43話 鏡写しの心
裏の空間で光の足場に立つ神谷が問う。だがその視線は問いかけた相手に向ける余裕はなく、理性を失ったシルフィーから視線を外さない。溢れ出る彼女の殺意は神谷へと冷や汗を浮かばせていた。
「浅霧……!シルフィーの様子がおかしいぞ!!」
「……なるほど、ユーリ様の思惑はおおよそ掴めた。それよりも来るぞ――」
深夜に言われるまでもなく、シルフィーの異常なまでの殺気を感じ取った神谷が飛び退き、空道鉤爪を射出する。空で身を翻し、灰色の髪の少女が撒き散らした全方位の斬撃を視界に映す。
「なんて力だよ……!」
直結命令を持ってしても見えにくい彼女の斬撃、それを半ば勘でいなす。斬撃と篭手、それら異能同士の接触によって特殊な音が響く中、暗闇の空間が湾曲した。
それはシルフィーが世界そのものを切断したが故の現象。裏の空間へと表世界の断面が覗き込む。だが次第にその物体データは起源となる素粒子となり、更には電子データへと還元した。砂嵐のようにデータは揺らめき、電脳世界の崩壊の序章を物語る。
「やめろ!!このままじゃ俺も浅霧も……!無関係の人すらも巻き込みかねないぞ!!」
彼女は何も語らない。否、既にその機能は失われていた。その体は己の理想を刻むためのパーツでしかなく、その目は断絶すべき人類を映す役割しか持たない。そしてその心は理想を放つためのエネルギーでしかなく、人でありたかったはずのシルフィーは怪物の領域へと自ら踏み込もうとしていた。
そして神谷の視界に映るそんなシルフィーが浮いた。世界の法則すら自らを閉じ込める媒体とみなし、その繋がりを断絶した。まるで無重力空間にいるかの如く、浮いたシルフィーから神谷へと無数の斬撃が差し迫る。
「くっ!」
眼前で腕を交差させそれを凌ぐ神谷だが、瞬く間にその体が切り傷に塗れた。アンカーを出す余裕もなく、辺りの光の足場さえも砕け散ったが故にその体が奈落へと落下を始める。更には濁った蒼い粒子と共に、流星の如くその元へとシルフィーが描くは軌道――
「シル……フィー!」
完全に空を飛翔した彼女が黒いガラスの刀身を握る。執拗なまでの神谷に対する攻撃意識、最も切り離したい媒体への執着心が今、神谷の腹部を貫いたのだった。
「ぐぁ……っ!」
理性のないシルフィー、その推進力と共に神谷の体が底のない奈落へと流れる。痛みに意識が飛びそうになりかけても尚、彼はその左手をシルフィーへと伸ばした。
だが届かない。世界の法則も、他者の描く目に見えないしがらみも、神谷の物理的な救いの手も。肘ほどまでを篭手が覆う彼の左腕、それが二の腕から落ちる。彼女の切断の異能によって。
「ぐあぁぁぁぁぁぁあ!!」
「見てられないな……神谷」
攫うような流星の軌道を描いていたシルフィー、その先へと回った深夜が蒼い斧槍を振るう。反応したシルフィーが神谷と離れ、ガラスの刀身をぶつけた。
「はぁ……っ!はぁ……っ!」
「あいつは諦めろ。あれは……破棄せねば自国すら手に負えない代物だったようだ」
「諦めるかよ……!それに……お前一人でどうにかできるってのか……!」
「……一人ではない。二人だ」
残る手から放ったアンカー、それによって空間にぶら下がった神谷へと深夜がそう告げる。その突如、シルフィーの切り裂いた世界の断面から一人の人物が飛び込んだ。
「ヘルガ、計画は破棄だ」
「……そうかよ」
駆けつけたヘルガの手には蒼白の日本刀が。たった今この局面は、ケーニスメイジャーの計画は白紙へ戻す手筈へと移行していた。政権の用意した手駒の一つ、ヘルガ・スウィスにはその役割があった。
「不満そうだな。元からこうするつもりだったんじゃないのか?」
「知らねぇよ。ただ……サーベラもこんなあいつを見たくはなかっただろうな」
「ユーリ様がお前の思惑を見落とす訳がないだろう。スカイビーチでの勝手な行動も、その他の被検体への追跡行動も全て掌握済みだ」
「けっ、気に食わねぇな。人の考えも、世界も、何もかもお見通しってか?虫唾が走るってんだよっ!」
浮遊するシルフィーへとヘルガが走る。暗闇の中を煌めく辛うじて残る光の足場を。その手に光る蒼白の日本刀、その刀身が鞘から滑り姿を現す。足場を蹴って飛び跳ねたヘルガの一振が彼女のガラスの剣とぶつかり、一際大きな蒼い閃光が煌めいた。
「砕けろ……っ!!」
シルフィーとヘルガの鍔迫り合いは稲妻のように迸る蒼い光を撒き散らした。『破壊』の特質によってガラスの刀身には亀裂が。一度では砕けはしなかったものの、ヘルガはシルフィーとの衝突を利用して光の足場へと飛び退く。
シルフィーが空にいては異能の力を纏った鉤爪を持つ神谷しかこの場の人間は動くことはできない。故にヘルガは二度、三度と、光の足場に飛び退いてはシルフィーの位置へと猛撃を繰り返した。
【拒絶】の刀身に亀裂が走る。ヘルガの追撃の度にその傷は深く、更に深部へと響く。神谷にとってはその光景はシルフィーの存在そのものを壊し、否定しているかのように見えた。
例えシルフィーが理性を失い、世界すらも壊しかねない殺意を撒き散らす存在に堕ちたとしても、神谷は他者の手によって彼女がこの世から消える事を拒む。シルフィーが神谷へと抱いた心象と同じように。
「貴様もまた……ヘルガと同じくして被検体を生きて『救う』選択を取るか――」
