22話 契約と約束
神谷とシルフィーが安置へと転送された後、生徒一同は一度旅館内部で待機となった。神谷の容態にミリーシャ達が心配の色を見せるも、すぐ様医療室へと通されたのだった。付き添いで来たシルフィーが口を開く。
「神谷……本当にごめんなさい……私がもっとしっかり動けていれば…」
「仕方ないよ、それよりも腕は大丈夫か?時に痛みを過剰に認識してしまった人が、一時的に動かせなくなったりすることもあるんだが」
「それは大丈夫……神谷は?」
「生きてるんだから大丈夫だよ。五分もあれば全部元に戻る」
それだけ言った後に神谷は、旅館に勤める医療関係者の人に連れられ直立したまま入るカプセルのような機械へと身を委ねる。これはメディカルセンターによって形や性能に差はあれど、損傷した肉体データの復旧を行う装置だ。
入学時点で神谷の肉体データのバックアップは学園にも渡してある。故にそのデータを元に神谷の体、その傷は五分程で元へと修復されたのだった。
「さてシルフィー、部屋に戻る前に少し話さないか」
「うん……私も、神谷に聞きたいことがいっぱいある……」
「……お互いに言えないこともあると思う。それを踏まえて答えられない事はそうとはっきり言ってくれて構わない。俺から聞きたいことは一つだけだ」
旅館内部の人気の少ない場所までゆっくりと並んで歩く二人、その廊下の一角で神谷は足を止めて振り返った。向き合う両者、その視線が交わる。
「被検体九〇六五ってあの男がシルフィーの事を言っていたが、君は何かの実験を受けていたのか?」
「……私も詳しいことは分からない。でも……それでも私が意図的に作られた人間だってことは……多分間違いない、かな?」
「作られた?」
「……私には五年以上前の記憶がないの。私にあるのは大きなビーカーの中にいた頃の記憶からしかない」
小さくも紡ぐその声に神谷は驚愕の表情を浮かべる他なかった。シルフィーの言葉が真実だとすれば、それは世界から見ても禁忌の領域であり、道徳的にも倫理的にも到底許される行いではないのだ。
「シルフィーは……クローンってことか?」
「分からないけど……多分少し違うと思う」
「本人にも真相は伝えていない……か」
「神谷は……何者なの?ただの生徒……ではないよね……?」
彼女の問いかけに神谷は少し躊躇う。自身の存在について話して良いものなのかを言い淀んでいた。だがシルフィーがケーニスメイジャーにとって、何か大きな意味合いを持つ可能性があると考えて提案を持ち掛ける。
否、異能神装を見せた以上シルフィーを野放しにすることは最早出来ない。だからこそその提案は温厚に場を収めたいという意味合いが濃かった。
「お察しの通り俺は真っ当な人間じゃない。あの蒼白の武具にも色々と聞きたいことがあると思う」
「それは……そう、だけど」
「話してあげたいんだが俺個人では決断が下せない。だから提案があるんだ」
その言葉にシルフィーが続きを待つ。
「シルフィー、君は恐らく何処かの部隊、その計画に利用されている可能性が高い。今回みたいに襲撃されることも増えると思う」
「……なんで?私……何もしてないのに……ただ言われた通りにアトックに入っただけなのに……っ」
「世界は理不尽だ。俺達が知らない所で歯車として利用される事も珍しくない。それこそ……シルフィーの死が何かしらの計画の一部ということだって有り得る。だからこその提案だ」
返事を待つ無言のシルフィーを前に神谷は続けて口を開く。
「何があっても君は俺が守る。代わりに衣食住、生活の全てをこちらの用意した場所で過ごして欲しい」
「……それは…神谷の所属する部隊……その保有するエリアってこと?」
「そうだ。そこなら暗部の手から君を守れる……いや守ってみせる。薄々気付いているんだろう?死ぬかもしれないって」
「……」
そんな言葉にシルフィーはシャドウから受けた傷口を摩った。神谷は初めて痛みと直面した時の動揺と恐怖を知っていたのだ。だからこそ彼女へとそう問いかけたのだった。そしてそれは本人が一番痛感していることだろう。
「……なんで、出会って間もない私にそこまでしてくれるの?」
「確かにうちの部隊にとってメリットがあるのか気にはなるか。残念だが俺にはリーダーの思惑は捉えきれない……少なくとも偽善活動ではないだろうな。俺個人としてはそうだな……」
「…神谷としては……?」
「約束だからだ。俺自身も含め、水面下で失う運命にある命を一つでも多く守る……偽善だろうが俺は恩師の意志を引き継ぎたいんだ」
今この瞬間に神谷が生きているという真実、それを紡いだ恩師の意志を彼は引き継いでいる。神谷 鏡という人間が裏の世界で生きし戦うことを決定づけたものだった。
「……分かった。私も……もっと生きたい、理不尽に殺されるなんてごめんだから……神谷に従う」
「俺には何も聞かなくて良いのか」
