3話 想像を世界に投影する力
シルフィーの言い放った創術等級、『蒼天』に一同が驚きの表情を見せる中、ただ一人神谷だけは波風を立てない湖のごとく冷静だった。彼女と初めて顔を合わせた頃から感じていた隠してきれない闘気。その答え合わせ故に神谷の態度は果然としていたのだ。
「『蒼天級』がいるならなんとかなるかもしれないな…っ」
「とりあえず他の人も等級を教えてちょうだい」
神谷を除く一同がそれぞれの等級を提示し、七名が『霊峰級』、一名がその下の『第一級』、そしてシルフィーが『蒼天級』と情報共有が進んだところで神谷へと視線が集まる。突き刺さる他の視線、そこに含まれるは期待だろうか。
「最後はあんただけど」
「この子の『蒼天』にも冷静だったわよね?もしかしてあんたも……?」
毅然とした態度を一切崩さなかった神谷へ抱かれる過度な期待。その視線を一身に受けながら静かに神谷は口を開く。応えられるはずのない期待、それを一蹴するかのように。
「悪いな、俺は『荒涼級』だ。それも、一切の創術が使えない」
「「「は……?」」」
「創術が使えないって……?本気で言ってるのあんたっ!?」
『荒涼級』、それはすなわち七つに区切られた創術等級の中で最も下位を意味する。『想像』を世界に投影する力『創術』。神谷は中でも一切の創術が使えない特異体質だった。
そしてそれはこの世界において『最弱』の烙印である認識が根強く、それ故に神谷を取り囲む一同の態度に変化を与えたようだ。期待の眼差しは蔑んだものへと変貌を遂げ、落胆と侮辱の言葉が神谷へと突き刺さる。
「『相殺術壁』も使えないってことかよ…!戦力にならないどころか足でまといじゃねえか!!」
「どうやってそんなんでアトックに入学できたんだよ……っ!」
「最悪だわ…っ」
飛び交う言葉のナイフに神谷は何も言わず、静かに瞳を閉じた。彼にとってこのような状況になることは想定内であり、必然だと分かっていた。そんな責め立てられるような言葉以上に、神谷には危惧するべきことがあるのだ。
「おい荒涼級…!早々に死ぬだろうけどな?せいぜい俺らの相殺術壁の影にでも隠れてろ」
「創術の射線に入らないでよね?まぁ、いたところで構わず撃つけど」
「……分かった。気を付けるよ」
見計らったかのように一同へと再びシャーネスの声が響いた。告げられるは試験開始の合図。高まった緊張感を表すように、場の空気がより引き締まる。創術の基礎中の基礎である『相殺防壁』を各々が展開する中、神谷はじっとその背中を見つめた。
『試験開始五秒前、五、四、三、二――』
神谷の手に虚空から姿を見せた剣と突撃銃。右手には剣、左手には突撃銃、臨戦態勢へと移行した次の瞬間、無機質な空間へと仮想外敵が訪れた。
『試験開始!!』
「うおぉぉぉぉぉ!!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
甲冑を身にまとった仮想外敵、『NPCソルジャー』は行動を起こすまでもなく消し炭となった。仮想空間へと降り注ぐ稲妻や炎撃の雨。
神谷を除く一同の展開させた創術が共通の敵を蹂躙する。そこに慈悲や憐れみはなく、内蔵を揺らすような衝撃と轟音が神谷を包み込んだのだった。
(流石はアトックに入学できる生徒なだけはある。これだけの規模の創術を短時間で完成させる技量……凄いな)
創術を使えない青年の瞳に映るは想像の嵐。つんざく雷撃、全てを灰燼と化す豪炎、更にはソルジャーの甲冑すらも切り裂く風の刃まで。仇なす者を蹂躙する力が渦を巻き、その衝撃波が神谷の前髪を揺らした。
「なんだよ、大したことねーな!!」
「……っ!前だ!!角刈り!!」
各々の放った創術が作り出した砂煙、その中から突如発せられた赤い閃光に一早く気が付いた神谷の声が響き渡った。最も始めに創術等級の提示を提案した角刈りの男、それに向けられたソルジャーからの敵意。それは世界に投影された。水平な赤い光の剣となって――
「うぉっ!!」
赤き剣は角刈りの眼前、『相殺術壁』との境界で黒板を引っ掻いたような不快な音と共に霧散した。その光景が示すはたった一つの事実。
「ちょっと…っ!ソルジャーって創術使ってくるの!?」
「創術を撃て!!来るぞ!!」
魔女を彷彿させる柔らかい円形のつばを揺らす帽子。それを頭に乗せた女性と吠える角刈りの男、この二人の創術再発動を合図に、試験エリアは再び轟音と業火へと包まれた。降り注ぐ想像の刃、悔しくも一同へと一つの知らせを添えて。
(この音……ソルジャーも相殺術壁を張ってる。創術の一辺倒じゃダメだ……!)
