20話 蒼白の異能、もう一人の直結者
普段は表情にも感情をあまり出さないシルフィーの悲鳴に、それを見ていたミリーシャ達の曖昧だった恐怖感が煽られた。右の腕を押さえ、苦悶の表情で蹲るシルフィー。追撃のために振り上げられたシャドウの左腕に反応を示したのは神谷だった。
「シルフィー!!下がれ!!」
右手に取り出した散弾銃が鉛玉を射出し、輪郭の曖昧な黒い霧を揺らす。シャドウに物理攻撃は有効打にはならない。神谷はそれを分かっていながらも引き金を絞らずにはいられなかった。
煙を手で煽った時のように揺らめくシャドウの体、弾丸が霧のようなそれを散らすことによって一時的に追撃の手を止める。その隙に神谷はシルフィーを無理矢理立たせた。
「しっかりしろシルフィー!!」
「……痛い…の……腕が……っ」
「落ち着いて深呼吸しろ……っ!まずは相殺術壁を貼り直すんだ」
「っ……」
震えるシルフィーの両肩へと手を乗せた神谷がそう言う。そしてミリーシャの声が事態の悪化を伝えた。
「神谷!!シャドウが増えてる!!囲まれてるわ!!」
「最悪だ……っ!」
ミリーシャの言葉に横目で戦況を確認した神谷へと冷や汗が伝う。蠢く死の届け人が一同を取り囲むようにその数を増やしていた。この地下空間に蔓延るシャドウが痛みの悲鳴に集まったのだった。
(シルフィーの悲鳴に寄せられたのか……っ!)
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「諸月!!」
シルフィーと同様にシャドウに接触を許した諸月が悲鳴を上げた。尻もちを着いた彼が手をかざし、創術の展開を試みるも何も起きないことがより深い混乱へと招く。
「糞っ!!なんでだよ!?なんで創術が使えないんだよ!!」
「落ち着け諸月!!他の奴らも落ち着いて回避に専念しろ!!」
冷静さを欠いた諸月が創術を展開出来ないのは必然だった。想像を投影する演算以上に脳細胞が恐怖の叫びを優先させてしまうのだ。そして諸月以外の者にとっても恐怖が創術に悪影響を及ぼしていた。
それはミリーシャやセラの放った創術の精度も著しく低下していた事を意味する。狙った場所へと己の矛が飛ばない。上手くいかないという焦りが悪循環を生み出す。事態の悪化は生物的な死を迎えかねないと危惧した神谷は手に拳銃を取り出したのだった。
「悪く思うなよ……っ!」
「がっ――」
痛みに溺れてかけていたシルフィーが、神谷の意外な行動に一瞬だけ我へと帰った。響いた発砲音と共に弾丸が諸月の頭部へと伸びたのだ。相殺術壁なき今、ただの拳銃でも彼を無力化することは容易だった。
「神谷……何を?」
「試験どころじゃない!!一回死んで先生に直接協力要請をしてきてくれ!!肉体転送の間は俺が守る!!」
地に伏せて動かなくなった諸月の肉体へとシャドウが這い寄る中、神谷は再びそのシャドウへと散弾銃を散らす。肩に手を回して神谷の腕の中に抱えられていたシルフィーの表情は驚きを隠しきれていなかった。突然の引っ張るような彼の動作に小さな悲鳴が零れる。
「きゃっ!!」
「少し派手に動くことになる……っ!捕まっててくれ!」
半身になることでシャドウの攻撃から己とシルフィーを守った神谷が両手の武器を一旦消し去った。横抱きでシルフィーを持ち上げた神谷、その言葉の意図をかろうじて汲み取った彼女が神谷の首へと腕を回す。
「シャドウの数は……七か……っ!」
「神谷……っ!」
「しっかり捕まってろよっ!!」
「っ!」
波状攻撃のように代わる代わる繰り出されるシャドウ達の攻撃に対し、神谷はシルフィーを横抱きしたまま最小限のステップで躱し続けた。
直結命令の恩恵を持ってしても、シルフィーを抱えたままでは完全に躱すことは難しかった。浅く浮かび上がっていく傷、神谷のそれを見たシルフィーの脳裏に痛みが蘇る。
「神谷……っごめんなさい……私のせいで……っ」
「こんな浅い傷大したことないっ!諸月の肉体転送が終わったら次はシルフィーを――」
一人ずつをあえて殺すことで安置に送り届けようとした神谷だったが、複数体のシャドウが猛威を振るうこの場に変化が訪れた。暗闇に慣れた目には強すぎる眩い光と共に一人の声が響いたのだ。
それは転送の光。シャドウの猛攻を潜り抜ける神谷が転送されてきた者を尻目に捉えた瞬間、転送者の声が語りかけた。
「おいおい、お前がいるとか聞いてないぜぇ?」
「誰だ……?」
突如として現れた男の言葉はどう見ても神谷に向けられたものだった。暗闇の中でも微かに見えたその表情からも、神谷は協力関係にある人物とは程遠い印象を抱く。むしろその逆、敵対者として警戒を最大限まで引き上げた。
「とりあえず一般のガキは邪魔だな」
ただ一言そう告げた男はシャドウを潜り抜けてミリーシャへと一瞬で距離を詰めた。そして左手には眩く蒼白の光。男は出現させた日本刀を模した武器を手に、鞘からその刀身を抜いたのだった。
「何を――」
「死んどけ」
鞘を投げ捨てた男の振るった刀身、それがミリーシャの相殺術壁をいとも容易く砕く。流れるように左手に取り出した鉄製の剣が晒し首を跳ね飛ばした。
近くで一部始終を見ていたミドリが吠える。
「ミリーシャ!!」
