父親は偉大
目を覚ますと、ベッドに寝かされていた。何が起きたんだっけ、とぼんやり考えていると、あったことを思い出す。ここはどこだろうと辺りを見回してみる。王宮の一室らしいことが分かって、なるほど、と納得した。
アラン王子は私のことを王宮に連れ戻したのか。あの光は移動魔法の光だったのだ。そう納得して体を起こす。いつの間にか寝巻きに着替えさせられていることに気づく。誰が着替えさせたのかについては深くは考えないでおく。
とりあえずひどく喉が渇いていた。水でも飲もうと、床に足をつけて、誰も周りにいないことを不思議に思った。
私は王太子の婚約者だ。アリを私の侍女から遠ざけたとしても誰かはつくはず。誰もいないことに背筋が寒くなって、扉に向かう。取手を引っ張ってみてもびくともしない。何度かガチャガチャとやってみれば扉の外の護衛が気づくかもしれないと思ったけれど、外からはなんの声かけもない。
それならとバルコニーに近づく。バルコニーに出る扉の取手を引っ張っても全く開かない。ガチャガチャと多少乱暴に回してもびくともしない窓に苛立って、生まれて初めて窓を思い切り叩いた。自分の掌が痛くなっただけで、窓にはヒビも入らない。
「望むところよ」
自分の中で何かが燃え上がる感じがした。苛立ちを超えたものに、自分自身で驚く。私はこんな激しい感情を持ったことはなかった。誰よりも正しく優雅であれ、とされた教育に、怒りの感情は入っていなかった。
きっと、アリが私をアラン王子が連れ去ったことをお父様やお兄様に報告しているだろう。そうなると、セレス王子にも報告は行っているはず。王宮の一室だとは思うけれど、本当にこの部屋が王宮に存在しているのか怪しい。
みんながきっと私のことを心配してくれている。こんな勝手は許されない。一国の王子の婚約者の行方不明なんて、国民にも心配を与える。自分の思いを受け入れてもらえないから、連れ去るだなんて、自分勝手もいいところだ。燃え上がる怒りに身を任せて、もう一度窓を叩いた。掌が痛いけれど、どうだっていい。
部屋の中でおとなしくしていると思ったら大間違いだ。みてろよ。誰にともなく心の中でそう言って、部屋にあった椅子を持ち上げる。椅子を持ち上げたことも生まれて初めてだ。でも、部屋の中にあるもので一番窓が割れそうなものはこれだ。
椅子で窓を思い切り叩いてみても大きな音が鳴るだけで、窓にはヒビも入らなかった。もう一度思いきり椅子をぶつけてみても、何も変わらない。腹が立っても何もできないんだな、と思うと情けなさが積もる。
この部屋から出たい。そしてみんなに無事を報告したい。セレス王子が冷静であってくれればいいけど、次期国王に対する反逆罪だと取られてもおかしくない。そうなれば、アラン王子はどうなるんだろう。アラン王子はレヴェールに婿にいくことが決まっているし、下手をすると二国間同士の争いにもなりかねない。
私を連れ去ったことに関して、お兄様やお父様はどう対応されるんだろう。二人が黙って見守っているとは思えない。
ここまで誰も来ないとなると、この部屋は魔法で隠されているんだろう。そうなると魔法で魔法を破るしかないけれど、私に使える魔法は自分に防護壁をはるくらいだ。
「気分はどう?」
床に座り込んだまま考えていると、いきなり声が聞こえてきた。その声に顔をあげると、アラン王子が扉のすぐそばに立っている。腹が立ちすぎて口もききたくない。そのことを言外に示すように、アラン王子に対して挨拶をするでもなく、ふい、と顔を逸らした。
「よくないみたいだね」
アラン王子はそんな私をみてそういうと、私のすぐそばに近づいてくる。
「床に座り込んでいると冷えちゃうからね」
ふわりと体が浮いて、私のことをしっかりと立たせてくれる。それにお礼を言うでもなく、私は目を逸らし続けた。アラン王子がしていることを理解できないし、したくもない。レヴェールとリモンの間に、何か問題が起こったらどうするつもりなのか。二つの国の国民に対して悪いと思わないのか。言っていたこととやっていることが違う、と批難する言葉はたくさん浮かんでくる。
「ここから出してください」
「第二夫人になる決心はついた?」
「何をお考えですか。反逆罪になったらどうなさるおつもりですか」
「国のことはどうでもいいんだ。いざとなったらリリアと二人で国を出てもいい」
