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電創世界と未来の調律者  作者: 四葉飯
一章 上幕
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51話 地獄の錬成と意識の断絶

「ただいま」


 無意識に言葉にしたそれに神谷は驚いた。自宅で待っているであろう二人へと向けたものだが、既にその生活に適応し始めているのだと。過去の自分ならば想像もしなかった心境変化に笑みを零す。


「おかえり……」


「おっかえりー!!晩御飯出来てるぜ!!ご飯にする?お風呂にする!?そ・れ・と・も――」


「ご飯で」


 龍奈の言葉を断絶して食事の選択を取る。目を向けずとも彼女が唇を尖らせていることは容易に想像が着いていた。それでも尚、神谷は視線を交わさず料理の並んだテーブルへと着いた。


「……」


「神谷……どうしたの?そんなに……見つめて……」


「い、いや今日の料理当番はシルフィーが?」


「うん、割と……自信作」


「そうか、それは楽しみだな」


 神谷は料理ではなくシルフィーを見つめていた。だが理由は口が裂けても言いたくなかった。家庭的なエプロン姿に後頭部で束ねた銀色の髪、いつもと雰囲気の違うシルフィー。純粋な『良い』という感想など悟られてはいけない。


 顔に心象を出すことは己の業界において三流以下であり、上がりそうになる口角をグッと押さえつける。ましてや同じ屋根の下で生活する異性に変な気を起こしていけないと、己自身を厳しく律した。


「……おう、きょーくんや。私の時とは随分と反応が違うねぇ?」


「気の所為だ」


「……きょーくんは家庭的な女の子が好き?」


「……」


 あえて無言を貫いたつもりの神谷だが、わざとらしく逸らした視線はある種の肯定を龍奈に教えた。そして料理という科目において彼女は苦手分野でもあった。故に神谷はまだ知らない。西口 龍奈という女性の影の努力を。


「……大丈夫、苦手だけど練習し続ければ絶対できる……弱音なんか二度と吐くもんか……」


「なんか言ったか?」


「へ?あ、あぁ!何でもないって!それよりご飯にしよ〜!きょーくんってば今日帰り遅かったじゃーん!お腹空いた〜」


 その言葉から彼女らは己が帰ってくるまで食事に手を付けなかったのだと気が付く。時刻は二〇時をとうに回っており、律儀に待ってくれていた事にほんの僅かに嬉しいという感情を神谷は抱く。


「俺も手伝うよ。運んだり、食器を並べたり」


「ありがとう……は、初めてだから、口に合うか……分からないけど……」


「謙遜するなよ、こんなに美味しそうなのにさ」


 今晩の献立はハンバーグと付け合わせの人参、そしてポテトサラダと味噌汁である。見た目に恥じない食欲を掻き立てる香りが神谷の鼻を燻る。電脳世界において不必要であるはずの食事は、彼にとってはその限りではない。


 生命維持に不必要であれど、心を豊かにするためには欠かせないものだった。高級な食材に拘りがある訳でもなく、一般的に販売されているものであってもその嗜好はなんら変わりない。


「待たせたみたいだし、早速食べよう」


「美味しそー!!シルフィーちゃん天才じゃん!!」


「龍奈も……色々手伝ってくれた。ありがとう」


「さて……」


 一人暮らしだったはずの部屋に三名の声が重なる。


「「「いただきます」」」


 とは言っても、シルフィーは食事を口に運ぶことはなく、神谷と龍奈の反応を恐れているようだった。期待と不安の入り交じる蒼い瞳の視線を神谷は感じ取る。大袈裟にでも褒めてみせようと、僅かながらに口角を上げた神谷へと強い衝撃が走った。


「……っ」


 初めに口に着けたのは味噌汁のはずだった。というのも、彼にとって予測していた味とは遠くかけ離れていたから。何故かぜんざいのような甘ったるさと吐瀉物のような酸味がフュージョンしており、拒絶反応を起こした体が嘔吐く。


(何だこれ……!?吐くな……!失礼過ぎる……!)


