44話 愛情の意味
上も下もない蒼天の世界の中、シルフィーと神谷は繋いだ手を離す事なく空を舞った。そしてその空間はテイルニアではなかった。それを知る由もなく、二人はただ風を切り裂く落下に身を任せる。
「シルフィー無事で良かった。帰ったら龍奈にも顔を見せてやれよ?」
「うん……っ!私……ようやく分かったの。『生きる理由』……それからそれを繋ぐ為には龍奈も神谷も絶対に必要で……!」
「難しく考えなくて良い……俺もシルフィーと同じだから分かるよ。まだまだ話がしたい、もっと他人を知りたい、だから死ねない。そうだろ?」
優しい微笑みと共に代弁された神谷の言葉に、シルフィーは一切の偽りなく笑顔を見せた。そして改めて彼に抱いた己の心象に鼓動が高く響く。それはいつもより少し駆け足で、死ねない理由と共に彼女へと生の実感を灯す。
繋いだ手を離したくない、そんな彼女の『生きる理由』が強く神谷の手を握る。そしてまた、彼も共鳴するかのように握り返した。いつしか二人は落下の最中、蒼白の粒子となりて元の世界へと帰還したのだった。
「ん……ここは……」
瞳を開けたシルフィーの視界へと教会を催したエリアが広がる。うつ伏せた体、左手には神谷の手が。自らが叩き出そうとした選択に抗い、その手を差し伸べてくれた彼は傷だらけだった。
「ごめんなさい神谷……私のせいで……」
突っぱねたはずの彼はここにいる。その結末を手繰り寄せた神谷との手をシルフィーは離さない。少し目を閉じた後に彼女は静かに、誰にも聞こえぬ小さな声で言った。
「――」
神谷の耳元で己が生き続けたい理由を告白する。それは意識のない神谷には届かず、独りよがりな決意の表れ。シルフィーはたった今決断したのだ。シリウスではなく、レーヴァテインの一人として生きたいと。
「サーベラ……やっとあなたが教えたかった事が分かったよ……もう会えないけど……ありがとう」
死別の意味を正しく理解したシルフィーの瞳へと雫が灯る。零れ落ちた一粒の感情が今、教会エリアへと光の輪となって広がった。実体はなく、ただ声だけが彼女の胸へと響く。
『どういたしまして、シルフィー。あなたの成長を見届けられないのは残念だけど……最後にお別れの言葉だけ言えて良かった――』
「サーベラ!?どこ……!どこにいるの!!話したいことがいっぱいあって……!お礼も……謝りたい事も沢山あって……!」
『大丈夫、全部伝わってるから……沢山辛い思いもしたし、沢山頑張ったよね……でもね?あなたが一人の人間として生きたいと願えるなら……私は私に課された運命も悪くないと思った』
自らの死がシルフィーという人格の骨格を形成する。それも悪くないと宣うサーベラへとシルフィーが言う。
「なんで……!そんなの言葉で教えてよ!!体の痛みは我慢できても……こんなの知らない……っ!こんなに胸が痛くなるなんて知らなかった!!私はサーベラに死んで欲しくなかったのに!!酷いよ……サーベラ……」
『ごめんなさい……でも嬉しい……シルフィーにそう想って貰えるなんて。きっと沢山話したいこともあると思う、でももう行かなくちゃいけないみたい――』
「待って!サーベラ!!行かないで!!」
『さようなら、愛してるよシルフィー』
科学的に説明できない現象であってもシルフィーにはどうでも良かった。確かに彼女にとっては受け入れ難い別れの言葉ではある。だが最後にサーベラは彼女へと自らの死を持って教鞭を振るった。
指導者と同じくして失いたくない命が横にある今、シルフィーは自らの力を持ってその災禍を切り離すと決意を握る。サーベラが教えてくれた死別の辛さ、それを二度と実現させないために。
「……っ」
決壊したダムのようにこぼれ落ちる涙を拭う。モルモットでも、模造品でもなく、人となった彼女自身が零した感情の欠片。シルフィーにしか落とせぬ感情が今、死の本質を完全に理解させたのだった。
「うわあぁぁぁ!!」
声を上げて感情を世界に刻む。無意識に心に溜め込んだ負債を返すかのように。嗚咽を鳴らし、悲しみという手に負えない雫が教会の床を濡らした。呼応するかのように瞬くは転送の光だった。
「ひじりんから情報ゲットぉぉ!!きょーくん!!シルフィーちゃん!!私が来た……って!?シルフィーちゃん!?」
