悪役令嬢にはなりたくない
お行儀よくしてるんだよ、と何度も言い聞かされて通されたその間で、覚えたての挨拶を口にして膝を曲げた。その瞬間から私の運命は決まってしまった。
侍女が入れてくれた紅茶をどうにか音もなく口に含む。カタカタと震えているのは気のせいにして、今聞いたことをなんとか受け入れようと必死だった。婚約者が決まったのは五歳の時だ。覚えたての挨拶にならいたてのカーテシー。膝を曲げるのもやっとだった、そのときに私の運命は決まってしまった。
第一王子の一目惚れ、といえば聞こえはいいかもしれないが、親同士の了解あっての一目惚れだった。父である侯爵と、王陛下が前々から画策していた通りことが運んだだけだ。
王陛下と父の誤算だったのは、その時まだ8つだった第一王子が私のことを気に入ってしまったことだ。誤算といっても嬉しい誤算だった。
第一王子は私の小動物的な愛らしさが胸に刺さったらしく、すぐにその場で父である王陛下の許しをもらってから私を庭へ連れ出した。5歳と8歳の初デートだ。
周りも微笑ましくそれを見守り12年が経った。12年だ。12年間、王妃になるための教育を受けてきた。
誰よりも麗しく、誰よりも高潔であれ、と歩き方、座り方、文字の書き方から諸外国の歴史について、専門の家庭教師をつけられて、みっちりと教育されてきた。それが今、全部崩れようとしていることを、私はなかなか受け入れられなかった。
「受け入れなければならない」
父が重々しくそういうことに、私はただ頷いた。私のところまで話が来るまでに、もう何度も議論はされ尽くされている。
第二王子は私と同い年で、彼は隣国であるレヴェール王国に婿に行くことが内々に決まっていた。一部の貴族しか知らないその情報はそれでも私たちに大きな安心を与えた。小国であるリモンにとってそれがどれだけ大きなことか、誰もがわかっている結婚だった。しかも、次期女王であるレティシア王女の婿に、とレヴェールから打診があったのだと王陛下から聞かされた時はなぜそんな大国がこのような小国から、と首を傾げた。
その理由が先日の婚約破棄によって、わかってしまった。
レティシア王女が幼い頃木から降りられずに困っていたところを助けたのが、なんと第二王子であるセレス王太子だった、とレティシア王女は思い込んでいた。しかし、先日の両家顔合わせの際、これは最終の意思確認でもあった、の際にレティシア王女が気づいてしまった。私を助けたのはセレス王子ではない、第一王子であるアラン王子であると。
なぜ気づいたのかはわからない。しかし、そこからはさすが大国。進路変更が早かった。無理を言って申し訳ないが、第一王子を婿に欲しいと言ってきたのだ。
リモンも第一王子はさすがに無理です、と断ったがここで大国が出してきた条件がリモンからの商品の関税の撤廃である。これは大きい。関税が撤廃されれば、リモンは確実に潤う。ここで大国相手に断るよりずっといいのではないか。しかし第一王子が婿に行くなど、うんぬんかんぬん。議論をし尽くしてでた結論は、第一王子の婿入りだった。
持っていたカップをテーブルに置いて、父をまっすぐに見た。
「わかっております。すぐに王宮にある荷物の引き上げの準備を」
侍女にそう声をかけると、父の顔が曇った気がした。12年、王妃になるつもりで生きてきた娘の急な進路変更に、思うところがあるのだろうなと思った。
「その必要はない」
「なぜですか?荷物は多少なりとも置いてあります。王家でご処分を?」
父がものすごく苦しそうな顔をするのに驚いて、まさか王家に嫁がせられないなら私、もしかして修道院とかに送られるの?と怖くなった。家に帰れるものだと思っていたけど、確かに王妃候補であって王妃ではないし、しかも12年も第一王子の婚約者だったのに今更家に帰れないとかそういうの?と不安になる。
父が絞り出すようにいう言葉を聞き漏らすまいと耳を集中させる。
「第二王子が、次の王陛下になる」
「存じております」
それはそうだろう。今回のことでよかったことがあるとするなら関税の撤廃もそうだけど、第二王子とレティシア王女の婚約を国民に知らせていなかったことだ。第一王子が婿に行くことの驚きはあるかもしれないが、婚約破棄という汚名は防げたわけだ。次の王陛下になるお人だから、障害は少ない方がいい。それはよかったわよねえ、と心の中でつぶやいた。
「第二王子の婚約者は未定だ」
「・・・」
それはそうだろう。第二王子はこないだまでレヴェールに婿に行くことが決まっていたのだ。婚約者がいないのは当たり前だ。アラン王子も、セレス王子もレティシア王女に振り回されている。ただ、レティシア王女にとっても、きっと誤算だったはずだ。第一王子を婿にくれ、しかも今までの第二王子との婚約は破棄させてもらう、とはレヴェールも無理を言っていることはわかっていたのだろう。だからこその関税の撤廃。小国への対応としては破格だ。
「王妃になれる教育を受けた貴族の娘は今の所お前だけだ」
「そうなのですね」
5歳で婚約者が決まってしまったのだから、二人目を用意する必要などない。王妃教育を受けたのは私だけだ。それはわかる。今から王妃教育を受けるなんて私なら絶対に無理だ。あの知識量を詰め込まれるのを考えただけで悲鳴をあげそうになる。第二王子の婚約者の方は大変だな、と心の中で同情した。
「意味がわかるか」
父が私のことを見て、そういうのを聞いて、はた、と止まってしまった。そして行きついた答えに、いくらなんでもそれはないでしょ、と言いたくなるのを堪えた。こくり、と喉を鳴らさないように気をつけないと喉が鳴ってしまう。
「お前が、そのままセレス王子の婚約者になる」
やっぱり、そうですよね、と言いたくなるのを堪えて、私は父に微笑んでみせた。それでも頭の中はそんなことできるわけないだろ!という言葉でいっぱいだった。