5話 強さの基盤
試験を終えた神谷とシルフィーは学年長が言っていたように、五分後には再度転送が行われて別のエリアへと飛んでいた。無機質な白い訓練場とはうってかわり、桜が舞う窓枠や他者の後頭部、教卓が神谷の視界を埋め尽くす。
(……教室エリアか)
訓練場の頃とはその三倍程の人数の収容を施された教室。転送先の視界情報から状況把握を行おうと辺りを見渡していた生徒の視線、それが突如として一点へと集まった。
「皆さん!能力把握試験お疲れ様でした!今日から一年間皆さんの担任を務めさせていただく『久莉穹 望』って言います!どうぞよろしくお願いしますね!!」
「「「……」」」
「あ、あれ……?ラ、ラグかったですかっ!?」
神谷を含めた一同の抱いた先生への印象は沈黙となって訪れた。視線の先に映るのは生えているようにしか見えない教卓から飛び出した頭。
教師、すなわち大人と言うにはあまりに小柄すぎたのだ。時折水平線から顔を出す太陽のように教卓から上下する頭。揺れる度に間が生じてから跳ねる特徴的な長いアホ毛。見かねた生徒の一人が本音を零した。
「え…?誰かの妹ちゃん……?転送ミスで送られちゃったとか……?」
「なっ!?ち、違いますー!!これでもれっきとした大人です!!今年で十五になる娘だっていますー!!」
その等身を覆い尽くしていた教卓から外れ、ついにその子供のような全貌を見せたのぞみ先生。その奇っ怪な姿に神谷は驚きを隠すことを一切しなかった。開いた口は閉じることを忘れ、目の前の存在を信じられない瞳が驚きに満ちたまま見開く。
(なんだあれ?システムエラーか何かで等身がバグったのか?あの容姿で中学生の娘がいるって……えぇ……?)
「そこぉっ!神谷君!!なんだかとっても失礼な事を思われた気がしますっ!皆さんもっ!確かに先生は人よりも背は低いですがっ……コホンっ、まぁこの話はいいでしょうっ!周りの生徒を見てくださいっ」
教師を自称する小柄で奇っ怪な生物を前に、一同は興味の混じった視線を言われたままに流す。目を離してしまえばその存在が見間違いだったという疑念を胸に、神谷は教室に並ぶ面々に見知った顔があることに気が付いた。
「気が付きましたか?それぞれ九名は試験でチームを組んだ方がそのままいるはずです。そうですっ!そうですっ!試験の十人を一組とし、三組をランダムに選出してこのクラスメイトが成り立っているのですっ!」
(確かに、シルフィーもいるし……角刈り頭とトンガリ帽子の女もいる。三十人で一クラスって……一年生だけで何クラスあるんだ?)
神谷の疑問に答えが帰ってくることはなく、腰に両手をあて、妙な自信を放つのぞみ先生が続けて言った。それは今後の教育方針と進級制度について。
「簡単に言います。皆さんには一年生の間に四つの戦闘術に磨きをかけてもらいますっ!まぁ……中には基礎的な座学の単位取得が必要な方もいるでしょうがっ」
「はーい!!のぞみせんせー!!質問でーす!」
「はい、なんですか?諸月君」
神谷と同じペアで試験に挑んだ角刈り頭の男、諸月は不敵でどこか嫌味のある笑みを浮かべて言った。のぞみ先生の当面の教育筋、そこへ否定的な感情を込めて。
「創術以外に磨きをかけるなんて時間の無駄だと思いまーす!まぁ……?一切創術が使えない荒涼級もいるみたいですけどねぇっ!」
「えっ……?嘘?荒涼級がいるの?」
「アトックに荒涼級が……?」
「……」
手を挙げた諸月から見下すような視線を感じ取った神谷はただ無言で目を逸らす。諸月に釣られた周りの生徒が荒涼級という存在を疑い、視線に捕らえずとも神谷はその集団の目線も共に感じ取っていた。
だがそんな不快とも言える視線に神谷が抱いたのはほんの少しの安心感だ。試験を最後まで生き残ったが故に、その安心感は推測の域を超えないが実際間違えてはいない。
(角刈りの言い分だと脱落者は死んだ後に試験の様子を見ていないのか……?それだと都合は良いが…)
シルフィーのように自身の持つ直結命令の恩恵を問われることがない。これが神谷の抱く安心感の正体だった。最も、今の神谷の気持ちを形成する大部分は別の所にある。
(めんどくさい任務だな……今すぐ投げ捨てて帰りたい)
「諸月君、荒涼級だろうとアトックは入学を受け入れていますよ?一切の創術が使えないとなると特別な推薦等がなければ難しいかもしれませんが……いや、話が逸れましたねっ!諸月君!!起立!!」
「え?起立……?は、はい…」
「良いですか?立ち続けて下さい」
「え――」
一同の視線が集まる中、突如として諸月の右足が消え失せた。恐らくは本人の理解が及ぶ前に机へと顔や体をぶつけたことだろう。意識外から突如としてバランスを保つ素材を失ったのだから。
「がっ!!痛ってぇ……っ!」
「おやおや?諸月君?先生は立ち続けてくださいって言いましたよ〜?何故地に伏せているのですか?」
「せ、先生が俺の足を創術で消したからじゃないですか!!足を失ったら立てなくてあたりま――」
