予想外は度々起こる
パーティーの当日まで目の回る忙しさだった。ムルナ王妃の指示のもと、花の手配や招待客の整理など、アリと一緒にヒイヒイ言いながら準備をした。床に描かれたリモンの国花は美しく、私は前日に完成したそれを見て、よくやったなあと自分で自分を褒めたかった。
その準備の合間に貴族のご令嬢とのお茶会が入ったりして、私は余計にヒイヒイ言ってしまった。セレス王子からのお茶のお誘いも二度ほど断ってしまっている。
結い上げた髪の毛にダイヤの飾りをつけてもらいながら、久しぶりにセレス王子に会うなと思う。鏡の中の自分は大変に美しいとは言い難いけれど、セレス王子から見れば美しく見えるといいなと思う。
扇を持って準備を完了し、控えの間に行くために椅子を立った。レティシア王女は昨日、到着したようで、休む間もなく今日のパーティーだ。お疲れになっているだろう。
話す機会があれば、睦まじげに話しているように見せなくてはならない。婚約者を取られた姫君の意地悪なんて最も見栄えが悪い。
控えの間に到着すると、もうすでにセレス王子がソファに座っていた。
私が入ってきたのを見ると、ふんわりと瞳が緩んだような気がして、私もレティシア王女のことばかり考えていたのを反省した。王家に必要なのは寛容さだ。
「大輪のバラが咲き誇っているような美しさ。今日の俺は幸せ者だな」
セレス王子が近寄ってきて、私の手をとってキスをくれた。それに微笑んで手を引かれるままにソファに座る。
「緊張してる?」
セレス王子にそう訊かれて、自分が緊張していることに気づいた。レティシア王女と会うのは初めてだ。しかも婚約者が入れ替わっている。
本当はどんな顔をするのが正しいのか私もわかっていない。
「少し。大きなパーティーなので」
うつむきがちにそう言ったのは、セレス王子の顔が見られなかったから。アラン王子への複雑な感情をうまく隠すことができそうになかった。
「できるだけそばにいるから。大丈夫」
優しい言葉をかけられて、顔をあげる。セレス王子はふんわり微笑んでいて、私もつられて笑ってしまう。レティシア王女のわがままの影響を一番受けているセレス王子が微笑んでいるのだから、私も微笑まなくては。
さっきも思ったけれど、王家に必要なのは寛容さだ。
「ありがとうございます」
従者が呼びにきて、パーティーの会場に通される。腕をすっと差し出されて、その腕に頼るように腕を絡めた。
貴族の視線もレティシア王女への対応もうまくやって見せよう。私は今もうアラン王子の婚約者ではないけれど、今までやってきたことと同じことをするだけだ。
第一王子の婚約者として、毅然としていなければいけない。胸を張ろうと姿勢を正した時に、頭にふっと何かが触れた。
なんだろうと思って顔を上げると、セレス王子が珍しく悪い顔をしていた。
「おまじない」
おまじないって言葉かわいいな、と思っているうちに扉が開いて中に通される。慌てて前を向いて、胸を張った。シャンデリアの灯りが眩しい。
貴族が膝を折るのを横目で見ながら、現国王と王妃のところへ向かう。座っている二人の前で膝を折ると、仲睦まじいようで何より、とのお言葉をいただいた。それに微笑んで、脇に下がる。変な汗をかいた気がする。続いて扉が開いて、レティシア王女のおなりとなる。
貴族の目は冷たい。セレス王子とレティシア王女の婚約は伏せられていたけれど、私とアラン王子の婚約は発表されていた。
私は文字通り婚約者を横取りされた人になるし、レティシア王女は婚約者を横取りした人、になる。
それを省いても自国の第一王子を大国の権力をふりかざして婿にする王女なんて、驕っているととられても仕方がない。
私も悟られない程度に冷たい目をしていたと思う。扉が開いて、レティシア王女がアラン王子と腕を組んで入ってくる。私はそれを見て、はあとため息を漏らしてしまった。
豊かな金色の髪が胸まで美しく垂らされていて、その髪にはところどころパールの装飾がついている。首元はキラキラと輝くダイヤのネックレスで飾られていて、ドレスはアラン王子の色を意識したのか金色と赤を基調としている。
何より印象的なのは瞳だった。金色の瞳はキラキラと光って、期待と緊張で胸がいっぱいなのがこちらにも伝わってくるようだった。
そしてレティシア王女は幸せそうだった。アラン王子と腕を組んで、膝を折る貴族の中を悠々と進んでくる。国王と王妃の前に立った彼女は待ちきれないと言うふうに口を開いた。
「こんなに盛大なパーティーを開いていただいて、感謝のお気持ちをどうお伝えすればいいか」
「楽しんでいただければ何よりだわ」