「りゅう……なぁ……」
「なに!?きょーくん死んだ!?」
「ううん……違うの…神谷は生きてる……でも――」
受け入れたくない事実を言葉に起こそうとした時、シルフィーはその言葉を断絶するかのような強い抱擁を受けた。優しく、強く、なだめるかのような熱い抱擁を。
「龍奈……」
「全然事情なんて知らないけどさ、大丈夫」
過去にサーベラから受けた抱擁と今の状況が重なり、無様に霞んだ思い出に色が馳せる。だがあの頃の彼女とは違う。行き場を失った感情、制御の効かないそれを前に、過去に受けた抱擁に愛情の意味を知った。
「辛かったら泣いて良い。悲しかったら喚いて良い!事情も分かんないし……私じゃ役不足かもしれないけど、胸を貸すよ!」
「っ……」
龍奈の抱擁を受け入れ、過去の自分では選べなかった選択を取る。龍奈の脇腹から両の手を差し込み、その胸へと顔を預けて強く背中を握る。密着した耳と龍奈の胸、そこから響くは命の音色。
(龍奈の鼓動を感じる……そっか、サーベラはあの頃から私を一人の人間として扱ってくれてたんだ)
恩師の存在の重さをその身に刻み込んだ彼女は、もう世界を切り刻む事はないだろう。サーベラの望むシルフィーという存在の在り方、そしてシルフィー本人が望む存在証明が今、完全に重なったのだから。
「ありがとう龍奈、もう大丈夫……」
「うん!良いよ!やっぱり笑った顔は可愛いね」
「そう……?でも…龍奈がよく笑う理由も分かった気がする」
龍奈が口にしたように笑顔とは人をより魅力的に映し出すものだ。露出の多い女性がよく笑う理由が今のシルフィーには分かる。何故ならば自らを魅力的に見せたい相手が出来たから。だからこそシルフィーは神谷の意識がない内に、宣戦布告にも近しい発言を投げたのだった。
「私……負けないよ。龍奈にも……他の人にも…今度また服を買いに行こ?龍奈」
「え……?こいつぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?きょーくんの野郎またライバル作りやがったなぁぁぁぁぁぁぁ!?」
シルフィーは気付いていなかった。自身の力強くとも紅みを乗せた表情に。それは龍奈にとっては特定の分野において敵となる表れであり、時には同じ志しを持つ良き友となる。だからこそシルフィーは頭を抱える龍奈へと続けて言った。
「……な、内緒だからね?神谷に言ったら……絶交する……」
それは天邪鬼な言葉。
「そんな無粋な事しないよ……あぁぁ……シルフィーちゃん可愛いからなぁ……まぁいいや!!それだけ私の目に間違いはなかったってことだし!!言っとくけど私も負けないよ?どれだけ遠回りしても私は夢を叶えるからね!」
「……うん、負けない。それより……神谷を病院に連れていかなきゃ……」
「そうだね!なんか片腕ないし……とりあえずこのエリアの権限はレーヴァテインに譲渡されたらしいから、急いでメディカルセンターに連れてこうか?」
権限の譲渡、その言葉にシルフィーは固まった。その言葉の正しい意味はレーヴァテインという部隊において適用される。だからこそ遥か前に受けていたメッセージに目を見開くことになった。
「……私、制約はあるけど…神谷を転送する権限が……与えられてる……」
「え……」
レーヴァテインにとって部外者であるはずのシルフィーは、何故か既にメンバーの転送権限の一部を預かっていた。正式には『仲間の意識がない、もしくは非常に死の危険性が高い場合に限り、他者の強制転送の権限を与える』と。
シルフィーはメニュー画面を近頃見る暇もなかったため、そのメッセージに目を通す余裕はなかった。だからこそそれを受け取った日付に驚く他なかったのだ。
「この日付……私、龍奈と買い物してた日には……転送権限を貰ってた……みたい」
「……ひじりんキモすぎ。まぁとりあえずきょーくん運ぼう!!」
それに頷いたシルフィーが神谷の肩へと手を回す。男性の物理的な重さによろめくも、すぐ様に手を貸した龍奈によって三名は光に包まれた。映る視界の先はメディカルセンター、緊急来訪したシルフィー達は看護師から手厚く神谷を治療してもらったのだった。