栄次と更夜1
栄次はスズを助けられなかった。唇を噛み締め、彼は先に進む。
あれから少しの時間が経った。
更夜が突然、姿を消す。
不思議に思っていると、「殿がやられた」と屋敷内が騒がしくなっていた。
「……暗殺、されたか」
もうすでに近隣では戦がおこっており、殿を失ったこの城が国盗りにあうのは時間の問題だった。
そこで、慌てた配下達がまだ若い息子を新しい当主にした。
この息子は若い考えが抜けず、父のかたきうちばかり考えていた。
そして、この屋敷内で一番強い栄次に、殿を殺した者の首を持ってくるよう命じるのである。
「おそらく、更夜だ。あいつは消えた。追いかけて殺してこい」
若い青年の言葉に栄次は目を伏せ、言った。
「あの男を追ったところで、意味はありませぬ。それよりも、近隣をまとめねば、城が落ちます」
「わかったような口を聞くなっ! あいつを殺してこい! 殺せなかったらあの屋敷に住む娘を十人殺してやる」
「……こんな意味のない命令に、罪のない娘を十人も殺すのか。城が落ちると言っている。このままでは士気が下がっていくぞ……」
栄次は若者を睨み付け、諭す。
「お前が殺してくればいい。監視を五人つける。逃げたその段階であの屋敷に住む、女子供、皆殺しにしてやる」
……愚鈍、愚昧……愚行……。
バカにつける薬はないか。
この城は終わりだ。
栄次はゆっくり立ち上がると、口を開いた。
「わかりました。向かいます」
栄次は振り返らず、乱暴に出ていった。この時期の栄次は戦乱の渦中にいることが多く、平和な時代よりもやや荒い。
無関係な者を殺すと言ってきた殿の息子に栄次はどことなく、いらだっていた。
ただ、栄次は人間の歳を超えているため、動き方も良くわかっている。
栄次は口を結び、表情なく歩いた。
……うろうろしているだけで城が滅ぶ。
俺が、あの男を探す必要はない。
とりあえず、更夜がいそうな敵地へ向かうか。探すふりをしていれば屋敷の者に被害はない。
屋敷の者が死ぬのは見ていられぬ。
だが、城が落ちれば……弱い者から死んでいく。子供は売られ、女は……いや、俺は全てを助けることはできない。
守れる者を守るしかできんのだ。
※※
更夜は人質にとられていた娘を救いだした。父親の呪縛が解けたからだ。父、凍夜の三人の妻と、更夜の姉の夫である婿養子、夢夜が凍夜を相討ちで殺した。
更夜の幼い娘、静夜は凍夜が奴隷のように彼女を扱っていたため、ほとんど笑わない子供になっていた。
「……静夜……すまない」
更夜は静夜の身体にできた無数のアザを見、唇を噛み締める。
父の凍夜は更夜の妻、ハルを殺し、幼い静夜に暴力を振るった。
……俺が大切にしていた妻を殺し、俺の宝だった娘に傷をつけた。
俺があの男を殺したいくらいだ。
……だが、今は……
あいつがいない。
「お父様……」
いままで表情を出さなかった静夜が初めて涙を見せる。
更夜は静夜を抱きしめ、頭を撫で、謝罪をした。
「申し訳ない……遅くなってすまなかった。ひとりで……ずっと戦ってくれたのだな。さあ、行こう。ここにいる必要はないんだ」
更夜も過ごした、この世の終わりのような場所。深い山奥の屋敷。
叫んでも泣いても誰も助けに来ない。
産まれた時から母親の泣き声を聞いていた。凍夜の妻達は戦によって親を亡くした少女達だった。
こんな場所で、凍夜の支配に怯えながら生きたのだろう。
静夜も同じ。
静夜の細い身体を抱きしめながら、更夜は殺してしまったあの少女を思い出す。
「この世界は……どこへ行っても幸せになれない……だが……静夜だけは……」
幼い娘を抱きかかえ、更夜は歩き出した。娘がいるため、山を降りるのに三日はかかりそうだ。
ずっと抱えながら歩き、コウモリがいる洞窟で寄り添って眠り、静夜をおぶってまた、歩き出す。
食事は木の実や野草、魚などを沢山食べさせた。
なるべく、干し味噌などを使い、味をつける。
そんな生活を一週間ほど、おこなった。
ある日、暗殺した城主の息子が更夜を血眼で探しているという情報を掴む。追手がついているとも。
更夜は横で眠る静夜を撫でながら、廃屋の天井を仰いだ。
屋根が壊れており、空には満月と星が輝いていた。
……俺と共にいたら、静夜がまた傷つけられる。
俺は静夜を育てられない。
嫁に出そう……。
俺から離すんだ。今すぐに。
生き残ってもらうために……。