きっかけはささいなことだ
「遅れてしまってごめんね」
ほっとしていると扉が開く音がして、アラン王子がその言葉と一緒に入ってくる。
正装ではないけれど、赤と金を基調としたかっちりとした服装に、お茶会といえどきちんとしているなあという印象を持った。セレス王子と比べると、アラン王子の方がやっぱりきちんとしている感がある。前も思ったけれど、アラン王子は王子様、という感じでセレス王子は騎士様と言った感じだ。
「もう食べ始めてるの?美味しそうな焼き菓子だね」
「美味しいです」
「本当に」
「気に入ったのなら良かった」
アラン王子が椅子に座って、本格的にお茶会がスタートする。レティシア王女がアラン王子にお茶を勧めて、ディークがアラン王子のためにお茶を淹れる。ディークはアラン王子の優秀な従者だ。ディークも婚約者が変わってびっくりしたんだろうか。
「リリア、珍しい首飾りを着けてるね」
アラン王子がそう言って目を細めた。思わず首に触れて、にこりと微笑む。ここでセレス王子からの贈り物です、と答える勇気がない。レティシア王女とアラン王子に惚気ていると思われるのも恥ずかしい。
。
「いただいたのです」
「ふうん」
いただきものとだけ返すと、アラン王子は興味がなさそうにそう相槌を打っただけだった。興味ないのなら話題にしなければいいのに、と恨めしく思ってしまう。
「素敵な首飾りだわ。贈った方はリリア様のことをよく見てるのね」
レティシア王女がそう言って微笑んでくれるのに、私も微笑みかえす。昨日から思っていたけれど、本当に感じのいい方だ。美しくてそれに性格までいいなんて、と卑屈な感情が顔を出しそうになる。レティシア王女の言葉にも特に反応を示さなかったアラン王子がいきなり前屈みになる。
「あれ?リリアはお茶を飲まないの?」
アラン王子がそう言って、私のカップをひょいと持ち上げた。対角線にいるアラン王子にカップを持ち上げられたことに驚いていると、アリが私が、とお茶を淹れるためにカップを受け取ってくれる。
「次のお茶を何にしようか、迷ってました」
動揺が顔に出てはいけないから、微笑んでおいた。前からそうだけど、リリアって呼ぶのいいのかな。レティシア王女の前でだけでもリリア様とか呼んだ方がいい気がする。そのほうが距離をとっている感じがする。というか、今のカップを持ち上げたのマナー違反よね。
「甘い焼き菓子に甘い紅茶は飽きてしまうかしら?」
レティシア王女がそう言って、アリが動いてくれる。どうなさいますか?とアリに訊かれて、柑橘系の紅茶にするわ、と言うとアリがお茶を淹れてくれる。アリにお茶を淹れてもらいながら、レティシア王女に声をかけた。
「レティシア王女、中庭のバラはご覧になりました?今が見頃とばかりです。よければぜひアラン王子とご覧になってください」
「バラ園があるの?」
「庭師のデルロと言う者が世話をしております。腕がいいのです」
何か話題を、と思った時に中庭が思い浮かんだ。美しいバラ園はきっとレティシア王女も気にいる。
「デルロがリリアのことを心配していたよ。部屋にこもりがちなんだって?」
デルロの話題が出たから、アラン王子が心配そうにこちらを見る。
「最近は出かけるようになりました。ご心配痛み入ります」
デルロが気にかけてくれているのは知っている。私が部屋にこもりがちなのを心配してくれているのだ。でも、最近はちょっとだけ外に出るようになった。セレス王子と散歩もしたし、セレス王子の騎士団との練習も見学しに行った。
結構外に出るようになったなあ、と思って自分で自分に安心した。婚約破棄から気持ちが滅入っていると思っていたけどそれだけでもないらしい。少しずつではあるけれど、自分もこの環境に適応しようとしている。
「セレス王子はリリア様と出かけたりなさるの?」
「この間、ちょうどバラ園を散策しました。今度遠出をする約束です」
「へえ、リリア、遠出は苦手じゃなかった?馬車が嫌いだろう」
「馬車は苦手ですが、とても楽しみにしています。今から馬車に慣れておくつもりです」
馬車が嫌いなのをバラさないで!と心の中で叫んでしまう。レティシア王女にレヴェールに行くのを嫌がっていると思われたくない。そこでアラン王子のことよりも、レティシア王女のことを気にかけてている自分に気がついた。私は、切り替えようと思ったら意外と早く切り替えられるらしい。
「セレス王子も遠出をなさるのね」
「リリアとならどこでもいいんですけどね」
