15話 特異点たる幼女
時は遡り、新入生が二日目の朝を迎えた頃の事だった。他の生徒の誰よりも早くに登校を済ませた少女、久莉空 奏は職員室にて驚きの表情で声を出せずにいた。
「職員室も理事長室も何も起こってないよ?」
「えぇ?いや……そんなはずは…っ!」
一人の教員の言葉にそう返すも、通された理事長室を目の当たりにした奏は、更に深く驚くことになる。そこは教員が口にしていたように無傷だったのだ。
「そんな……っ!だって私は実際にその不審者と対峙したんですよ!?監視映像のデータは…っ!」
「奏さんがそう言うくらいだから勿論見たよ?でも……不審者どころか奏さんの姿も写ってないけど……」
「嘘…っ!」
教員クラスのみに許された権限である、学園の監視映像のデータ、その閲覧。これは学園内全てのエリア、その大気に含まれた粒子情報の集合体を指していた。
数えるのも馬鹿らしくなるほどの無数の粒子、それらが受けた変化を統合し、可視化できる映像へと変換を行う。テイルニアにおいての監視カメラとは、大気を漂う粒子の変化、その膨大な反覆演算によるものなのだ。
事実として奏の瞳に映る昨晩の理事長室の映像には、誰一人として姿を映してはいない。狐につままれたような不思議な事態に少女は顔を曇らせた。何せ映像が昨夜の事を偽りだと主張しても、奏は霧にくらまされた真実の欠片を持っていたのだから。
(どういうことなの?昨日のことは夢だった?そんなわけない……っ!だったら私の持ってるこれはなんなのよ……っ)
奏にしか見えないメニュー画面、その中の所持品の欄に並ぶ二つのデータ。折れた刀身の切っ先と黒い髪の毛。彼女は面の男が逃亡した後、忘れ去られていたその二つの証拠を手にしていた。
「もしかしたら疲れてるのかもしれないわね。ほら……?天剣は色々と大変だから」
「……っ」
まるで奏がおかしいのだと、心配するように覗き込んだ教員から彼女は目を逸らした。そして己の正常さを弁明する証拠の提示をやめた。否、そもそも映像に何も残っていないならば、その二つの道具すらも自作自演だと疑われる可能性を危惧したのだ。
(何か……この学校の水面下で良くないものが動いている気がする……)
奏自身が行き着いた推測、一つの可能性。学園が揉み消したという可能性を考慮し、自身が手にした最も明確で、信用出来る証拠を守ることにしたのだだった。
(学校が何か隠したい事実があったとするなら……髪と刀身を私が持っているのは良く思わないはず)
そんな思惑を胸に職員室を後にする奏。早朝で周りに誰もいないにも関わらず、辺りを見回した後に折れた切っ先を物質化させた。左の親指と人差し指に挟まれ、光を反射する肘から手首程の刀身。
(データ的にも平凡な剣なのに……)
所持品のデータ詳細、二進数の与える視覚情報から奏が読み取ったのは、なんの変哲もないただの鉄だった。ただの鉄だからこそ、より浮き彫りになる昨夜の戦闘情景。平凡な剣にあのような芸当が出来るわけがないと、奏をより不思議な世界へと陥れる。
(あの篭手に秘密があるのかしら……?いや、考えても無駄ね。あいつの尻尾を掴めば、学園の裏の顔にも近づける気がする)
「どうしたんだよボス〜、難しい顔してんだろどうせ〜」
「っ!」
突如背後からかかった声に奏は折れた刀身を虚空へと消し去り、振り返った。自身と同じくして純白のブレザーを纏う男性、狐の面をナナメに取り付けたその者が気味の悪い笑みを浮かべていた。
「あれ?当たってた?なにそんな焦ってんの?」
「クラヴィス……っ!驚かせないでっていつも言ってますよね!!」
「ボス〜、敬語……出てるよ?」
「誰のせいよ!!」
誰が見ても今の奏が怒っていることは一目瞭然だろう。一般の生徒ならば天剣第一星の怒りなど畏怖してしまうかもしれない。だが目の前の男性、クラヴィスはそうではなかった。終始イタズラじみた笑みを崩さず、眉間にシワを寄せる第一星にも怯みを見せない。むしろ顔を近づけ挑発するように舌を伸ばした。
「怖い怖い、それよりこんなに朝早くからどうしたんだよ?先公からまたパシられたか〜?」
「違うわよ。そういうあなたこそ早いじゃない」
「ああ、ちょっと拾いもんして置き場に困ってたんだ」
「拾いもん?」
首を傾げた奏に応えるように、面をナナメに取り付けた男性クラヴィスは己の能力を解いた。想像の力、その制御から解き放たれた空間が歪み、この場に三人目の姿を表す。クラヴィスの背後で裾を掴み、伺うように奏を覗く一人の幼い女の子が。
「……クラヴィス?あなた……ロリコンだからってついに――」
「違う!!決めつけるのが早いんだよ馬鹿が!!あとロリコンじゃねぇ!!」
吠えるクラヴィスを無視するかのように屈みこんだ奏が、その背に隠れるように佇む女の子へと微笑を向けた。怯えるその子に怖くないよと、そう伝えるかのような柔らかい笑顔だった。
「私は奏って言うの。あなたは?」
「……シトラ、です」
震える声でそう答える幼い女の子、その様子は怯えに満ちた紫の瞳を見ても察するに余りあった。極力怖がらせないように努めたはずの奏さえも、そんなシトラの態度に焦りを抱えることとなる。