「お前も死ね。仕事の邪魔なんだよ」
「っ!!」
螺旋の想像を刀身に纏わせたミドリが距離を詰め、男へと刀を振るうもそれは容易く砕かれた。蒼白の刀身を持つ男の日本刀がミドリの剣共々相殺術壁を割る。そしてミリーシャと同じくして左の剣に命を奪われたのだった。
「何あいつ……!」
焦りを抱いているセラはそう言いつつも一つの変化を感じ取った。先程までは無差別に襲いかかっていたシャドウが、何かに引き寄せられるように男へと興味を示していることに。
だがそんな驚きも束の間、同じくしてセラも男によって地に伏せた。あまりに慣れた手つきで三人を屠った男をただ黙って見ていた神谷が口を開く。そして最もその近くにいたシルフィーは神谷の纏う雰囲気の変化に気が付いていた。
試験会場や遠征宿泊訓練、そして日常の頃とは違う神谷の雰囲気。それは裏の世界だけで見せる本来の彼自身の闘気。目の前の男を本当の意味で仇なす者と捉えた証だった。
「……お前、何が目的だ」
「分かってんだろ?神谷鏡」
正面に捉えた男は背後から迫り来るシャドウに目も向けず、ただ右手に持つ蒼白の刀を振るった。襲いかかっていたシャドウが霧散すると同時に男は不敵な笑みを零す。
「その女を渡せ。出来ればあんたとは戦いたかねぇんだわ」
「断ったら?」
「裏の業界を知り尽くしてんだろ?そうなりゃ実力行使だ――」
シャドウを掻い潜るように疾走した男が一瞬で神谷との距離を詰めた。そして振るわれた蒼白の刀身を前に神谷は強くシルフィーを抱き寄せる。本物の実戦、その火蓋が切られた瞬間だった。
屈み込んだ神谷の頭部、敵の刀身がその間際を通り過ぎたかと思えばすぐさま折り返しの刃が襲う。神谷がシルフィーに両手を捧げて反撃に移行出来ないのをいいことに、男は猪突猛進の如く猛攻を浴びせ続けた。
「……シルフィー、あいつらみたいに強引な転送をしても大丈夫か?」
「神谷……?」
男の攻撃を紙一重で躱し続ける神谷、その制服に切り裂かれた跡が増えてゆく。そして決して間合いの外に神谷が行くことを許さぬまま男がその攻撃の手を止めて言った。相も変わらず不敵な笑みを添えて。
「ははっ、神谷鏡!レーヴァテインが特別な部隊だろうがお前らでもその女は手に負えねぇよ。目を通す時間くらいならくれてやる」
「……文書データ?」
敵対者から直接神谷へと転送された文字媒体のデータ。それにはシルフィーがただの一般人、生徒ではないことを証明する異常な一文が記されていた。
『被検体九〇六五を持って実験の成功とし、以下被検体の権限、その一部をヘルガ・スウィスに渡すものとする』と。
「読めたか?自己紹介がまだだったなぁ……っ!」
「被検体の権限の一部……?何を言っているんだお前は!!」
「俺がヘルガ・スウィスであり、その女のCPUのセーフティ、その一部を弄れるって事だ――」
何かの操作を終えた男が左手に持っていた唯の剣を虚空へと消し去った。そして構えるは唯の拳銃。躊躇なく絞られた引き金に神谷の意識が引き戻されたのだった。
男の発砲に対して神谷が回避行動を起こすも、文書の意味を読み取ろうとしていたせいか僅かに反応が遅れた。故にシルフィーの肩へと弾丸が掠める。
「うぅ…っ!!」
「シルフィー……?ただの弾丸だぞ……?」
「言っただろ?セーフティの一部を弄れるってな」
「まさかお前……っ」
「ようこそ、擬似的な直結の世界へ」
その言葉で神谷は全てを理解した。シルフィーはたった今、CPUの一部機能である痛覚緩和を失ったことに。生命データを貪り、傷を着けるシャドウの攻撃ならば彼女が悲鳴を上げてもなんら不思議ではない。
だが男の放ったただの弾丸に痛みを訴えるかのようなシルフィーのくぐもった声。それが示す意味など考えるまでもなかった。シルフィーはヘルガという敵対者によって、CPUの保護機能を失ってしまったのだ。すなわちそれは全ての攻撃に対して痛みが伴うということ。
「シルフィーをどうするつもりだ?返答によっては……」
「怖い怖い。言っとくけどこれでも俺達は世界のためにやってんだぜ?しゃしゃり出てきてんのはレーヴァテインの方だよなぁ」
「もういい、お前の記憶データに直接聞くことにする」
そこまで言った後に神谷はシルフィーを静かに降ろした。シルフィーに痛覚の緩和がなくなった今、神谷にとって彼女は『保護対象』となった。それが意味するは、現在の彼女は直結命令という現象に極めて陥りやすいということ。
だからこそ神谷に本物の矛の使用を許すことになる――
会話の内に迫っていたシャドウ達、それを一蹴するかのように眩い光と剣撃が神谷から放たれた。荒涼級の青年を中心に、傍らにいたシルフィーすらも守るように放たれた剣撃。睨む神谷の眼光がヘルガへと突き刺さる。
「レーヴァテインの真打、神谷鏡とやり合うことになるなんざぁあれだな。ボーナス貰わねぇとな」
「シルフィー、俺の傍を絶対に離れるなよ。君にはシャドウも、あいつからも指一本触れさせはしないから」
神谷の構えた剣、それを握る手に蒼白の篭手が煌めく。それはシルフィーがまだ知らぬ輝きであり、追い求めていた答えの片鱗だった。そして人はその蒼白の武具をこう言う。
【異能神装】と。