真剣にそう言ってくるアラン王子に呆れてものが言えなくなった。私とアラン王子が国を出てどうやって生活していけるんだろう。私たちが今生活できているのは国のために国民が収めてくれているお金があるからだ。そして私たちは、その国民が収めているお金に足りる働きをするべきだ。
12年間、私が尊敬していたのはこんな人だったのか、と思うと徒労感が押し寄せてきた。とりあえずここを出るためには、私ができることはなんだろう、とアラン王子を見つめる。アラン王子は赤い瞳で見つめ返してくる。
「セレス王子との婚約を破棄するためには、国王と王妃のお許しが必要です。そのお許しはもう?」
「まだだよ」
「なら、私は決心がつきません。12年間王室につくしてきました。いきなり、自分の意志で王室に反旗を翻すことはできません。お許しがないと」
そう言って目を逸らすと、アラン王子は何かを考えているようだった。とりあえず王と王妃にアラン王子があえば、目も覚めるかもしれない、と思ってのことだったけど、ちょっと狙いすぎたかもしれない。
「なら、王命をもらってこよう」
「私もご一緒したいです」
そう言うとアラン王子は黙って首を振った。一緒に連れて行ってくれれば、ここを出られると思ったのに、と舌打ちをしたい気分だった。ちなみに舌打ちも生まれてから今まで一度もしたことがない。
「リリアはゆっくり休んでおいで」
そう言われてベッドに促される。潜り込んで、アラン王子がいない間にできることがないかと考えたけれど、できることは本当になさそうだ。アラン王子が出ていく音がして、部屋に一人きりになると、私はすぐに起きてベッドから降りた。
私って、怒っても何もできないんだな、と思うと情けなさで涙が滲む。ここで助けを待つしかないのか、項垂れたけど、そういえば、と思い出す。最近できるようになった魔法の一つに、自分の位置を知らせると言うものがある。
もしかしたら助けてもらう時の、手がかりになるかもしれない、と魔法を展開しておくことにした。アラン王子がきたら、遊んでいたと言い訳しよう。
小さな魔法を展開しながら、扉の前に座り込む。床に座り込んだこともこれまで数えるほどしかない。自分がアラン王子の婚約者だとはっきり認識したのは、いつだっただろう。
思い返してみても自分の小さな時の思い出ははっきりしていない。毎日身につけなければいけないことが多すぎた。先生たちは優しかったけれどやっぱり厳しくて、泣いてしまうことも多々あった。
教室を飛び出すことはなかったけれど、習い事の間の休みの時間に裏庭でよく泣いていた。泣いてはいけないと思えば思うほど涙が出て、家に帰りたいと思った。小さい時の私は自分がなぜ王宮にいるのかも理解してなくて、お母様とお父様が私の様子を見にきてくれるたびに、帰りたい、と泣きついたものだった。
べそべそと泣いている時に慰めてくれる人はたくさんいた。未来の王妃様になるんですよ、と教えられても、それを嬉しいとは思えなかった。アラン王子とは頻繁に会っていたけれど、それは顔を合わせる、と言う方が正しかった。アラン王子も未来の王としての教育で忙しかった。
そう言えば、私が裏庭でぼんやりしていると、度々セレス王子が私のすぐ近くに来ていた。何も話しかけてはくれなかったけど、なぜかある一定の距離を保って近くにはいてくれた。
私も泣いているだけで話しかけたりはしなかったけど、今思うとあれは見守っていてくれたのかもしれない。
そう思ったら心が温かくなった気がした。膝に額を押し付けて、ため息をつく。早くここから出て、みんなのことを安心させたい。
ピシッと言う音がしたのはその時だった。ピシピシという音はどんどん大きくなっていって、私が驚いて扉から後退りしたのと同時くらいに扉が勢いよく開かれた。
「リリア」
勢いよく開かれて入ってきたのは後ろにラルとシリルを連れたセレス王子だった。私はホッとして、私は床に座り込んでしまう。その私にすぐにセレス王子は自分の上着をかけてくれた。
「怪我は?」
「ないです」
「なら、すぐにここを出よう」
セレス王子が私のことを立たせると、ラルとシリルが開いた扉から外に出る。外だと思っていたそこは真っ暗な暗闇で、私は思わず足がすくんだ。
「アランが作った空間だから、暗いんだ。大丈夫」