「いっぱいある。あの蒼白の篭手は何?それと神谷の異常なまでの反射神経は?そうそう、神谷が危機に直面する度に感じる生きたいっていう衝動も気になってて……後は――」
「待て、君そんなにお喋りだったか……?」
「……だって、神谷は私の味方になってくれるんでしょ?」
シルフィーは後方へと手を回し、そう言って笑顔を見せた。それは神谷にとって出会ってから彼女が初めて見せる顔。邪心の一切含まれないそれに、神谷も釣られて笑ってみせた。
「こう言っちゃなんだが、そう簡単に人を信用するなよ」
「むぅ……守ってくれるって言ったのはそっちなのに」
「悪い悪い、冗談だ。質問に答えてやりたいんだが、最初に言ったように俺個人では話して良いものなのか判断がつかないものもある。シルフィーが正式にうちで預かることになれば、殆どのことを話せると思うから待っててくれ」
「……約束だからね?」
「……約束だ。そろそろ部屋に戻ろう」
部屋に戻るために踵を返した神谷は、その背に付いてくるシルフィーの気配を感じながら心の中で安堵の息を着いた。彼女が快く保護を受け入れてくれて良かったと。
(警戒心というのがないのか否か……恐らくシルフィーがヒジリの言う守る対象であることは間違いない。こんなにすんなり行くと逆に怖いな)
神谷は癖になった疑念の抱擁を振り払うように小さく首を振る。後の仕事は全て上司の領域だと、脳の思考容量の無駄遣いをやめたのだった。それより優先すべき事、これまでの記憶データの整理を行う。
「シルフィー、あのヘルガって奴とは知り合いとか……ではないか」
「全然知らない」
「だよな……」
当時のヘルガという人物は口振りからも神谷のことを知っていたようだった。レーヴァテインとして活動した際、他部隊の数々の目論見を阻止してきた手前それは不思議ではなかった。神谷が解せないのはヘルガとの接触以前の事。
地下空間へと誘う想像の刃、あれはヘルガによるものでは無いことが神谷の中で確定していたのだ。それは扱っていた蒼白の日本刀が物語っている。何せ異能神装は直結命令による最大の恩恵なのだから。
(床を砕いたのは間違いなく創術だった……直結者は創術は使えないはず。となると、今回の件は部隊規模のものが裏で動いてるな)
シルフィーという存在が邪魔な為に死を持って消し去りたいのか、はたまた別の意図があるのか、今の神谷には彼女に這い寄る不穏な正体は掴めない。何よりも情報が不足してすぎていた。だからこそ彼女へと問いかける。
「不躾で悪いんだがシルフィー、君の所属は?」
「えっと……シリウス……神谷は?」
「悪いな、禁則事項だ。シルフィーの保護が確定されればそれも言えるから待ってくれ」
「……神谷、秘密多すぎ」
『シリウス』
ケーニスメイジャーにとって最も正統派で数の多い部隊、それがシリウス。その多くは水面下で陰謀を図ることはなく、言わばケーニスメイジャーという国の治安を維持する警察、自衛隊のような役割を担う軍事部隊であった。
そしてそこに所属するシルフィー。また神谷はシリウスという部隊にはきな臭い噂がある事を知っていた。表立って治安を守るシリウス、法を厳守するが故に強行策に出にくい部隊でもある。
(眉唾ものだが……シリウスの暗部の存在を考慮するべきか)
「神谷?どうしたの……難しい顔して……」
「あぁ、なんでもないよ。言えないことが多くて悪いな」
シリウスが法の下でケーニスメイジャーの治安を維持している事は間違いではない。だがそれだけでは捌けぬ輩がいることも事実。だからこそ神谷達レーヴァテインはシリウスの裏に、武力行使も厭わない暗部の存在がいると予想していた。
だがヘルガや地下空間へと誘った創術の使い手がシリウスの暗部と決めつけるにはやや早計だとも神谷は思う。故に彼は一つの決断を行った。情報が不足しているならば集めれば良いと。すなわちシリウス本部への潜入を決めた事を意味する。
「シルフィー、恐らく俺は君の個人情報を集めることになると思う。問題はないか?」
「……別に、困るような事はないけど…?というより、気になる事があるなら直接言うよ」
「いや、シルフィー本人も知らない君の全貌を暴くんだ」
「私も知らない……事?」
「作られた人間って言ったろ?なら……シルフィーが生まれた事に特別な意味があるはずなんだ」
「生まれた……意味…」
神谷は知らなかった。偶然にも口にしたそれは、シルフィーが最も追い求めている答えだと言うことに。だからこそシルフィーが続けて言う。
「私も……知りたい。何のために作られたのか……鼓動以外に……明確な存在意義が欲しい」
「……手に入れた君の情報は全て伝えることを約束するよ」
一つの作戦決行を胸に、この日はシルフィーを部屋へと送り届けることとなる。そして一方その頃、神谷の仲間である龍奈が窮地に陥っていることなど、今の彼には知る由もなかったのだった。




