50話 生徒会室はお茶の間
『一ノA-四』、通称イチノエーヨン。神谷のクラスの事だ。今朝方、天剣第四星が訪れた事を除けば変哲のない一日だった。神谷も例外ではなく、久しく過ごす平穏な日常。
放課後を迎えた今、従来ならばそのまま自宅へと帰るのだが、学園祭が近いということもあり、殆どの生徒がその準備のために校舎に残っていた。廊下や教室の壁には手製の紙花が取り付けられている最中であり、その様子を横目に神谷は帰路に着こうと歩を進める。
「あら?サボる気かしら、神谷」
「ミリーシャか。協調性を見せたいつもりではあるんだが……何を手伝ったら良いのか分からないんだよ」
「やれる事なんて腐るほどあるわよ。でもそうね、あなたは天剣を前にしても冷静だったし、少しお使いを頼まれてくれない?」
イチノエーヨンに属するミリーシャから一通の電子媒体を預かる。ファイルの保存形式から文字の綴られた手紙だと察するも、中は開けない仕様だった。天剣という単語が出た事もあり、それを届けろという事だとも察する。
「これを?誰に?」
「天剣第一星にね……学園祭の企画内容なんだけど、私他の子にも色々指示を出さなくちゃいけなくて手が空いてないのよ。悪いんだけど頼まれてくれる?」
「それは良いが……どこにいるんだ?馬鹿みたいに広いぞ、この学校は」
アトックは特殊なエリアを除き、大半のエリアは徒歩で移動できる作りになっていた。言わば転送のない現実と同じ。一定の区間に細かく転送は可能だが、それでも虱潰しに一人の生徒を探し出すのは途方もない作業だと神谷は言う。
「多分生徒会室にいると思うわ。あの人は生徒会長でもあるし、いなかったら……そうね、職員室に行って呼び出してもらって」
「分かった。ひとまず生徒会室に行ってみるよ」
メニュー画面から転送を選び、学内でのみ許されたローカルエリアへの項目をタップする。触れるは生徒会室前、最上階に位置する廊下へと座標を移す。
(作りは同じ廊下でも……ここまで人がいないとまるで別の場所みたいだな)
学園祭の準備で賑わう放課後、神谷は転送先に広がった無人の廊下にそう感想を落とす。窓から差し込むは傾き始めた陽の光。歩いて数秒、前方にある生徒会室の室名札へと足を動かした。
そして扉の前で神谷は停止した。それは部屋に立ち入る心構えを映したものではない。扉越しに聞こえた声に驚きを隠せなかったのだ。過去に交戦し、その者の印象が固まっていたからこその硬直。
『良いよ〜!次はトランプで遊ぼっか〜!シトラちゃんはどの遊びが好き?』
『私あれが好き!ババ抜き!ババ抜きしよお姉ちゃん!』
『やろっか!』
ノックするはずだった神谷の手すら停止した。否、思考すらも停止に陥りかけていた。それでも尚、過酷な現場を乗り越えてきた彼の経験が思考を辛うじて繋ぐ。だがそれは思考というにはあまりに拙い。
(天剣第一星の声……だよな?え?誰……?)