 無理矢理飲み込んでも尚、鼻腔を駆け巡る残り香は残飯に溺れた錯覚を与える。神谷は知らなかった。シルフィーには料理という才能が欠落していることに。余りの壮絶な味に気絶しそうになりながらも、半ば白目を剥いた目が対面の龍奈を覗き込む。


「ぉぉ……ぅ……ぷぅぁぁ……ふぅ……!ふぅ……っ!」


 龍奈と瞳が交わる。シルフィーの期待の眼差しとその心を裏切ってはいけないと、言葉は交わさずとも二人は意思疎通を成功させた。それはすなわち、生きてこの戦場を切り抜ける結託の証。


「お、おおおおおおおお……おぉぉん……美味しいぞ!?シルフィーぃぃぃぃぃぃぃ!!」


「キタキタキタキタキタキタ……っ!美味しいよぉぉぉ!!シルフィーちゃぁぁぁぁぁん!!」


「ほ、ほんと……?えへへ……ありがとう……」


 心にもない賞賛の言葉は偽りの衣を纏う。ひとたびシルフィー自身が食事を口に運べば隠された真実に気が付く事だろう。だが何故か痺れ始めた体に次なる任務の続行が妨げられる。嘘だとバレてはいけないが故に、シルフィー本人が食べてしまう事は許されなかった。彼女の咀嚼の阻止、それは痺れた体では間に合わなかったのだった。


「んむ……うーん、実は私……あまり味覚っていう感覚が掴めてなくて……自分じゃ分からないけど……二人が美味しいって言ってくれて……嬉しい……」


(食べた……だと?しかも無反応?嘘だろ……シルフィー……)


 だが神谷のそんな任務をシルフィーは軽々しく凌駕した。常識を破壊する味付けも、何故か物理的に痺れる成分も、その全てが嘘かのように彼女は何食わぬ顔で食事を口に運ぶ。


(シリウス共は味覚細胞への刺激認知を備え忘れたのか?このままじゃまずい……龍奈が小刻みに震え出してる)


「アパァ……アパパパパ……」


「龍奈……?どうしたの?もしかして……美味しく――」


「シルフィー!!龍奈はあまりの美味しさに言葉を失ってるんだよ!!な?龍奈!!ほらハンバーグも美味しそうじゃないか!!」


 神谷は龍奈に配膳された肉塊を解し、その一口を彼女の口へと無理矢理運んだ。刹那の視線の攻防、意識朦朧としているはずの龍奈の瞳には、神谷へと強い憎しみを内包する。シルフィーを悲しませないという共通の任務を背負う中、龍奈はこれを拒否できない事を神谷は知っていた。


「むぐぅっ!?」


「どうだ!?美味しいよな!?」


「ご……っ……ぅ……!」


 龍奈の口内にねじ込んだ肉塊、彼女の反応を見てもおぞましい味付けはやはり味噌汁だけではなかったようだった。無理矢理飲み込んだ仲間の顔色が信号機のように忙しく変わる。


「ぁ……――」


 そして彼女は椅子の背もたれに身を任すように天を仰いで意識を断絶させた。さりげなく頭部を支えた神谷が脈の確認を行い、命に別状はない事を確認する。尊い犠牲だったと、彼は少し目を閉じた後に自席へと腰を落としたのだった。


「龍奈……?どうしたの?」


「美味しすぎて気絶したみたいだ。これからはそうだな……シルフィーは料理を控えた方が良いかもしれない」


「え……」


「幸福な意識の断絶をもたらす味付けは誇って良い。だがいざという時にこうなっては命の危険があるからな。しばらくは俺か龍奈が料理をするよ」


「わ、分かった……」


 常識に乏しいシルフィーでなければ通用しない苦しい言い訳だった。だが上手く丸め込んだ神谷は次なる壁を見据える。目の前に立ち並ぶ錬成された兵器の事だ。


(これだけ完璧な見た目でそうはならないだろ……さて、どうする……?)


