28 大神 賢人
構えとも呼べないような完全に下げきった泥人形の両手、そこに握られた光沢のある灰色の刃が光る。神谷はその脱力しきった姿勢から放たれるフィネアの剣撃を知っていた。
「うぉ…っ!!」
人形の持つ刃に狙われた首元、それを避けるために後方へと飛び退きながら右手に剣を構えた。加えて左手には散弾銃を。躊躇なく引き金を絞り、視界へと飛び散る泥が映る。
「即時修復……っ」
異能神装によって武器としての性能を底上げされた散弾銃を前に、フィネアの形を模した泥が耐えられるはずはなかった。
文字通り木っ端微塵に飛び散りはしたものの、散った破片は床へと飛ぶ前に時間遡行されたかのように元の形状へと戻った。それどころか肉体を成す泥を吹き飛ばされてもなお、人形の動きは鈍くなる様子さえなく神谷へと刃を振るう。
(面倒だ……異能神装で壊しても即時再生するということはNPCであることは明確――)
屈み込んで敵の攻撃をかわしながら神谷は思考する。テイルニアという電子データのみで構成された世界において、異能神装の持つひとつの性質を加味しながら。
それはすなわち電子データ、その粒子自体の破壊性能だ。空間を切り裂き世界の裏側を開くことも可能とするその性質は、人やNPCに対しても例外ではない。
肉体データは然り、創術そのものさえもいとも容易く破壊する。相殺術壁という防壁も効果を成さない。異能神装を振るう相手に太刀打ちできる非直結者がいるとすれば、それは星天の称号すらも思いのままだろう。
(泥人形にはほぼ間違いなく痛覚がない。NPC相手なら本気で振れる)
神谷の思考通り振るわれた刃に容赦の欠片はない。かつて相手取った天剣第一星、その戦闘時のような手心は微塵も含まれていなかった。その一太刀の起こす剣撃は風に乗り、幾重もの斬撃と共に敵対者の刃も肉体も切り刻む。
(再生するよりも、早く――)
右の剣撃から間髪入れずに散弾銃と入れ替えた左の剣を振るう。ミキサーのような剣撃は泥人形の輪郭を破壊した。それでもなお、その再生力を上回ることはできないようだった。
(もう少し寄り道したかったが……時間の無駄だ。撤退するか)
切り伏せては即時再生、このやり取りを数回行った後に神谷はそう決断を下して最後の一撃を振るった。一切の手心のないそれは泥人形はおろか、その背後の壁すらも切り裂き虚空を覗かせる。
そうして敵対者の頭上を空道鉤爪で飛び越え、作り出した虚空へと身を任せようと思考した時だった。響く声だけの存在に神谷は全ての行動を停止させた。
『流石は神谷 鏡君だ。フィネアの紛い物では遊び相手にもならんかね?』
(誰だ……?俺を知っている……?)
神谷のそんな思考に答えを返すかのごとく、ホログラフィー技術によって投影される中年の男性が空間へと姿を表した。そこに実態はなく、映りの悪いテレビのようにその輪郭が揺れる。それでも神谷にとってその男性が笑っていることは分かった。
『こうして姿を見せるのははじめてだね神谷 鏡君。玩具とのチャンバラはどうだったかね?』
「……誰だお前は」
『私は大神 賢人、なに……シリウスに属するただの研究者さ』
大神と名乗る男は自らを研究者と言った。その真偽はどうであれ、神谷にとって目の前に現れたこの者はフィネアと関わりが深いと考えた。事実その考えは正しく、今彼が欲している答えを研究者は知っていた。
「泥人形を作って何がしたい?フィネアを何に利用した?いや……何に利用するつもりだ」
『答えは急ぐものではないよ。今言えることはそうだね……これは世界の示した道標、その第一歩とでも言おうか』
「俺の上司と言い、おまえと言い……何かを企む人間っていうのは回りくどい言い方が好きだな――」
会話の内に神谷へと忍び寄っていた泥人形、それが彼の一振によって輪郭を大きく崩した。怒りにも近い感情のままに振るわれた剣撃によって泥の破片はエリアの端まで飛び散り、神谷から遠く離れた位置で再びその肉片を集結させる。
だが最早神谷にとって意思のない人形は眼中に無い。彼の関心を引く者はこの場にただ一人、大神だけとなった。異能の力を見せつけても尚、男は不敵な笑みを崩すことはない。それすらも大神にとっては関心の対象なのだから。
「答えろ。フィネアを、シルフィーをどうするつもりだ?」
『シルフィー?あぁ……被検体九〇六五のことかい。良い出来だろう?あれは』
大神の短いその一言に凝縮されるはシルフィーという存在の意味合い。研究者にとって彼女はモルモットであり、人間ではないのだ。だからこそ垣間見える非人道な影に神谷は眉間に怒りを寄せた。
『そう怖い顔をしないでくれたまえ。九〇〇〇体の上にようやく完成した技術の結晶、その凄さ、その意味が君には分からないのかい?』
(落ち着け……怒りに飲まれるな。感情の昂りは思考を遮ってしまう……少しでも情報をこいつから奪うんだ)
『被検体九〇六五、彼女に期待する役割は鍵。世界をコントロールするためのね――』