『……シトラちゃん、ちょっと奥の部屋で待っててね!』
(やばい、来る――)
横開きの扉が鋭く開く。思わず目を逸らした神谷だったが、前の人物から放たれる雰囲気に汗を垂らした。天剣第一星が放つ雰囲気が饒舌に語る。先程の声は聞いてはいけないものであったのだと。
「……あなたは一年生の」
「神谷です」
「神谷君、なんか聞いた?」
「いえ、何も」
「ほんとに?」
「ほんとに」
ジト目、とはこういう事を言うのだと神谷は理解した。疑わしき瞳で見られること数秒、猫なで声だった奏を忘れるべく本題を振る。数々の裏舞台を乗り越えてきた神谷にとっても、あれはトップクラスに聞いてはいけないものだったと肝を冷やしていた。
「実は久莉穹さん宛に手紙を預かってまして」
「そうだったのね……あぁ、把握したわ……」
簡単な任務を終えた神谷が一礼をしてから立ち去ろうとした時だった。無人の廊下に響くは声。二人はその声の在処へと視線を向ける。今朝方に神谷のクラスへと顔を覗かせたもう一人の天剣がそこにいた。
「ボスー!あり?イチノエーヨンにいた人じゃん。アハァッ!どうしたの?」
「知り合い?伝言を頼まれてくれたみたいなのよ」
「いえ、今朝方俺のクラスで見かけたので……知り合いって程ではないですよ」
神谷に続き、紅月が。
「そうそう!んー、でもまぁ君って変わってるよねー?ボスー!!この人も中に入れてお茶しよー!!」
「確かにそうね。自分で言うのもなんだけど……普通の生徒って天剣を前にすると何かしら目の色が変わるものなんだけど……中に入って」
何故か生徒会室への入室を促される状況に陥った神谷。天剣二人にとって青年の反応は新鮮であり、第一星に至っては好感すら抱いている事に神谷は気が付いていない。他者からの特別な眼差し、それを向けないが故の招待でもあった。
「失礼します」
「適当に座ってちょうだい。紅茶?コーヒー?水とお茶もあるけど」
「お構いなく。頂けるならブラックのコーヒーを……」
「あら、大人な舌をしてるのね」
やや皮肉めいた声色で答えた奏に対し、紅月が。
「ボスは超甘党だよねー。私は紅茶ー」
「あんたは自分で入れなさいよ」
「天剣同士って結構仲が良いんですね。てっきりライバル関係でギスギスしてるものかと思ってました」
創術の研鑽において実力の拮抗した競争相手は良きライバルとなる。故に天剣という地位に立つ二人の仲睦まじさは意外だった。特に天剣第四星、紅月が奏へと向けるものには嫉妬や闘争心はないように映る。
「天剣は皆仲良いよー、うちらズッ友だもんね!ボス!」
「死語よそれ。でもまぁ……神谷君の言うように天剣同士はあまり地位の向上に興味はないように思うわね」
「久莉穹さんはともかく、定められた順位に対して競争心がない……って感じですか?」
神谷の疑問に対し、紅メッシュが。
「えっと……?神谷君だっけ。うちらにとっちゃ天剣の称号も番号も、結果として貰っただけ。上の世界に興味がない訳じゃないけど……まぁ?ボスには絶対に勝てそうにないし、ある意味全員が今の地位に納得してるって感じ」
紅月の補足に神谷は頷くだけで応えた。更には天剣第一星、久莉穹 奏に対する認識を続けて彼女は言う。
「ここまで来たら全力をぶつけても答えてくれるボスは一周まわって良い対戦相手だよ!ね?ボスぅ!!」
「ちょっ……!今コーヒー淹れ――」
突発的に紅月が創術を放った。基礎特質の一つである雷、その想像を。だがその投影速度も、規模も、威力も、その全てが一般生徒とは違う。時間にして一秒未満、一瞬のうちに構築された想像の雷が曲がりくねり、奏へと全方位から牙を剥く。
「燐……!お客さんがいるんだから静かにしなさい!!」
光の速度で飛来したはずの想像は奏の周囲で消失した。神谷から見てもその現象は一つの答えしか導けはしない。何故ならばそこには複雑に組み込まれた想像の攻防などなかったから。ただ創術の基礎中の基礎、相殺術壁が第四星の攻撃を打ち消したのだ。
「てな感じでね、ボスにはそもそも踏み込めない。理不尽なくらいの絶対防御の壁……それに阻まれちゃうから……っ!アハァッ!!」