深夜の独り言など神谷の耳には届いていない。否、そんな情報は不必要だと聞く気すらなかった。右腕一本でワイヤー手繰り寄せ、『破壊』と【拒絶】の渦中へとその身を投じるは隻腕の直結者。
「させるか!!」
「神谷ァ……!」
空を舞う神谷、そして光の足場へと飛び退いたヘルガ。蒼白の日本刀が再度シルフィーへと飛びかかると同時に、神谷はシルフィーを守るためにヘルガの一太刀を殴るように弾いた。
「シルフィーの心を壊して何になる!!」
「うるせぇ!!さっさとそいつの異能神装を壊さねえと……!世界が滅ぶぞ!!」
「うぉ……っ!」
吹き荒れるは切断の嵐。シルフィーから放たれた斬撃の雨に回避行動へと身を移す。ヘルガや深夜の足場、光によって描かれた世界の構築媒体でさえ、斬撃との衝突に不安定な蛍光灯のように点滅し始めた。
「はなっから学者共は被検体の自我なんて求めてねぇんだよ!!今目の前で起きてる力の暴走こそが全てだ!!お前はあいつを怪物にさせたいのかよ!!」
「違う!!確かに……っこのままじゃあいつは人ですらなくなりそうだ。だが……っ!」
神谷が薄々感じていたシルフィーの異変、それは身に纏う黒い光が徐々に霧のように体を蝕んでいるという点について。その霧には強い既視感があり、直結者の成れの果てとして嫌な推測が脳裏を過ぎる。
「だがもクソもねぇ!!最後ぐらい人として終わらせてやれってんだ!!」
今にも消えそうな光の足場をヘルガが翔ける。その瞳にはシルフィーを捉えており、世界すらも壊しかねない存在へと己の矜恃を握る。異能神装とは当事者の心そのものであり、破壊されれば意思のない人形のような存在へと落ち着くことだろう。
ヘルガの異能に直接触れた神谷だからこそ分かる。その破壊衝動には不器用で理不尽な優しさが内包していることに。殺すのではなく、例え人形のような存在に落としてでも、シルフィーという人間を生かしたいヘルガの想いがそこにはあった。
「俺は……!シルフィーには笑って欲しいんだ!!」
理想をどれだけ並べようと、それを実現させる力がなければそれはただの空想だ。神谷の理想が空想となった時、シルフィーという存在は世界の全てを断絶し、自身以外の全てを殺戮して繋がりを根絶することだろう。
だが彼女を殺す力があれど、それでも神谷には撃鉄を起こす選択は選べない。例え人類全てが彼女の死を望んだとしてもだ。それはすなわち、たった一人の少女のために世界を敵に回す事になってたとしても、その心の焔は消せない事を示す。
飛び込んだヘルガ、そして迎撃に構えたシルフィー。その両者の間へと神谷が飛び込む。
「なんだ……っ?」
刹那、両者の異能に挟まれた神谷を中心に、目を覆いたくなるほどの光が走った。蒼白の篭手から一際大きく煌めく蒼炎の白夜は、彼の心象を世界に色濃く落とした。
蒼く、白く、それでいてほのかな熱を帯びた光がヘルガとシルフィーを飲み込み、二人の異能と共に命の福音が響く。神谷の異能、蒼炎の真価が見失った友の心、その在り方を照らしだした――
「君の力は……っ!誰かを傷つけるためのものじゃない!!」
光の解放後、奈落と化した裏の空間に光の足場が再構築した。神谷のその手には無色透明の刀身が。二股に別れたそのガラスの刀身が眩い蒼白の光を放つ。シルフィーの異能となんら外見の変わらないそれは、神谷だからこそその手に投影されたのだ。
光は闇を照らす。彼の蒼炎の白光はいつしかシルフィーを蝕む何かを溶かしていた。神谷の強い意志を感じる瞳と、意識を取り戻した彼女の蒼い瞳が交わり、心象の正しい在り方を映す。
「神谷……?」
「君が俺や龍奈達を守りたいように、俺も君も守りたい。だからガラスの剣は……こう使うんだ」
蒼白の粒子を撒き散らした神谷が空を飛翔する。瞳から蒼い軌道を残しながら、世界と自らに課せられた法則を切り離し、目に見えない概念へとその想いを爆ぜた。透明の刃が、シルフィーの体を透過して世界を切り裂く。
「っ……」
「これは君を斬ったんじゃない――」
実体を切らぬ一閃、それは未来生体路線図へと大きな歪みを引き起こした事を意味する。数多に枝分かれした未来、それを辿る世界にとってシルフィーという存在は異物であり、死ぬ事が確定していたはずだった。
それは不可視な未来の決定事項であり、絶対不変のもの。だが神谷の異能、そしてシルフィーの異能、その相乗効果がその理屈を切り崩す。世界の概念を切断した力によって神谷達のいる奈落が大きく破損したのだった。
「きゃあ!!」
「シルフィー!!」
黒一色だった空間は砕け散り、空のような蒼天の景色が広がった。そこには上も下もなく、彼らにとっては落ちているのか、飛んでいるのかさえ分からない。それでも尚、靡く衣服と風の感触は落下していると認識させた。
神谷は腕を伸ばす。ガラスの刀身はもう必要なく、存在自体が希薄だと自らを嘆く少女へと。そして少女もまた、自らを映し、照らし出してくれる存在へとその手を伸ばした。
「神谷……っ!」
「届け……!!」
神谷の右手が彼女の左手と絡む。指一本ずつに絡めたそこからは感じるは彼女の存在。世界の理すらも切断した神谷は、シルフィー・ハネライドという人物を本当の意味で一人の人間へと昇華させたのだった。




