どうしようもないこともある
夜が来るのが怖いなんて子供みたいなことを言ってられない。言ってられないけれど、夜が来るのが怖い。昨夜、アラン王子と何もなかったことが奇跡のような気がする。アラン王子が私の意志を無視して抱きしめてきたのも初めてだし、帰る前にまた来るよ、と言われた。
また来られたら本気で困る。第二夫人の話を進められても困るし、とぐるぐる考えていたら、すっかり夕方になってしまった。
昨夜のことは誰にも言えていない。アリにもまだ話せていない。アラン王子が怖かった、第二夫人にと言われた、なんてことがお父様に伝わったら王家と侯爵家の仲が危ぶまれる。
今日はアリと一緒に寝てもらおうかしら、と考えているとコンコン、とバルコニーの窓に何かがぶつかるような音がする。咄嗟にベッドの隅に隠れてそっとバルコニーを窺うと、セレス王子がいた。
セレス王子だ、と気づいてもすぐにバルコニーに出る気になれず、これ、アラン王子が変化してるとかじゃないわよね、と訝しげな目で見てしまう。恐る恐るといった感じを丸出しに、バルコニーの扉を開けると、セレス王子が困ったような顔で私を見ていた。
「急にごめん。会いたくて」
私が怯えているのがわかるからか、セレス王子は私に近づくことはなかった。私はまだアラン王子が変化しているのではないかと疑って、それで変化が解けるわけもないのに、自分の周りに防護壁をはった。セレス王子やアラン王子の防護壁とは違って、狭い範囲でしかはれないけれど、はらないよりマシなはずだ。そう思って防護壁をはってからセレス王子に近づくと、セレス王子は困ったような顔が悲しげな顔になっていた。
「俺、何かした?」
しょんぼり、と言う表現がよく似合う顔になっているセレス王子に、これ本当にセレス王子だ、と安心して防護壁をとく。防護壁を解いても、なんだかセレス王子に近寄りがたくて、一定の距離を保った。
「何もしていません。久しぶりな気がします」
「久しぶりな気がするね。近寄ってもいい?」
それに無言で頷くとセレス王子が私の近くに寄って、手を取った。ゆっくりと手の甲にキスされて、私はセレス王子だ、と少し安心した。アラン王子なら近寄った時点で、変化を解いているだろう。
「何かあった?」
私の異変を察して、セレス王子が声をかけてくれる。アラン王子のことを言ったら良いものか迷って、言っておいた方がいいと言う決断になった。私が隠していたら、今日アラン王子が来たとしても対応ができない。セレス王子なら、なんとかしてくれるかもしれない。
「アラン王子が、昨夜いらっしゃいました。王宮での噂に疲れていると言ったら、その」
これ本当にセレス王子に相談してもいい?と口に出してから後悔が襲ってきた。アラン王子がいらっしゃいました、の事実の時点で魔力の放出量がすごい。周辺の気温が一気に下がっていく感じがする。寒いな、と思ってそっと腕を押さえると、セレス王子がため息をついて自分の上着を私にかけてくれた。
「ごめん」
短く謝られて、それで?と穏やかに続きを促される。口調もしてくれていることも穏やかだけれど、魔力の量だけが穏やかじゃない。肩にかけてくれた上着の前を合わせるように握りしめる。私だけが知っていても何も解決しない。今日アラン王子が来たら、私は何も対応できない。そう思って、口を開いた。
「第二夫人になる道もあると言われました」
周辺の温度がもう一段階下がった気がした。セレス王子の顔をこわくて見ることができない。私に対しても、もしかしたらもうちょっとどうにかしろよ、何話してるんだよ、くらい思われていても仕方ない。
「それだけ?何かされた?」
どうせセレス王子とアラン王子が話すことになったらわかってしまうのに、言う気になかなかなれなかった。私だったらいやだし、セレス王子からしても嫌だろうし、と思ってさらに俯く。それでもいつか知ってしまうのならば、私から言っておいた方がいい。婚約破棄だけはされませんように、と願いながら口を開く。
「抱きしめられました。胸を押しても離してもらえなくて」
周辺の温度がまた1段階下がる。セレス王子の顔を相変わらず見られないし、頑張って身を縮こめる。そんなことしても意味がないんだけど。セレス王子は無言のままだ。その無言がこわくて顔を上げられない。
「嫌だったね」
そっと私の頭に手が添えられる。ゆっくりと撫でてくれるそれに、俯いたまま頷いた。確かに嫌だった。アラン王子への気持ちはあのパーティーの日に断ち切った。自分の意志を無視されて誰かに抱きしめられることがあんなに怖いことだとは思わなかった。
