4話 直結命令
音を超えた光の牙、水平に伸びた雷の刃は神谷の眼前へと迫る。常人では見てから回避することなど到底不可能な速さ。だがこの場でただ一人、違う時間を過ごす神谷に限りその常識が適用されることはない――
「っ…!」
「避けた……っ?」
この世界に生きる人間、その全ては『現実世界』にある自身の脳と電脳世界を繋いで生を謳歌する。だがその多くは電脳世界で得た致命傷や死のデータ、その逆流による脳細胞の『死の認識』を緩和する媒体をその二間に挟んでいた。
それはすなわち『Creation Protect Union』。その名の通り自身の創造と保護の役割をこなす中央演算処理装置であり、強烈な死の情報を緩和する他、創術等の演算を脳の代わりに行う役割を持つ。
現実世界にある自身の脳細胞の『死の受託』、本当の意味での生物の終幕を回避するため、この世界に生きる人間にとって必要不可欠な安全装置だった。
「神谷……っ!後ろ!!」
「っ――」
シルフィーが危惧した氷槍が神谷の髪を掠めてエリアの壁へと突き刺さった。常人ではありえない神がかった神谷の反応速度。それは『CPU』の保護機能、『死からの保護』を代償に得た恩恵、生への執着。
(ヒジリの奴…っ!今度顔合したら絶対に殴ってやる!!こんなお遊びみたいな任務で死んでたまるか!!)
【直結命令】
神谷が背負った現象の総称であり、その名の通り神谷は脳と電脳世界の間にCPUを介していない。それは死に対する恐怖が薄れゆくこの世界において、ただ一人常に死と隣り合わせの運命を背負うことを意味するのだ。
「数が多すぎる…!!倒さなくても増えるのかよ!」
「っ…!なんであれが避けられるの……?」
眩く稲光も氷槍も、視認しずらい風の刃も、ソルジャーの放つ創術は神谷にはかすりもしない。時には氷槍のような固体は右手の剣で神谷は自身の命を守った。シルフィーの抱く疑問、神谷の持つその異常なまでの反応速度がそれを実現させる。
「シルフィーさん!!ソルジャーが多すぎる!!防御と回避に専念しつつ、創術で相手の相殺術壁を割ってくれ!!」
「っ……わ、分かった」
増え続けるソルジャーを相手に、神がかった反応速度を持ってしても回避し続ける事が難しいと判断した神谷は、敵の強化を加味してもその数を減らす決断を下した。
シルフィーの抱く神谷への驚嘆と疑問、その反応速度。『死の受託』、その危険性と共に得た『遅延』の解消が人間離れした反応速度を与える。それは直結命令した者だけが到達出来る研ぎ澄まされた世界だった。
「三人割れた……っ!」
「助かる……!これなら…銃で殺れるっ!」
脳からCPUへ、CPUから電脳世界へ。全ての人間が通るCPUという名の迂回路。現実世界の脳信号と電脳世界の動作、それは元より一秒の百分の一程も遅延はない。
だがCPUを介さない神谷の思考と動作の遅延時間は0。例え遅延効果が限りなく0に近くとも、CPUを介さない直結者に映る世界はまさに天と地の差があった。手袋と素手、食べ物を掴む箸と素手、直結命令はテイルニアでより直感的で、より本能的な研ぎ澄まされた感性と五感を対象に齎す――
(十時方向に二体、三時方向に一体……防壁再展開より早くっ!!)