「こ、怖がらせちゃった?」
「ボス、顔がこえーんだよ」
「はぁ?」
悪態を着いたクラヴィスに優しさを映した彼女の表情が変わる。だがそれさえもシトラをより恐怖に陥れるものになってしまうのだった。クラヴィスの背に完全に隠れ、それと共に揺れる白に近い金色の髪。申し訳なさそうな表情に変わった奏を見かねてか、クラヴィスが顔だけを背に向けて言った。
「シトラ、このお姉さん顔は怖いけど優しい奴だよ。怯えなくて平気だ」
「ほんと…?」
「あぁ、俺が嘘言ったことあるかよ?」
「クラヴィスにぃ、嘘しか言わない……」
シトラの一言に表情が固まったクラヴィス、続けて奏が。
「こいつは確かに嘘ばっかり言うけど、幼い女の子にだけは嘘は吐かないのよ?シトラちゃん」
「ほんと……?」
「信用して、なんて言うつもりはないけど、危害を加えるつもりはないわ。それは信じて欲しいな…?」
終始笑顔のままそう言い終えた奏は立ち上がり、打って変わった鋭い眼光がクラヴィスの視線と交わる。そしてその少女の行方を問う。半ばクラヴィスの考え、要望を分かった上での問いかけだった。
「で?この子をどうしたいって言うの?」
「分かってんだろ?天剣の寮に住まわせてやりたいんだよ」
アトックには数多くの生徒がいるが、その中の半数以上は学園の提供する寮を利用している。天剣も例外ではなく、その称号を持つ者は利用費の免除が約束されていた。
現在七名の天剣全員がその寮を利用していることもあり、クラヴィスの言葉の意味を汲み取った奏は溜息を零した。彼女が彼へと言葉にした印象を差し引いても、年端も行かない少女と男がひとつ屋根の下で暮らすなどあってはならない。
特にこの男、クラヴィスに限っては到底許されることではないと察した上で奏は言った。
「私か燐に預かって欲しいってこと……?そもそもこの子どこから預かって来たのよ」
「話が早くて助かる。出処はあれだ、まぁ……身寄りのない子だったから偽善活動的な?」
(十中八九嘘ね)
クラヴィスという人物は、嘘や虚言で組み立てられたような存在だった。故に奏はこの男の言葉の殆どを信用していない。ただそれでも害を成す嘘を言わないことだけは知っていた。
嘘で固めた発言、その奥に確かに存在するのはいつも同じ。誰かのための自己犠牲が含まれていることを奏は知っていたのだ。シトラの詳しい事情を話すことで奏自身にも面倒事が起きるかもしれない、そんな彼の意図を分かっているからこそ、何も言及しなかった。
「言い分は分かったわ。でも今日は流石に寮に戻る時間もないし……それに明日からだって学校のある日はどうするのよ?寮に一人っきりって訳にもいかないでしょ?」
「俺達いつも何してると思ってんだよ?授業免除にかまけてお茶と雑談しかしてねーだろ」
「ずっと学校に連れてくるつもり!?」
「むしろ俺達の傍に置いておく以上に安全な場所なんてないしな。まぁ仲良くしてやってくれや」
クラヴィスの開き直った態度に頭を抱えた奏。そしてそれと同時に彼の言葉から、シトラはただの女の子ではないのだと悟った。故に彼女は抑えていた疑念を口にする。シトラとは何者なのかと。
「追われてるってこと?いくらクラヴィスの頼みでも話してもらわないと承諾できないわ」
「俺も詳しいことは分かんねぇよ。分かってるのは二つ、ひとつはこのガキがケーニスメイジャーにとって特異点って呼ばれてること。もうひとつは……」
「もうひとつは?」
「……『シャドウ研究会』がこいつを狙ってる。どっちもどういう思惑があるのかは分からない。以上だ」
クラヴィス、奏、両者共に既にケーニスメイジャーの一員であり、彼の発言の意味は上層部から託された任務だと奏は受け取った。だがクラヴィスが相手だからこそ、しっかりと言葉に起こして確認を行う。
「任務ってこと?」
「あぁ」
だがそれも無意味な行動だと、後になって奏は思い出す。クラヴィスという人間は信頼は出来ても信用してはならない。同じく天剣という輪に属していても、彼は真意を人には絶対に話さないためだ。
彼が得意とする真実をぼかす嘘。それに奏が気付けたのはいつも事が済んでからだった。此度のシトラの件もこの場では真実に触れることはできない、そう悟った奏はひとつの決断を下す。
(シャドウ研究会が動いてるなら私も他人事じゃない。クラヴィスを経由しても時間の無駄だし……本部に直接聞いてみるしかないわね)
シャドウ研究会、それは奏にとっての敵対者。否、最大人口を誇るケーニスメイジャーにとっても看過できない過激派集団の名称だった。
化学の発展を進め、テイルニアという二進数の世界に人類をはめ込む技術を持ってしても、『シャドウ』という存在は計り知れていない。大多数の者が死を超越した世界で、ただひとつ死を与える存在、それがシャドウ。
(フィネアさんの仇は……私が取る)
ケーニスメイジャーに属する部隊のひとつ、『シリウス』にとってシャドウ研究会は因縁の相手であり、そこに所属する奏にとっても戦う理由がある。表の部隊で脚光を浴びていた天剣第一星は、苛烈な領域へと踏み込まんとしていたのだ。
強さすら挫きかねない、裏の世界へと――