「は、はぁ……?」
絶対に不可能。そう言ったはずの紅月を見た神谷は苦笑いを浮かべた。四星の顔は否定的な言葉を起こしていても、どこか恍惚な表情でうっとりとしていたのだ。まるで敵わない事が己の理想であるかのように。
「神谷君には分かんない?全力を出しても壊れない相手がいることの嬉しさがさぁ……アハァッ!!君ほんとに冷静だねぇ?興味湧いちゃったっ!一発ヤろうよ?」
冷静だと神谷の態度を評した紅月が不気味に口角を釣り上げる。持て余した力の発散場所がある事は幸福なことである。その意味を汲み取った神谷が、突発的な事態にやむなく臨戦態勢を取ろうとした時だった。
紅月と神谷、両者を隔てる長いテーブル。そこへと彼女が足を乗せようとした刹那、全ての行動を停止させた一人の声が木霊する。それは奏ではない。奥の部屋から顔を覗かせた一人の幼い女の子だった。
紅月は自らの下着すら見せてしまいそうな体勢にギョッとし、まるではしたない姿を見せたくないかのように俊敏に着席した。無論、神谷には丸見えだったが、彼にとっては幼い女の子の存在の方が関心を引いた。
「奏お姉ちゃん?トランプしないの?あれ……?お、お客さん来てたの!?」
「ごめんねシトラちゃん、もう少しだけ待っててくれる?」
「分かった!良い子にして待ってる!」
「もう充分いい子よ」
「えへへぇ」
奏の微笑みと、シトラを撫でる優しい手つきに神谷は再び戦慄する。実際に交戦したからこそ、戦闘時とは打って変わった彼女の表情はある種の恐怖を抱かせたのだ。裁かれる立場にある者とそうではない者、そこへと向ける彼女の顔はやはり同一人物かを疑うレベルだった。
「……さっきの子は?誰かの妹、とかですかね?」
「……そ、そうね、天剣第六星の妹ってところね」
(嘘だな。下手くそすぎる)
奏の嘘は神谷でなくとも見抜けただろう。それほどまでに杜撰な隠蔽工作に神谷は心の中で微笑んだ。いくら戦闘に長けている天剣第一星とは言えど、それなりに年相応な面もあるのだと。
「ところでさー、神谷君って等級いくつ?」
紅月の問いに神谷が。
「荒涼級ですよ。一周回って天剣へは凄い、とかそういうのは一切感じられないです。文字通り雲の上の存在かと」
「荒涼……級?」
告げた創術等級に紅月の目が見開いた。そして変貌を遂げる。先程と同じくして、いやらしく口角を釣り上げた興味を示すような顔へと。そして神谷は培ってきた戦闘の経験則から、目に見えない危険信号を感知した。
「止めなさいって……言ったわよね?燐――」
神谷は目に見えずとも紅月から広がりかけた不可視の想像領域が消え失せた事を肌で感じ取った。紅メッシュと同じ、いやそれ以上とも言える圧力を放つ奏によって。三名を除く他者から見れば、その光景はただ静かなお茶の間に映ったことだろう。
だが水面下で行われた攻防に神谷は冷や汗を垂らす。全貌の見えない紅月だけの創術も、そしてそれを上回った奏の想像も、そのどちらともが異能なしでは歯が立たない事を知らしめた。
(あの一瞬で久莉穹は紅月の蒼天級創術を打ち消したのか……?手の内を知っていたとしても人間業じゃない。天才の創術構築、それを上回る速度で封殺するなんて……化け物だぞ……?)
「……神谷君さぁ、私って嘘が一番嫌いなんだよねぇ?」
「……荒涼級ってことについて嘘だと思われてるんですか?メニュー画面を提示してもいいですが……」
遊び相手を見つけたかのような、無邪気な雰囲気を纏う紅月。その瞳から感じるのは、自らの荒涼級という称号に対する関心のように感じていた。そんな訳がない、むしろそれが事実ならばより不可解だと、そう訴えかけているかのようだった。
「いい加減にしなさい!!シトラちゃんが隣にいるのよ!!やるなら訓練所!!返事はイエス以外認めないわ!!返事は!!!!」
「あ、待ってください。帰ります」
「えぇ……やろうよぉ」
一般生徒からすれば羨ましがられる申し出にも関わらず、神谷は間髪入れずに模擬戦を拒否する。何故ならば目立ちたくないから。どこか名残惜しそうな紅月を横目に、直結者の青年は生徒会室を後にしたのだった。