側面から宙返りをしてソルジャーの放った炎を躱す神谷。天地が返ってゆく視界に映るはやや左前方向の敵。視界が元に戻るまでの僅かな時間、回り始めた視界に捉えた敵に右手の剣を投げ放つ。
(次――)
投擲した剣が相殺術壁の割れたソルジャーへと突き刺さるのを確認するまでもなく、身を翻した神谷。その足が地に着くまでに右手に取り出すは拳銃。左右に散った二体のソルジャーが手をかざし、相殺術壁の再展開を測るももう遅い。
神谷の両の手に握られた拳銃と突撃銃の引き金を合図に、二体のソルジャーが纏った甲冑が音を立てて地に伏せた。ソルジャーの脳天を貫いた神谷の弾丸。限りなく不安定な空中でさえも、直結の与えた恩恵はその射撃制度を衰えさせることはなかった。
「凄っ……」
「シルフィーさん!極力敵を十体前後でキープしたい!引き続き防御、回避に専念しつつ防壁を割ってくれ!」
「りょ、了解……」
遅延を取り除いた神谷の見る世界、それはすなわち時の流れ、その感じ方を極限まで低速にさせていた。彼にとっては弾丸も、光の剣も、その全てがコマ送りのように映っていることだろう。
更には常人では薄れつつある『死への恐怖』。それと隣歩く神谷のその警戒心が、より五感を研ぎ澄まさせる。自身に迫り来る脅威を、死の媒体を、それが発する全ての予備動作、予兆を見逃さない。常人の忘れた生存本能を体現するかのように。
(試験終了まであと一分……!)
「切り裂け!!」
あえて前に出てソルジャーの敵意を取った神谷と後方に下がったシルフィー。演舞のように縦横無尽に戦場を舞う神谷は、紙一重で敵の創術を躱し続けた。後方から放たれる無色透明なガラスのような刃、それによって相殺術壁を切り裂かれたソルジャーへと神谷の弾丸が刺さる。
「神谷……っ」
「見えてる!!」
新たに出現したソルジャー、それが放つ創術の雰囲気が変わった。まるで意志を持ったかのように曲がる光の剣。神谷へと牙を剥いたそれを左手の突撃銃を犠牲に弾く。彼が感じ取るは敵の扱う創術の等級上昇だ。
「創術組み立てまでが早すぎる……!」
「右っ!!」
直線的な軌道しか見せなかったソルジャーの創術が屈折し、神谷の頬へと僅かに赤い一筋を残す。紅の一筋と共に頬を伝う冷や汗、その視界に映るは湾曲して全方位から迫る猛威。自身に迫った窮地に抱いた感想は歯痒さだった。
(あれさえ使えれば楽なんだが……)
神谷は拳銃を投げ捨て両手に取り出した二本の剣で襲いかかる『死』を振り払う。常人では見切ることすら難しい創術を、その軌道へと剣を重ねて。
「まただ……、創術を……切るって……?本当に何者なの……?」
「あと三〇秒……!!」
ソルジャーの生み出した想像の刃を実剣で切り伏せた神谷が吠える。大きくわけて四つある戦闘術、その中でも最も強力なものは創術であり、それはこの世界において一般常識とも言える。
故に人が率先して磨かない剣術、銃術、体術を持って戦う神谷は、他者からは異常な存在に映ったことだろう。死が降り注ぐこの戦場で未だ地に伏せていない荒涼級、それはまるで世界の設けた強さという階級を矛盾させるかのようだった。
「まずい…!シルフィー!!」
「分かってる……っ!」
降り注ぐ炎や水、雷といった様々な創術を凌ぐ中、神谷の視界へと映ったのは一人のソルジャー。彼女の名を呼ぶそれは、ソルジャーの展開した宙へ広がる創術の紋様の大きさ、その規模と威力を鑑みた叫び声だった。
「っ……!!」
「くっ…!」
天より落ちる風の球体、ソルジャーの投影した想像の塊が地へと落ちた瞬間、二人へ猛風と鋭利な刃が襲いかかった。神谷の側へと駆け寄ったシルフィーの展開した硝子の壁と相殺術壁。硝子を引っ掻く甲高い音色と共鳴するかのように高鳴る二人の鼓動。
「耐えれるかシルフィー……!」
「うるさい……!」
見えずとも神谷は彼女が防御以外にも、抑制という手段で攻撃を緩和していることを分かっていた。二人を守る透明な硝子の壁とシルフィーの相殺術壁、そして大気を震わせる振動そのものの抑制。
(一人で三つの演算を同時に行うのは流石に蒼天級でも無理が…っ!)