その言葉と共にエリアへと転送の光が瞬いた。いつの間にか全ての行動を停止させ、修復の終えた泥人形が緩やかにその歩を進める。人形の歩む先はその転送の光、送られてきた傀儡の模造品だ。
「シルフィー……?」
転送してきた人物の姿形に零した神谷の言葉は半分正解であり、また残りの半分は間違いだ。糸を失った傀儡人形のように力なく床へと崩れ去る銀髪の女性、そこへと困惑の表情を送る。
神谷はこれまでの大神の言葉からその銀髪の女性が何を意味するのかを悟っていた。直感的に九〇〇〇体の失敗作と呼ばれるシルフィーのなり損ないの行く末が脳裏を過ぎる。
「大神……っ!!この子は――」
そして泥人形はシルフィーの残骸と同化した。操る糸を得た傀儡人形が神谷へと刃を振るう。先程と限りなく類似した戦闘光景であっても、当事者二人にとっては天と地の差がそこにあった。
「うぅ……」
「っ!」
神谷の眼前を通り過ぎた泥の刃、そしてその先に響く傀儡人形の肉体の悲鳴。彼の耳に届いたのは傀儡人形の訴える痛みだった。対峙していても耳に届く肉と繊維のちぎれる悲痛の音。シルフィーの残骸は今、泥人形という戦闘システムによって無理矢理その肉体を操られているようだった。
『こんな出来損ないでも使い道はあるんだよ神谷 鏡君。例えば……不可解な力の研究とか……ね?』
「大神っ!!この子は生きているのかっ!?」
『無論。ただしその被検体は限りなくAIに近い失敗作だ。意識の受信はできても発信はできない。まぁ……簡潔に言えば痛みしか分からないゴミだ』
「人の命をなんだと思って……っ!」
大神に意識を向ける暇もなく神谷へと泥の刃が伸びる。鞭のようにしなる剣撃、それは神谷のよくしるフィネアのものと遜色はない。だがシルフィーに似た何者かは肉体が追いついていない様子だった。
一振、二振、その度にシステムの奏でる肉体の損壊音がエリアへと鳴り響く。肉体の悲鳴とは似つかわしくない無表情な彼女を前に、神谷が両手の武器を消し去り動きを止めようと手を伸ばした。
「止まれ……っ!!」
「ぁぅっ……」
彼女の両手首を掴み行動を抑制させた。異能神装という神ノ力、篭手を模した武具で掴んだからこそその真価を見せる。神谷だからこそ具現化した蒼白の武具、その本質を――
【痛い……助け…………て】
「っ……」
彼女の手首を掴んだ蒼白の篭手、そこから伝播した敵対者自身の心象。鏡写しのように一切の偽りのないその心が神谷へと襲う。神谷の脳裏へと肉の繊維の裂ける感触を、骨の軋む損壊音を、そのイメージを浮かばせた。
「ぐぅっ……!」
篭手から届くは膨大な彼女の意識。たった一言から浸透する悲痛の訴えが神谷の表情を変える。シルフィーの残骸が浮かべる能面のような無表情の顔色とは対照的に、苦しさ、悲しさを表す苦悶の表情へと。
(大神が手放しにこの子を解放するとは思えない……っ!この子を助けるにはもう……)
泥人形がいくら人離れした剣撃を放つシステムを持っていたとしても、腕力そのものは女の子と遜色はなかった。男として力で勝る神谷がシルフィーの残骸の腕を掴み、振りほどこうとする行動を抑え込む。
だが無理矢理にでも神谷の腕を振り払おうとその残骸は体の繊維を破壊させた。そしてその度に神谷へと痛みのメッセージが響く。神谷自身はこの場から逃げ出すだけならば容易だ。だが彼の我儘とも言える正義がそれを許さなかった。
「楽に……してやる」
『おや――』
腕を掴んだまま回すように傀儡人形と化した彼女を神谷は投げ飛ばした。そして右の手に握るは鉄製の剣。天高く掲げた刀身がエリアの照明を反射させた。その剣撃はリーチの制限などない。やや前方で横たわった彼女へとその剣撃が伸びたのだった。
「ぁ……」
「……おやすみ」
渾身の力で振るわれた神谷の一撃がシルフィーとよく似た何者かを跡形もなく切り刻む。彼は知っていたのだ。殺めることでしか救うことのできない者もいることを。そして同時に恐れていた、そのような窮地に追い込む人間という怪物を。
その狡猾さと醜さ、非道さは神谷にとってはシャドウよりも驚異であり、己の力を振るう一番の理由となる。生きたいという個人の想いを踏みにじる者は彼の正義に反していた。
『躊躇なく殺すかね。野蛮な人だ神谷 鏡君』
「黙れ。最後にもう一度だけ聞く、シルフィーをどうするつもりだ。分かりやすく言え」
『言っただろう?彼女は鍵だ。世界をコントロールするための――』
「もういい。次に顔を合わせる時は実体のお前と会える事を願う。いや……どこに隠れていても炙りだしてやる」
神谷はそう告げた後に空間を異能の力で切り裂いた。空道鉤爪を駆使し、来た時と同じくして帰路へと着いた。空間の亀裂へと飛び込むその背中を見ていた大神が静かに言葉を零す。
『神谷 鏡……成程。少しずつ実態が掴めてきたか……彼の異能の本質が』
それはシルフィー・ハネライドを生み出す為に溢れ出た九〇〇〇を超える残骸、それらを人間ではなく道具としてしか見ない大神ならではの感想。意識の発信ができない生きた屍の上に立つ成功作さえも、研究者にとっては計画の一部にしか過ぎないのだった。