諸月の言葉をかき消すように、のぞみ先生は諸月の足を片手に持ったまま対の手の指を鳴らした。それを合図に先生の手から転送され、徐々に構築されていく諸月の右足。突然の事に理解の追いつかない生徒達へと幼い声が教鞭を振るった。
「そうです。あなたという存在を支えるものが創術しかなかった場合、それを失えば今のように地に伏せます」
「っ……」
突如その幼い身なりからは想像も出来ない殺意のような空気を纏ったのぞみ先生に、神谷を除く一同が言葉を失う。否、神谷ともう一人、白髪の女性を除いて。
「……創術が使えない場面は……どういったケースが想定されますか?」
「んーっ!シルフィーちゃん!良い質問ですっ!」
「……そんな場面…ないだろっ」
シルフィーの質問に諸月が遺憾な表情を見せる中、突如としてのぞみ先生の矛先は一人の青年へと向けられることになった。頬杖を着き、窓の向こうに散る桜吹雪を見ていた神谷へと。
「ではその答えをどうぞっ!神谷君っ!!」
「……え……っ? 俺……?」
容姿に似合う子供らしい笑顔で返答を待つ担任に、神谷は立ち上がるまでもなく視線だけを向けて静かに口を開く。その質問があえて罠を張られた物であるとは知らずに。
「創術とは想像、イメージを世界に投影する力です。それは裏を返せば術者の精神状態によっては、威力、規模、精製速度、その全てに影響を与えますから……」
詰まることなく模範解答を続ける神谷の言葉にのぞみ先生は頷く。何度も何度も縦に振る首、それはどこか満足気で、待っていた答えがそのまま並び嬉しいといった表情だった。
「死ぬかもしれない【シャドウ】を相手にして、当事者は果たしていつも通りに創術を扱えるでしょうか?恐らくは基礎中の基礎である、相殺術壁すらも展開できなくなるでしょう。俺達は本来の痛みすらも忘れています。長くなりましたが、『窮地に陥ってパニックになった時』、これがシルフィーさんの言った創術が使えなくなる場面です」
「素晴らしいっ!付け加える所がない程に完璧な解答です!!」
大袈裟な拍手をするのぞみ先生を尻目に、神谷は自問自答のように先程の言葉に思いふけた。直結命令に至ってからは忘れた痛みすらも日常になり、毎日が『死』に怯えて取り乱しそうになる日々。それが自身に置かれた運命なのだと。
故に『死の恐怖』を知らない者達に囲まれ、優しく教鞭を振るってくれるこの環境に思わず神谷は口元が緩んだ。こういった生き方もあったのだと、無意識に上がった口角に本人は気付いていなかった。
「ではっ、パニックになり、創術が上手く組み立てられませんでしたとしますっ!そこで己を支えてくれる、第二、第三の足が必要なのですっ!」
創術という土台を失ったとしても剣術や銃術、体術は乱れた心を取り戻す時間を作る。創術という強大な力を遺憾無く発揮するための基盤、先生はその大切さを生徒へと諭す。
(スパルタだが良い先生だな。死への概念が薄れてる生徒にも伝わりやすい。角刈り頭が見せしめになってて可哀想だけど――)
先生が基本的な指導を行う中、同情にも近い感情で向けた神谷の視線、それはその当事者の瞳とぶつかった。諸月の怒りに満ちた視線に思わず神谷は泳がせた視線を窓へと誤魔化した。
怒りにも近い眼差しで見られていることは分かっている。それでも神谷は表情一つ変えず、ホームルームの時間は終わりを迎えた。その言葉と同時に教室へともたらすは変化の発端となる起爆剤。
「はいっ!ホームルームは以上です!では最後に……試験で最後まで生き残っていた四名の方!起立!!」
「……は?」
空気の抜けるような声を漏らす神谷を置いて、担任の指示に立ち上がるは白髪と金髪の女性。そして遅れて薄緑色の頭の少年が続く。生き残った最後の一名は誰かと教室内を乱反射する生徒達の視線と声。それは嫌そうな顔を浮かべながら腰をあげる神谷に収束したのだった。
「はいっ!そうですっ!この四人ですね。一時限目はこの四名の中から学級委員、すなわちクラスリーダーを選びますのでっ!小休止の間に生徒間でも交流をしておいて頂けると潤滑に進めますっ!それでは先生は職員室に行きますね〜」
『クラスリーダー』
それはその名の通りクラスの代表を意味するものであり、アトックにおいてはある程度の権力、発言力を有するものだ。そしてそれはなろうと思ってなれるものではない。
必要なのものは純粋な強さと人を惹きつける何かを有しているか。そしてただ創術に長けていれば良いという問題ではないことは、先程の授業で神谷を含めた全員が理解したことだろう。故に先生が去ってからの教室に僅かな沈黙が流れた。
「とりあえず、試験で脱落しなかった四人から選ぶってのは……異論ないわよね?」
沈黙を破るは黒板付近に立つ試験生存者の一人。肩ほどまで伸びた金色の髪を払い、振り返った瞳はどこか野心の光を秘めているかのようだった。少なくとも神谷にはそのように見えた。私がクラスリーダーを請け負うと言わんばかりの瞳だった。