セレス王子のサラリとした発言に、発言には気をつけて!と言いたいのを我慢してにっこり微笑む。確かに婚約破棄はレティシア王女からだったけれど、そんなふうに元婚約者の前で言っていいのかな、とか特殊な状況すぎて自分がどう振る舞うのが適切なのかわからなくなっている。楽しいお茶会になるといいな、と思っていたけれど、婚約者を交換した者同士だから、うまく会話が成り立たないのも仕方ないのかもしれない。
「セレス王子もそんなことを言えるのね」
レティシア王女がポツリと寂しそうにも見える表情でつぶやいた言葉に、私が苦しくなってしまった。なぜレティシア王女が急に婚約者の変更を申し出たのかわからない。けど、私は理不尽な思いはしているけれど、嫌な思いはしていない。
そんな表情をしてほしくなくて、強引に話題を変えようと違う話題を引っ張り出した。
「アラン王子は読書がお好きですよね。最近はどのような本を読まれたのですか?」
「最近?魔法の勉強をし直そうと思って、そればかり読んでいるよ」
「魔法の勉強?ですか?」
「ちょっとね。便利かと思って」
「そういえば、セレス王子の魔法をこないだ見せていただいたのです。綺麗でした」
そう言ってセレス王子を見ると、あれくらいならいつでも、と言ってくれた。
「こないだ保護呪文もかけたけど、気づいてた?」
「いえ、いつですか?」
「秘密」
そう言ってセレス王子が私の頭を少し撫でる。こんな普通に婚約者の体に触れるものだっけ、と思いながら、頭に触れられたことで思い出した。パーティーの時、頭に軽く何かが触れた気がした。その時かもしれない。
「もしかして」
私がそう言うと、セレス王子は人差し指を口の前に持ってきて、内緒、というふうに小さく呟いた。私がそれに頷くと、満足げにもう一度私の頭を軽く撫でた。
「セレスは保護呪文がかけられたんだね、いつから?」
「こないだですよ」
アラン王子の穏やかな質問に、セレス王子はそっけなく答える。絶対、こないだからじゃない、と思いつつも何も言えない。セレス王子はアランより秀でていると思われるとちょっとね、と言っていた。アラン王子に隠していることも多いのかもしれない。
「私、保護呪文見たことがないわ」
「面白くはありませんよ」
そっけないセレス王子の言葉にその場がしん、と静かになった。
しんとした空間ではたと気づく。レティシア王女に冷たい気がするけれど、それってもしかして私に対しての元婚約者に未練はありませんよというアピールなのかもしれない。
一応現婚約者に対しての最低限の礼儀として気を遣わせてしまっているのかもしれないと思って、私は王家に気を使わせるとか何様なんだ、という気持ちになる。それと一緒に、また寂しそうな顔をするレティシア王女をなんとか笑顔にしたいと思ってしまった。
「レティシア王女、こちらのケーキはいかがですか。美味しくて、いい香りですよ」
レティシア王女に何かしたいと、急ぎすぎたのかもしれない。ケーキを切り分けられたお皿をレティシア王女に渡そうと、私がしなくてもアリがやってくれるはずなのに、私はなぜか焦ってしまって、自分で渡そうと腰を浮かした。
その時、足に何かが触れた。バランスを崩して前のめりになる。手からお皿が滑り落ちて、レティシア王女の真前にケーキが落ちた。
私が転けそうになったのは、セレス王子が腰を抱いて、椅子に戻してくれる。
「すみません、私」
「いいのよ、大丈夫?」
すぐに従者たちが動いて、レティシア王女の前からケーキを取り除いてくれる。私は自分の顔が青くなるのに気づいた。一国の王女になんてことを、と動揺している私の手をセレス王子が握った。
「疲れているようです。失礼をいたしました」
セレス王子が一緒になって謝ってくれるのに、余計申し訳なくなってしまう。
「本当に申し訳ありません」
「本当に気にしないで。ふらついたようだけど、体は大丈夫?」
「ありがとうございます」
セレス王子が、小さな声で疲れているようだから、もう部屋に帰ろう、と言ってくれる。私は何度も頭を下げながら応接室から退室した。
レティシア王女は何度も気にしないで、と言ってくれたけど王女の前にケーキを落とすなんて、見る人が見ていたら処刑されてもおかしくない。セレス王子は何度も心配しなくていいと言ってくれたけれど、セレス王子にも謝らせてしまったことでを申し訳なく思った。なんであんなことをしてしまったんだろう、と言う気持ちで心の中はいっぱいだった。




