谷という存在の助けが必要な事が隠されていた。
「シャドウ研究会が動く。狙いの半分は恐らく『収束機』だ……それについてはユーリ様のお気に入りのお前のことだ、知っているんだろう?」
「収束期の存在は知っているが……」
「深くは聞かれても答えられない、俺も知らないからな。だが『収束機』という情報を餌に隠さねばならないものがある」
「どんな代物かくらい教えてくれるんだろうな?協力要請してきたんだ、それくらい聞かせて貰わないと頷けないぞ」
「その前に、お前は異能の【代償】をしっているか?」
【代償】
その名の通り心象を具現化可能な直結者にもたらされる呪いだ。一言で表せてもその全貌は千差万別であり、ケーニスメイジャーの抱える計画の一つと大きく関与している代物でもある。
「代償……?」
「『運命の調律計画』、ケーニスはこの計画で代償に関する大きな手がかりを観測した。シルフィー・ハネライド、お前という観測データを元に話すならば……そうだな、直結者は願いに挫折すると言えば良いか」
「分かりやすく言え、上層部は小難しい言い方しかできないのかよ」
「被検体、今なら当時の貴様の想いを言えるだろ、言ってみろ」
深夜の言葉にシルフィーが。
「生きたい……フィネアの代わりじゃなくて、私を見て欲しい……」
「そうだ、それこそが研究者がお前に期待した心の叫びだ。だが危うく貴様は自らの手で自分を放棄しかけた。膨大なエネルギーを撒き散らしながらな」
存在の確立。それこそがシルフィーの抱えた真の願いであり、異能として形の起源となる媒体だった。そして言葉の通り、その願いから自ら遠ざかろうとした事も事実。
「まさかまたシルフィーみたいに人の人生に介入してるんじゃないだろうな……!」
「吠えるな、所詮は他人事だ。直結者の成れの果てはなんのために世界を徘徊していると思ってる。本題に戻る、もう一つの計画には第一席が深く関わっているそうだ。……それは――」
人の願いから生まれた力は世界へと爪痕を残す。ならばその願いの特質を予測出来れば、ならば願いの特質を制御できれば、ならばモルモットの願いを誘導できれば。深夜の口から出たものは狂ったケーニスメイジャーの汚点だった。
人の持つ願いを国にとって有益な特質へと誘導する。与えた選択肢と苦難、与えた繋がりと幸福、人としての生き方と在り方そのものを間接的に強要し、そこから生まれ落ちた人工的な願いを観測する。アトック天光学園には隠された陰謀の一つがそこにあるのだから。