何も言わずに頭を撫でてくれるセレス王子に、ちょっとずつ気持ちがほぐれていく。
「リリア」
セレス王子の手が私の手をとって両手で握りしめる。おずおずと顔を上げると、予想より近くにセレス王子の顔があった。屈んでくれているらしい。
「リリアは第二夫人になりたい?」
問われて、すぐに首を振る。アラン王子の第二夫人になるということは、リモンに残る家族に多大な負担をかけると言うことだ。そんなことは許されない。それに、アラン王子への気持ちはもう断ち切ってしまった。
気持ちはもうない。
私が首を振ったのに、セレス王子が困ったように笑った。その笑顔の理由がわからずに首を傾げると、セレス王子がまたそっと私の頭を撫でた。
「アランの申し出は断ろう。今夜はアランが入れないように防護壁をはらせてもらうけどいい?」
「お願いしたいです」
アラン王子に何かされそうになった時、例えば自分が傷つけられそうになった時、情けないけれど自分で自分の身は守れない。セレス王子の防護壁なら、アラン王子も破ることはそうできないだろう。
気づくと、さっきまで急激に下がっていた周囲の気温が落ち着いている気がする。魔力の放出が止まったようで、よかった、と思っているとセレス王子の手が控えめに私の背に添えられる。
そっと引き寄せられて、空間があるくらいに抱きしめられた。体が緊張するのがわかって、失礼だぞ、と自分に言い聞かせる。
「いや?」
「いやではありません」
本当に嫌ではなかった。けれど昨日のことを思い出して体が緊張してしまう。私の力ではびくともしなかった体に、私は昨日負けてしまった。また来るよ、と言われたことを思い出してゾッとする。私が知っているアラン王子はそんなことをする方ではなかった。
「なぜ、アラン王子は第二夫人などとおっしゃるんでしょうか」
「リリアは、ちょっとだけ鈍いね」
セレス王子が笑った気配がして、鈍いかあ、と自分のことを思う。アラン王子が私を第二夫人に、と言い出した理由も、昨日あんなに怒っていた理由もよくわからない。
セレス王子が私のことを離して、屈んで目線を合わせてくれる。幼児にするようなそれに、慌てて目線を上げた。
「俺はアランの気持ちが少しだけわかるよ」
セレス王子がそう言って困ったように笑う。さっきも同じ表情をしていたな、と思って、王妃様が言っていたことを思い出す。私を婚約者にと望んだのはセレス王子だと言っていた。では、それはいつから?
「アラン王子のお気持ちがわかるのですか?」
セレス王子は屈んでいたのをやめて、体勢を戻し、私の頭をぽんぽんと撫でた。子供扱いされたな、と思うと恥ずかしい気がする。私は何か大事なことを見落としている。
「アランも俺と同じだと思うから」
セレス王子はそう言うと、くるりと手を回して小さな青い球を作った。綺麗だな、と思って見ているとそこから光が放たれて、その光同士が結びつき、大きな円を作っていく。防護壁だ、と気づくのとほぼ同時に、家全体を囲う巨大な防護壁が完成していた。
「これでアランは入って来られない。防護壁に対して攻撃があったら、俺のところに必ず知らされる。大丈夫」
「ありがとうございます」
「本当は俺がいられればいいんだけど、まだ結婚してないから、ちょっとね」
「・・・セレス王子は、いつから私のことを思っていて下さったのですか」
いたずらっぽく笑うセレス王子に、疑問がポロリとこぼれ落ちた。私がそう訊いた瞬間、セレス王子が真顔になる。これ、訊いちゃいけなかったかもしれない、と思っているとセレス王子の手が私の頬に触れた。
「聞いたら後悔するけど、聞く?」
真顔のままそう言うセレス王子に、後悔ってなんだろう、と思いながらも頷く。実はあなたのことを思っていないとか言われたらさすがに傷つくなあ、と思っていると、セレス王子が両手で私の頬を包み込んだ。
「初めてあった時だよ。一目惚れをしたのは、アランだけじゃなかったんだ」
瞳を覗き込まれながら、真剣な表情でそう言われて、驚きに頭がくらくらした。セレス王子に上をむかされているから、視線を逸らすこともできない。セレス王子は12年、思ってくれていたと言うことだ。
「そんなに、長い間」
「うん、リリアとアラン見てるの辛かったな」
「申し訳ありません」
「謝ることじゃない。だから、アランの気持ちは少しわかる」
