理解者でいてほしい
ムルナ王妃とのお茶会は王妃の間で行われる。流石に12年間婚約者をしてきたけれど、王妃様とのお茶会は緊張する。大きく深呼吸をしていると、アリにまた、大丈夫ですよ、と言われた。
今日のドレスは紫を基調としたものはやめた。ムルナ王妃に対してセレス王子の色である紫はちょっと控えたい。それに、紫はムルナ王妃の色でもある。今日のドレスは薄い緑色にした。私の瞳の色とよく合うと、アラン王子が誉めてくれたものだ。
護衛の騎士が扉を開けてくれる。もう一度大きく深呼吸をして中に入ると、ムルナ王妃は椅子に優雅に腰掛けていた。
その美しさに惚れ惚れしてしまう。セレス王子とアラン王子の美しさは王と王妃から受け継がれているなと納得してしまう美しさだ。セレス王子はムルナ王妃に、アラン王子は王に似ているな、と思っていると、ムルナ王妃ににこりと笑いかけられた。
「二人で話すのは久しぶりね、さ、早く座って座って」
そう言われてムルナ王妃の侍女が引いてくれる椅子に腰掛ける。テーブルの上を見ると、私の好きなものばかりがあって、なんだかその優しさに今は泣きそうになった。ムルナ王妃はいつでも優しい。
「お招きいただきありがとうございます」
「いいのよ、私の方こそ遅くなってごめんなさいね。あんなことがあったのなら、私から一言あるべきよね」
ムルナ王妃が言うあんなこと、が婚約破棄のことだとわかって、私は曖昧に微笑むしかなかった。婚約破棄された今でも幸せだけれど、それを言うとアラン王子に不満があったように思われるかもしれないことを恐れたからだ。
ムルナ王妃の侍女が淹れてくれる紅茶から湯気が立つのを見守る。
「まずはお礼を言いたいの。アランとの婚約破棄、そしてセレスとの婚約を受け入れてくれて本当にありがとう」
そう言ってムルナ王妃は頭を下げた。それに驚いて慌ててしまう。王妃に頭を下げさせるなんて何様だ。
「いえ、お礼なんて勿体無いお言葉です」
そう言って私も頭を下げると、ムルナ王妃はくすくすと笑った。笑うと一気に若く見えるなあと感心してしまう。
「アランも貴方のことを大好きだったけれど、セレスも貴方のことが大好きでしょう?よく似た兄弟よね」
ムルナ王妃の率直な言葉に、顔が赤くなるのがわかる。大好きという言葉に、ムルナ王妃にとって二人は第一王子、第二王子とかではなく、自分の息子だと言う気持ちが大きいのがわかる。あんなにしっかりしている二人でも、ムルナ王妃からしたらまだまだ子供なのだろうなと思って、微笑ましくもなった。
「セレス王子には本当に良くしていただいています。申し訳ないほどです」
セレス王子の毎日のバラも、贈り物の数々も本当に良くしてもらっている。そのことを伝えるとムルナ王妃の口元がニヤっとつりあがった。
「いいのよ、あの子がしたくてしてるんだから。わかりやすい子でしょ。セレスの方がアランよりも素直よね」
アラン王子の方が素直そうに見えるけれど、ムルナ王妃がそう言うのなら、そうなのだろう。セレス王子の顔を思い浮かべて、素直、という言葉があまり似合わないなと思った。
「セレス王子は本当にお優しい方です」
「貴方にだけよ。あの子がそんなに優しいのは。本当に素直すぎるのよね。心配になっちゃう」
ムルナ王妃はそう言って、焼き菓子を口に含んだ。美味しいから貴方も食べて、と言われて私も焼き菓子に口をつける。ほわりと広がる甘さに、心のどこかが緩む。そんなに緊張してこなくてもよかったのだ。ムルナ王妃は私にも、周りにも優しい。
「何か最近困っていることはない?」
焼き菓子を食べ終えるのを待って、ムルナ王妃がそう言ってくれた。耳に入っていないのかもしれない、と思って言うのをやめようか考えた。噂は近いうちに消えるかもしれない。
けれど、ムルナ王妃の優しさに縋ってしまいたくなった。
「私が、王妃にふさわしくない、と言われているようなのです。もしも、セレス王子に婚約破棄されたら、私はどうなるのでしょうか」
口に出してから、恥ずかしさが襲ってきた。自分の身のことしか考えていない傲慢さに、口に出してから気づいたのだ。私のことをじっと見つめていたムルナ王妃は私のその発言を聞いて、またニヤッと口の端を吊り上げた。笑われたかもしれない、と思って俯くとムルナ王妃がくすくすと笑った。
「セレスが婚約破棄するなんてあり得ないわ。貴方にどんなことがあっても、貴方を庇うはずよ」
そう言われて顔を上げると、ムルナ王妃はまた優しい目で私を見つめていた。その瞳に絆されて、私の目にじわりと涙が込み上げてくる。ムルナ王妃の前で泣くなんて、恥ずかしいにも程がある。なんとか堪えようと目に力を入れていると、ムルナ王妃が私の前に焼き菓子を置いてくれる。
「私が言ったことは内緒にしてね。貴方を婚約者に、と望んだのはあの子よ」
ムルナ王妃は優しい口調でそういった。私は言われたことに驚いて声が出なかった。セレス王子は私と同じように、受け入れなければならない側だと思っていた。それがいつからか、私のことを思うようになってくれたのだと思っていた。
そうではなかった。セレス王子が望んだから、私が婚約者になったのだ。その事実に驚いていると、ムルナ王妃は困った顔をした。
「いつからそう望んでいたのかはわからないわ。けれどあの子が望んだことよ」
「知りませんでした」
「あの子の気持ちは聞いてたわよね?」
「はい、心から思っていると」
精一杯よねえ、とムルナ王妃が笑った。いつからセレス王子は私のことを思ってくれていたんだろう。レティシア王女のことはどう思っていたんだろう。次から次へと湧いてくる疑問に混乱していると、ムルナ王妃が私の手を取った。
「今、貴方にたてられている噂は知っているわ。根も葉もない噂だとわかっているの。レティシア王女に復讐するなら、もっといい方法があるはずよ」
その言葉に、今度は止める暇なく涙が溢れた。心から安心すると言うのはこう言うことだろうと思う。ムルナ王妃の言葉に、今まで誰にも言えなかった不安や屈辱が慰められた。何も知らないくせに、と思っていた。私は不幸ではないけれど、やっぱりあの婚約破棄には傷ついたのだ。
それを何も知らない貴族に、レティシア王女をいじめていると噂をたてられて、王妃にふさわしくないと言われて、私は怒るより傷ついていた。
「噂はいつかなくなるわ。そして、婚約破棄はあり得ない。けれど、少し疲れているでしょう?」
疲れているのは事実だ、と思って頷くとムルナ王妃は優しく私の手を撫でてくれた。その後に、ムルナ王妃の瞳がいたずらっ子のように輝く。なんで輝いてるんだろう、と思っていると、ムルナ王妃は私の耳に口を寄せて小さく囁いた。
私は囁かれたことに驚いてしまったけれど、自分が疲れているという事実もあって、少しの逡巡のあと頷いた。