 ぜんざいのように甘く、意味不明な酸味を持つ味噌汁。そして龍奈の意識を奪った肉塊。神谷は未だに手を付けてないポテトサラダを極小量程だけ箸の先端に摘んだ。残された品の中でも危険物への錬成が難しいものだと彼の常識が語る。


 まるで直結者と異能を用いて交戦するかの如く、神谷の鼓動を高鳴らせる緊張感。幾度となく死の媒体を乗り越えてきた神谷でさえも未知の世界だ。静かに伝う冷や汗には覚悟を内包する。極小量の潰した芋が口元まで移動した時にそれは訪れた。


「呼び鈴……?こんな時間に、誰だろう……」


「シルフィー!俺が出るよ!!」


 前のめりにそう言った神谷が玄関へと向かう。リンクしている部屋の権限の一部を用いて、来訪者を映した外の光景を可視化させた。扉の覗き穴から見たような映像に映るは仲間の一人、郵便屋の異名を持つ女性がいた。


「夜分にごめんね、私だよキョウくん」


「桜か。こんな時間にどうしたんだよ」


 扉を開き、遮蔽物を取り払った神谷の視界へと栗色の髪が揺れる。柔らかい微笑みと一切の敵意を感じさせない淑やかな立ち居振る舞い。彼女と同じくレーヴァテインに属する者ならば、結神(ゆいがみ) (さくら)にはもう一つの肩書きがある事を知っていた。


「情報をちょっと……ね?」


「直接?急いでるって事か?」


 レーヴァテインにおける重大な情報のパイプライン、隊員一人一人に掛かる情報の掛橋になることこそが桜の担う仕事だ。神谷も含めて他のメンバーは彼女の事を情報屋と称する事が多い。


「急いではないんだけど、意識の浸透をしておいた方がいいってヒジリが言ってる。アトックの学園祭の立ち回りについてだよ」


「まぁ、とりあえず上がれよ?立ち話で交わすものではないだろ」


「んー?どうしようかな?一人暮らしの男の子が女の子をすんなりと誘い込むなんて、キョウくんも中々手馴れてるねぇ」


「馬鹿なことを言うな。龍奈もシルフィーもいるし、何よりお前も飯食っていけよ?丁度飯食ってたんだ」


 神谷にとっては浮かべたその笑顔にイタズラ心を隠したつもりだった。だが既に神谷宅で繰り広げられている地獄を桜は知っていた。故に言葉の裏で見えない駆け引きが行われる。


「ごめんね?ご飯は食べて来ちゃったんだ。情報収集しながらおにぎり四つとホットココア、それからパンを二つほど」


「その情報収集で得たものは俺の家の事か?知ってた癖に通達を怠ったのか?職務怠慢だろ食え」


「神谷…どうしたの…?」


 顔を覗かせたシルフィーへと半身になって桜の姿を見せた。二人は互いに会釈を交わした後、桜は自己紹介をして神谷の家へと上がる。天を仰いで白目を剥いた龍奈に桜は引きつつも、神谷へと学園祭の立ち回りについて述べた。


「それで学園祭の時なんだけど……結論から言うと極力目立たないようにしつつ、『福雅 楓』さんと接触してみて欲しいって」


「福雅……?あぁ、入学式の時に見たあの人か……」


 福雅(ふくまさ) (かえで)とは神谷の言うように入学式の時に偶然話しかけた男子生徒の事だ。男性ながらに小柄で、中性的な顔つきが特徴的な人物だった。朧気な記憶を頼りにその顔を浮かばせた神谷が言う。


「一般生徒じゃないのか?詳細情報が欲しい」


「この人が直接任務に関係する訳では無いけど、動くためのきっかけを得ることができるだろうって聞いてるよ」


 桜が紡いだ情報はすなわち、アトックの祭事に生じるセキュリティの緩和から起こるトラブルを示していた。レーヴァテインが動く程の任務となる事は、国が傾きかねない事象の前触れとも言えるのだ。断片的な情報媒体を手に、神谷は今日も夜を超える。

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