12年、誰かを思い続けるってできることなんだろうか。私とアラン王子のように決められているならともかく、相手は兄の婚約者だ。それを12年、ずっと思ってきてくれたんだとしたら、セレス王子はなんというかすごく辛抱強い。セレス王子はなんだかスッキリした顔をして、私の額に自分の額をくっつけた。
近くなった距離に戸惑っていると、セレス王子は瞳を閉じて口を開いた。
「夢みたいだなって思うから、朝起きる度に夢じゃなくてよかったなって思う。けど、アランからしたら悪夢だろうね」
アランからしたら悪夢。アラン王子も私のことを慈しんでくれていると信じていた。この方となら、良い王と王妃になれるはずだと努力をした。けれど、婚約破棄をしてから、アラン王子とは一度もその話はしていない。私のところに話が下りてくるまでに議論はされ尽くされているし、アラン王子が受け入れたからこそ、私は婚約破棄をされてセレス王子の婚約者になったのだと思っていた。
だけど、アラン王子が納得していなかったら、昨日のことも辻褄が合う。私が考え込んでいるのを察したのか、セレス王子が顔を離してくれた。そのセレス王子をチラリと見て、やっぱり兄弟だから好きになる人とか同じなのかな、と思ってしまう。
「アランは、リリアと俺が結婚することに納得してない」
そう言われて、なんとなくアラン王子にどう対応すればいいのかわからなくなってしまう。私とアラン王子の立場は同じだ。いきなり婚約破棄を宣言されて、いきなり他の人の婚約者になった。私が、そんなことできるわけない、と思ったのと同じように、アラン王子も思っているのだとしたら、アラン王子が私を見てあっさり受け入れていると感じるのも無理はない。
それが暴走して、昨日のような行動に出たとしたら、私たちに必要なのは話し合いなのかもしれない。
「私、アラン王子と話した方がいいかもしれません」
「その必要はない」
話し合いを、と提案した瞬間却下された。
冷たい声に気持ちがへこんだきがした。アラン王子が私のことを誤解しているのであれば、話せばわかってくれるはずだ。すぐに受け入れたわけではない。けれど、納得しなければいけないことがある。王家と貴族に生まれたもののそれが責務だ。
「アランと二人で話して、アランの方に気持ちが流れない自信がある?」
「あります」
すぐに答えてもセレス王子の顔は晴れやかなものにはならなかった。真顔でこちらを見つめてくるその顔になぜだか少しモヤッとする。
私がアラン王子と話したら、アラン王子に気持ちが流れると思ってるんだな、と思っていやそうな顔をしてしまった。
「セレス王子は私が、アラン王子と話したらアラン王子のことを好きになるとお思いですか」
声も意図せずしていやそうな声になってしまった。なんだかそれって私が話したらすぐに好きになる人物だと思われているようで嫌だ。私が嫌そうな顔をしていることに気づいたらしいセレス王子は、真顔から焦ったような表情に変わった。
「違う、そうじゃない。俺に余裕がないだけ」
セレス王子が髪の毛をかき上げる。
「本当に、余裕がない。アランもだと思うけど、リリアの気持ちがどうなるとかじゃなくて、俺がアランと話してほしくない」
「けれど、話し合うべきだと思います。アラン王子は誤解をなさっているのかも」
私の言葉にセレス王子の顔が優しくなった。
「誤解してるんじゃない。アランはリリアを第二夫人に迎えたいんだ。どうしても」
アラン王子に愛されていた自覚はある。自惚ではなかったと思う。お互いにお互いのことを尊敬していた。けど、アラン王子は自分の道を誤る人ではなかったように思う。いつでも民衆のために、と言っていた。
「アラン王子はどうされたんでしょう。道を誤るようなお人ではないはずです」
「・・・どうしたんだろうね」
セレス王子はそういうと、私の肩を押してくるりと扉の方に向けた。いきなりのことに驚いていると、後ろからセレス王子の声がする。
「とりあえず今はゆっくり休んで」
扉が開いて、私のことを中に入れると、セレス王子は微笑んで、それからかき消えてしまった。バルコニーの扉を開けようとしても開かなくなっていた。魔法がかけられたんだ、と理解してため息をつく。第二夫人に、と言う話をセレス王子にできたことはよかった。
私だけが考えていてもしょうがないことだ。そして、防護壁をはってもらえたことも安心した。
けど、セレス王子の負担を増やしてしまったことは申し訳ない。もう一度、せめて自分の身くらいは守れるようになろう。そう思って、魔法の本を引っ張り出した。