セレス王子が私の腕を引いて前を歩いてくれるから歩けるけれど、私だけだったらどうにもならなかった。空間を作れるなんて、アラン王子はそんなに魔法に長けていたんだ、とへんに感心してしまう。それと同時に、私一人では絶対に出ることができなかったことを思って、ゾッとした。アラン王子がその気になれば、私のことをここに一生閉じ込めておくこともできるんだろう。
「アランに気づかれると、まずいからね」
「セレス王子、お早く」
いつの間にか前を走っていたシリルがセレス王子にそう声をかける。その言葉にセレス王子が、私のことを持ち上げる。抱き上げられたことに驚いていると、すぐそばにあるセレス王子が安心させるように微笑んだ。
「ごめんね」
私の足が遅いのがいけなかったな、と思っていると光が見えた。あそこに向かって走っているんだな、と思ったらぐんと走るのが早くなる。思わずセレス王子に掴まると、セレス王子が笑った気がした。光がどんどん近づいてきて、私たちはその光の中へ躊躇なく飛び込んだ。
体が一瞬浮いた気がしたけど、それよりも衝撃の方が早くきた。恐る恐る薄目を開けると、私はセレス王子抱えられたまま、王と王妃の御前にいた。
「ラル、何もここに繋げなくてもいいだろう」
「事情の説明が楽かと思いまして」
しれっとした感じでラルが言う。もしかしてラル怒ってるんじゃないだろうか。ラルって怒るとあんなに表情がなくなるのね、と思っていると、セレス王子が私のことをそっと下ろしてくれた。
寝衣のことに気づいて、慌てて膝を折る。
「何があったの?」
ムルナ王妃が驚いた顔をしてそう訊いてくれるけど、王と王妃の御前に私たちより先にいた人に緊張して私は話せなくなった。
「アランが、リリアを閉じ込めていたようです」
「アランが?」
「先ほど、リリアとアランは思い合っていると、アランから聞いたが?」
王陛下の言葉に、私は小さくなる。確かに王命を聞いてこいとは言ったけど、アラン王子のことを思っているとは言っていない。私が黙っているとこの場は進まない。不敬だけれど、もう全て話してしまおう、と気持ちを決めた。不敬なんて、寝衣で王妃と王の前にいるだけで不敬だ。
「アラン王子から第二夫人にと打診がありました。リモンとレヴェールのことを考えると、第二夫人になることはできないと考え、お断りしました。その後、アラン王子に連れ去られました。第二夫人にとまた打診がありましたので、王陛下と王妃様に諌めていただきたいと思い、王命がないと第二夫人にはなることはできないと申し上げました。不敬をお許しください」
そう言ってもう一度膝を折る。寝衣のままなのが恥ずかしくて、セレス王子の斜め後ろに引っ込んだ。私の発言を聞いて王妃がまあ、と声を上げる。王陛下はその赤い瞳で、じろりとアラン王子を見た。
「アラン、真か」
「・・・リリアは12年間、私の婚約者でした。今更セレスの婚約者だなんて納得がいきません」
「納得して、婚約破棄を受け入れたのではなかったのか」
「レヴェールとリモンの力関係を考えれば、納得するしかありませんでした。しかし、レティシアは第二夫人をとってもいいと言っています。ならば、私がリリアを連れて行っても問題はないはずです」
アラン王子がそういうと、王陛下がじろりと私の方を見る。ムルナ王妃とはお茶会などでたくさん話したことがあるけれど、王陛下と話したことは数えるほどしかない。しかもこんなふうにじろりと見られたことはない。
「レヴェールとリモンのことを考えれば、リリアを第二夫人に迎えるなんて現実的ではないことがわかります。しかも、断ったリリアを無理やり自分が作った空間に閉じ込めるなんて、どうかしている」
セレス王子が王陛下の視線から庇うように私の前に出てくれる。それにホッとして、息がしやすくなった。この国で一番権力を持つ王陛下はやっぱり怖い。
セレス王子の言葉に、ムルナ王妃が頷くのが見えた。私はそれに対してもホッとした。アラン王子に対して、今はもう恐怖と怒りしかない。
「ベスティエ家が今回、ベスティエ侯爵令嬢がいなくなったことについて、王家に説明を求めておる。ベスティエには婚約破棄の一件から、ずいぶんこちらのわがままを聞いてもらっているのだ。それが、わからぬか、アラン」
やっぱり、アリがお父様に報告をしてたんだ、と納得した。それで、お父様とお兄様は王家に説明を求めている。アラン王子は王陛下の言葉に頷きはしなかった。ただ、アラン王子の拳がぎゅっと握られたのが見えた。