ムルナ王妃がそう言うとレティシア王女の顔がパッと輝いた。国王よりも王妃が先に口を開いたことに驚いていると、国王も口を開いた。
「伝統舞踊も用意があるのでぜひ」
国王の言葉にレティシア王女が大きく頷く。嬉しそうにアラン王子と見つめ合って、脇に下がっていくのをぼんやり見つめる。レティシア王女のお披露目を待って、パーティーの始まりとなる。軽やかな音楽が流れてくる。
ダンスに参加する用意が必要と分かっているのに、私はレティシア王女から目が離せなくなってしまっていた。
その時、横から軽い咳払いが聞こえてきて、慌てて隣を見る。
「お手を」
いたずらっぽくそう言ったセレス王子の手をとる。レティシア王女は元婚約者だけど、セレス王子はそんなこと全く気にしていないように見える。私もそう見せなければいけない。
それにしてもレティシア王女は見とれてしまうほど綺麗な人だ。私が見劣りしていないと良い。
「大丈夫」
私の卑屈な感情を察したのか、セレス王子にそう声をかけられて、なんだか心のどこかが緩んで、セレス王子の手を握る手に思わず力が入った。いつも気にかけてもらっていることをありがたいと思う。セレス王子が大丈夫と言うなら、大丈夫なんだろうと思えた。
向かい合ったセレス王子に微笑みかける。アラン王子とレティシア王女が踊っているのに加わるように踊り始める。何人かの貴族が、それに合わせて出てくる。いつも通りのパーティーの始まりだ。足と手を動かしていたら、なんだか楽しくなってきて自然に笑みが溢れた。
「楽しそうだね」
セレス王子にそう言われて、回りながら顔を寄せた。
「とても」
そう言うと、セレス王子とアラン王子が入れ替わる。くるくると回っているから仕方ない。アラン王子にも微笑みかけた。これはもう元婚約者ではなくて、一人のアラン王子を知る人間として、レティシア王女との婚約を祝おうと思っての笑みだった。
私は今日、アラン王子への気持ちを断ち切らなくてはいけない。レティシア王女を見ると、強くそう思った。いつまでも前に執着していてはいけないのだ。
「おめでとうございます」
顔が近づくその一瞬にそういうと、アラン王子の目が見開かれた。その一瞬で私はまたくるくるとセレス王子のところに戻る。目と目が合う。その時に、優しく微笑まれて、私は何て幸せなんだろう、と思った。
セレス王子は私のことを尊重してくれている。あなたを思っている、とまで言ってくれた。私は婚約破棄をされた可哀想な令嬢ではない。それが嬉しくて、笑みが溢れた。自分のことを心のどこかで可哀想だと思っていた。けど、そうではない。セレス王子は私のことを尊重してくれている。
「どうしたの」
手を取られて、くるりと回る。セレス王子が近い。その近い顔を少し寄せて、私は笑った。
「嬉しくて」
セレス王子が私を尊重してくれていることに気づけてよかった。そして何より、今日アラン王子への思いを断ち切れそうでよかった。
「それは何より」
セレス王子がそう言って、笑ってくれる。曲が終わってお互いにお礼をしてその場を離れる。セレス王子の腕に腕を絡めると、なんだか今まで以上に心が緩む気がした。脇に下がると、貴族が話しかけにくる。それに対応するセレス王子から距離を置いて、飲み物を取りに行こうかと逡巡していると、グラスが差し出された。
「お探しかと」
「ラル」
差し出されたグラスを受け取って、ほっとする。ラルが持ってきてくれたものなら安全だろうし、私が飲んでも大丈夫なものだろう。
すっと口に含むと、爽やかな柑橘の味がした。
「ありがとう、なぜわかったの?」
「なんとなくです」
「すごいわね」
アリが手を出してくれたので、グラスを渡す。アリも私の飲み物を取りに行ってくれるけど、自分で行く方が好きだ。貴族たちが笑って話していることを少しだけ聞きながら歩いていると、その時だけは自由な気がする。
「リリア様」
声をかけられて振り向くと、レティシア王女が微笑んでいた。慌てて膝を折る。アラン王子はどこに行ったのかしら、とチラリと見回すと、貴族たちと談笑していた。
「レティシア王女、お疲れではございませんか?」
「いいえ、楽しいわ。こんなに楽しいのは久しぶり」
「それは」
何よりです、と言いかけた瞬間パッと手を取られた。その行動にびっくりしていると、レティシア王女は顔をぐいっと近づけて、花のように笑う。
「ねえ、向こうのケーキとってもいい香りがするの。一緒にご覧にならない?」
手を誰かと繋ぐのなんて、いつぶりだろうと思ったら、驚きも失せてしまって、それよりもレティシア王女はこういうことをするのに慣れてるんだろうなと思った。貴族社会で生きるには生きにくそうな人、それとも大国のお姫様だから全て許されるんだろうかと思って、レティシア王女の手を握り返した。