「っ……はぁぁぁぁぁぁ!!」
吹き荒れる風刃はシルフィーの咆哮と共に散り散りに拡散し、それと同時に飛び出した無色透明の刃、その輪郭をエリアの照明が照らす。シルフィーが防御と抑制に加えて同時に放った攻撃、それは術者の防壁へと食らいつく――
「割っ……た…っ!」
「CPUを焼き切るつもりかよ…!けど……流石だ!!」
硝子の剣によって無防備になったソルジャーへと伸びる神谷の実剣。投擲されたそれは脳天へと深々と突き刺さり、無機質な空間へと甲冑の崩れる音を響かせた。
轟音に包まれていたはずの部屋へと響くその音は、鮮明に神谷達の耳へと届いたその音が一つの知らせを告げる。危機は去ったという安堵を添えて。
「はぁ…っはぁ…っ!終わった……の?」
「みたいだな」
『試験終了!脱落者、生存者共にすぐに振り分けられた教室へと転送を行う。五分ほど待ってくれ』
動きを止めたソルジャーが粒子のように消え去る様を眺めていた神谷は、シャーネスの言葉にようやく安堵の息を着いて全ての武装を虚空へと消し去った。だが突き刺さる相棒の視線に気が付かない神谷ではない。
「あなた……何者?」
「言ったろ?荒涼級の――」
「そんなことはどうでもいい。いや……NPCがせいぜい霊峰級だったとしても……それを複数体相手取って生き残れる荒涼級なんておかしい。しかも相殺術壁すら使わずに……」
(参ったな……死ぬ訳にはいかないからとは言え、目立つのは得策じゃない。なんて誤魔化すか……)
明確な情報を与えられていないが、神谷の当初の目的は誰か二人を守るということ。詳細な情報をヒジリから提示されていない今、今後動きづらくなることを鑑みて目立ちたくないというのが神谷の本心だった。
「た、たまたま動体視力に恵まれてて……」
「そんな嘘が通じる訳ない。違法ツール……?いや……そもそも荒涼級が違法ツールを使うなら創術に手をかけるはず……」
(この様子じゃあ、直結命令についても知らなさそうだな……あれも薄らいだ死の概念を煽ることになるし……仕方ない)
直結命令は知る人ぞ知る究極の現象であり、後天的に誰もが開花しうる諸刃の刃だ。その存在を知らない者は少なくはなく、神谷の見通しではシルフィーもその一人となった。
「動体視力には本当に自信があるんだ。けどそれだけで荒涼級がアトックにまともに入学出来るはずもないだろ?裏口入学というか……少しばかり学園側から頼まれてることがあってね」
「……何を頼まれたの?というか……論点をずらさないで」
「それは言えない。とにかく、俺は人よりも実戦に慣れてるだけだよ。あまり深くは聞かないで欲しい」
神谷自身でも苦しい騙し文句だと心の内で苦笑いを零す。もちろん神谷は筆記試験を正面から合格しており、裏口入学などという事実は存在していない。せいぜい学園を欺いている点といえば、己の身分情報位だろう。
「あなたは……どこか、別の世界で生きているんじゃないかって……思ったの。ううん、ごめん、変なこと言った……忘れて」
「……今朝は他人に興味がない、なんて言ってたけど意外と饒舌なんだな」
「……うるさい。あれも忘れて……」
横目で見た神谷の視界にやや恥ずかしそうに俯くシルフィーの姿が映る。悪戯が過ぎた発言を心の中で自重しつつ、神谷は続けて綴る彼女の言葉に耳を傾けた。
「いつか……あなたの強さ……その秘訣を、教えてくれる?」
「……分かった。約束しよう」
シルフィーと交わした約束、これに神谷は肯定の意志を添えて答えを返した。だが神谷はその約束の真の意図など知る由もない。神谷の放つ命の輝き、そこに彼女が惹かれていたことに。
まったり書いてます。お付き合い頂ければ嬉しいです。