「12年、私の花嫁だと教えられてきました。今更、他の女性を愛せと言う方が無理な話だ」
アラン王子はそう言うと、私の方をさっと見た。それにぎくりとして、思わず後ずさる。もう諦めて欲しい。12年間は大きいけれど、これからの時間の方が長い。アラン王子は12年に執着している。
「リリア」
名前を呼ばれて、もう一歩後ずさる。すると、セレス王子の腕が伸びてきて、私の腰に回された。力を入れられて、セレス王子とぎゅっと密着する。思わず顔を見ると、セレス王子はアラン王子しか見ていなかった。
その瞬間だった。アラン王子から放たれた火がまっすぐにこちらに向かってくる。まさか王と王妃の御前でそんなことすることある、と私が驚いて目を瞑ると、その火の衝撃は襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、アラン王子の火に対してセレス王子が出した青い光が、その火を遮っている。よかった、と思っていると、アラン王子が左手を動かすのが見えた。
アラン王子を囲うように火が回る。まさか、と思っているとその火がどんどん大きくなる。王陛下の護衛が出てきて、アラン王子の火に対抗しようとするけれど、なかなか火は小さくならない。
「ご乱心ですね」
「まさかうちの国であるとは思わなかったなあ」
「喋ってないで働け。アランが死ぬと困る」
のんびりとした会話のように感じるけれど、アラン王子の火を抑えるのに、シリルとラルも各々の対抗魔法で頑張っている。けれど、アラン王子の火はなかなか小さくならない。ムルナ王妃が護衛に連れられて、下がるのがわかった。ムルナ王妃が下がると、王陛下がゆっくりと椅子から立ち上がる。
「アランの癇癪は久しいな」
護衛とセレス王子がいてもどんどん火の手は大きくなる。王陛下はアラン王子を困った子供を見るような目で見つめた。それから、王陛下が杖を一振りすると、炎は瞬く間に小さくなる。
「少し眠れ、アラン」
その王陛下の言葉で、アラン王子が崩れ落ちる。炎が消えた後に残されたアラン王子を王陛下の護衛たちがそっと部屋から運び出すのを黙って見送った。それをみんなが黙って見送った直後に、王陛下が膝をついた。いつからそこに?という速度でシリルとラルが支えようとしたけれど、王陛下はそれを断る。
「セレス」
「はい」
王陛下がセレス王子のことを手招きする。セレス王子が急いでそばに寄ると、王陛下はセレス王子の手を借りて玉座に座った。玉座に座った後も、王陛下は肩で息をしていた。アラン王子のあれだけの魔力を一瞬で抑えられる王陛下の力に驚愕していたけど、代償は大きいのかもしれない。
「ベスティエ侯爵令嬢、世話をかけた」
「とんでもないです」
「して、其方は誰と結婚したい」
王陛下は肩で息をしながらも、静かな声で私に聞いた。貴族の政略結婚に本人の意思は関係ないと思っていたけれど、ここではずいぶん違うみたいだな、と改めて思う。みんなが私の意思を尊重しようとしてくれている。その上で答えは出ている。
答えは出ているけれど、どう答えたらいいのかわからずに、曖昧に微笑んでしまう。
「・・・」
「ベスティエ家には迷惑をかけた。婚約破棄だけならまだしも、アランの連れ去りは言い訳ができぬ。其方が望む相手との結婚を叶えよう。」
その言葉にセレス王子の顔色が変わった。私の返答次第では、セレス王子との結婚も無くなるんだろう。王陛下の目は先ほどのじろりと見てくる感じとは違っていて、とても優しい。その優しさに背中を押されて、口を開く。
「望んでいただけることが、こんなにも幸せとは思いませんでした」
その言葉にラルとシリルが私の顔を見る。不敬よ、と思ったけれど、自分の発言はどうとでも取れるな、と思って、もう一度言い直した。
「セレス王子に嫁ぎ、この国の王妃になることが私の望みでございます。叶えていただけるでしょうか」
私の言葉に、シリルとラルの顔がニヤッと緩むのがわかった。不敬よ、ともう一度思ってから、恐る恐るセレス王子の顔を見ると、今までにないくらい顔が赤くなっていて、それだけでいいもの見たなあ、と思う。
「わかった。叶えよう」
王陛下は鷹揚に頷いた後、セレス王子の背中を結構強く叩いた。セレス王子はその痛みで我に帰ったのか、慌てて顔を片手で覆っていた。私はそれを見て、お父さんと息子ってどこもこんな感じなんだなあと思った。
 