「ケーキにはレモンの皮を使っているそうですよ。だから良い香りがするのですわ」
「素敵ねえ。ものしりなのね」
「いいえ」
興味津々という感じでまじまじとケーキを見つめるレティシア王女に、ふふっと思わず笑ってしまう。笑われていると思われたら嫌だろう、と慌てて顔を戻すように努めた。ケーキのことを知っているのは私がムルナ王妃に言われて手配したケーキだからだ。
黄色い薔薇の装飾がなんとも美しいそれは、やっぱり今日も誰にも手をつけられないお飾りとして終わるんだろうか。
「このケーキ、どうやって食べるのかしら。食べたいわ」
その言葉にレティシア王女の横顔が眩しく見えた。そうですよね、ケーキと言ったら食べるもの。私だってこのいい匂いのするケーキを食べたい。
「アリ」
「ここに」
「ケーキを食べたいわ。切り分けてもらえるかしら」
そう私が声をかけると、アリの目が少しだけ大きくなる。私が微笑みかけると、アリも微笑み返してくれた。
「すぐに」
アリが手配してくれるだろうと、安心しているとつないでいる手がむず痒くなってきた。グローブ越しでも暖かいレティシア王女の手をもう一度ぎゅっと握ってから、そっと手を離す。
「私、あなたと一度二人でお茶がしたいわ」
手を離したことについては何も触れずに、レティシア王女がそう言う。私はきっと少しだけ困った顔をしてしまっていたと思う。なぜなら、二人でお茶会をすると言うのはどんな話題になるかわからなかったから。それでも、王女の誘いを断るわけにはいかない。
「ぜひ」
「二人でお茶会をするの?」
声に振り向くと、アラン王子が私の後ろに立っていた。近いな、と思って一歩だけレティシア王女の方へ歩み寄って、距離をとる。
「そうなのです。楽しみですわ」
レティシア王女がふふっと笑ってくれるから、つられて私も笑ってしまった。
「いいね、私も混ぜてもらってもいいかな」
アラン王子の言葉に私は一瞬呆けてしまった。女性のお茶会に男性が混ざるなんてあまり聞いたことがない。それっていいんだろうか、と思ってレティシア王女を見ると、レティシア王女も困った顔をしていた。断るのも不敬だし、どうしよう、と数秒返事に困っていると、腕をサラリと取られた。
「セレス王子」
「お茶会?私も参加しようかな」
セレス王子がするりと私の腕を自分の腕に絡める。女性をエスコートするのが上手なんだな、と変に感心してしまう。
「セレス王子もですか?」
「親睦を深めることは悪いことではないでしょう」
セレス王子がそう言って二人に微笑みかける。四人でお茶会ってどうなんだろう。二人ともお忙しいのに、予定を合わせることはできるんだろうか。レティシア王女はセレス王子の言葉に少し戸惑っている様子だったけれどすぐに頷いた。
「楽しそうですわ」
「なら、時間の確認を」
アラン王子の言葉に側仕えのディークの表情が少しだけ厳しくなった気がした。本当はお茶会なんてやっている暇がないくらい忙しいんだろう。
「明日の午後はいかがです?ちょうどお誘いしようと思ってたの」
レティシア王女の言葉に素敵です、と私が返すと、セレス王子もいい時間ですね、と微笑んだ。するとアラン王子が、にっこりと笑った。
「それで決まりだ」
婚約者が入れ替わってのお茶会はどうなるんだろうと思ったけれど、楽しいお茶会になるといいなと思った。では、と二人から離れるとセレス王子が深くため息をつく。そのため息に背筋が伸びる気がした。私、何かやってしまったかもしれない。
「どこに行ったのかと思った」
「すみません、ケーキが」
「ケーキ?」
セレス王子が首を傾げる。その様子がちょっと可愛らしくて、のびた背筋が戻るような気がした。気分を害しているわけではないみたいだ。
「レティシア王女と、ケーキを食べたいねと話しをしまして」
自分の言葉にケーキのことを思い出すと、すでに切られて、振り分けられているようで、レティシア王女も口に運んでいるのが見えた。それにほっとしていると、アリが私たちにも持ってきてくれた。
受け取ると、セレス王子が私の頭をそっと撫でてくれた。
「あんまり離れないでね」
「はい」
アラン王子にパーティーであんまり離れないでと言われたことはない。心配をかけているんだろうなと思う。だけど、セレス王子の心配の仕方が優しくて、やっぱり心が絆された気がした。
ケーキを口に運ぶと爽やかな柑橘の味がして、お飾りで置くより、振る舞われた方がケーキも嬉しいだろうなと思った。