「相殺術壁まで使うのかよ…っ!」
生徒サイドの放つ創術によってソルジャーの相殺術壁は徐々にその体積を減らしてはいることだろう。だがそれはこちらも同じ。水平に伸びる炎の矢、加えて光の速さで飛来する雷槍。それらが他の生徒の相殺術壁へと突き刺さる度に不快な音を撒き散らす。
攻撃を受けても相殺術壁を維持し続ければ良い。この理屈は栓を抜いた風呂から水を抜けないようにする夢物語であり、人によってその容量は千差万別だが、いずれこの均衡は崩れることだろう。
「やばい…!!おい!!荒涼級!!ぼさっとしてないで銃くらい使ったらどうなんだよ!!それくらいできんだろ!!」
「君達の創術を打ち消す程の相殺術壁相手に、ただの銃弾が通るとは思えない。それよりも――」
神谷の言葉は途中で止まった。ソルジャーの放つ創術が降り注ぐ中、皆の前へと一歩踏み出した女性に視線が奪われたのだ。腰ほどまである純白の長い髪。シルフィー・ハネライドがその手をかざす。
「うざい」
「っ……!」
神谷の耳に届いた彼女の一声、共にその視線に映るは降り注ぐ猛威の停止。雷撃は次第に球の切れた照明のように暗転してその存在を終えた。炎や氷で形成されたソルジャーの攻撃、それもまたシルフィーの創術がその姿を、その輪郭を途絶えさせる。
「す、すっげぇぇ!!これが『蒼天級』……!!何をしたんだ!?」
「凄いのは分かるけど…!まだソルジャーが――」
おしゃべりな角刈りと魔女の装いをした二人の声をノイズのようにかき消すと同時に、シルフィーから飛来した『何か』がソルジャーの首を刈り取る。NPCの『相殺術壁』すらも透過するは光が示す無色透明な刃の輪郭。
(ガラス……?ただのガラスにしては切れ味が良すぎる。あの子の描いた想像は……?)
シルフィーの放った創術に一同が驚きの表情を見せる中、ただ一人神谷だけが冷静に彼女の『本質』に目を向けていた。この僅かな時間に得られる情報など大した量ではない。それでも神谷にとっては彼女の『本質』を見通すには充分すぎた。
指先から肘ほどの大きさの透明な刃、そしてその恐ろしい程の切れ味。それらは確かに人の目を惹く物であることは間違いなかった。だが彼女の『本質』を見抜く決め手となったのは、仲間の声を掻き消した現象。電波の悪い状況下で通話相手の声が途切れるような、思わず眉をひそめてしまう事象。
(……そうか、振動か)
「行ける……!!『蒼天級』と一緒なら良いとこまで行けるぞ!!」
声は当然音の振動が空気を通して他者の耳へと届く。光もまた横の振動であり、神谷の仮説が正しければ彼女が『振動』を抑制したことで雷撃もその姿を維持出来ず消えたのだろう。
物体の持つ固有振動そのものに同じ振動を与えることでより大きな振動を与えたり、またその逆に物体周りの空間の振動を抑制し、限りなく停止に近い現象を起こす。これが神谷の読み取った彼女の描く『本質』だ。
(防御にも攻撃にも応用が効く創術だな。よくもまぁ閃くもんだ)
創術とはこの世界ではよく『絵を描く』ようなものだと言われている。その品柄は当人の技術によって千差万別。他者を惹き付ける絵画、それは他者には理解の及ばない自分だけの世界なのだ。
「……ソルジャーが強くなってる。『相殺術壁』に反応され始めた……」
「倒せば倒す程に敵も強くなる……ってことか」
「多分。向こうの創術攻撃も……威力が上がってきてる…」
シルフィーの感じ取ったソルジャーの強化、それは間違えていなかった。彼女の相殺術壁の影に身を潜め、情報の共有を終えた神谷の手に力が入る。握る銃と剣、それは眠れる獅子の目覚め。
「シルフィーさん、敵の射線を切れるような造物は作れるか?」
「壁ってこと?他はともかく、私はまだこれくらいの威力なら相殺術壁で充分凌げるけど……?」
「荒涼級!!んなもん必要ねえよ!!俺達と蒼天級がいりゃあ火力一辺倒でゴリ押せる!!」
双方の激しい創術の撃ち合いに白黒二色の煙が場を覆う。神谷の肌に走る創術の熱風。倒せば試験に対する評価が上がるという認識を持つ他の生徒、そして決して死ねない神谷。この認識の違いがついに戦況の天秤を傾け、ソルジャーの猛威が神谷達に牙を剥く。
「っ……!避けろ!!トンガリ帽子!!」
「え――」
魔女のような帽子をを被る女性の体が真っ二つに切り裂かれ、可視化が極めて困難な風の刃がその背後の床や壁に傷を残した。二つに切り裂かれた彼女も微かにその刃を認識出来ていたのかもしれない。だがソルジャーの放つ創術が彼女の相殺術壁を上回った。ただそれだけだ。
「セラ…!!クッソ!!」
「落ち着け角刈り頭っ!相殺術壁だけに頼らずに回避に専念するんだ!射線を切れ――」
「がっ……?」
神谷の視界に映るは角刈り頭の脳天を貫く赤い閃光。生徒側に軍配が上がっていた戦場、その天秤が一気に傾く。ソルジャーの攻撃力が神谷達の纏う防壁を上回った故にそれは必然。次々と脱落する仲間を尻目に、神谷の頬へ嫌な汗が伝う。
(まずい……っ!呑気にシルフィーさんの創術を眺めている場合じゃなかった……!)
「神谷……っ後残ってるの私達だけ……!この辺りが限界だと思うんだけど……何か考えがあるの?」
シルフィーの言葉に耳を傾けた神谷、それと同時にその眼前へと迫るは雷の刃。常人では反応すら不可能な光の世界。目に捉えた情報よりも貫かれた痛みの知覚の方が早い。それは他者にとってありふれた常識のはずだった。
ただ一人、神谷を除いて――