栄次はどこに?5
しばらく時間が経過した。
スズはその間、何の動きも見せなかった。ただ、顔色は暗く、二人をなかなか殺せない焦りだけが、顔に出ている。
スズは隙のない栄次から小刀を奪う事もできず、更夜にも接触できなかった。
「スズ、毎度、部屋を荒らすのをやめてくれ」
「……」
スズは毎回、刀を取り戻すため、栄次がいない隙に部屋を荒らす。
それから、栄次が戻ると顔色を見て、いらついているのかを確認していた。
「俺の顔色を疑っているようだが、気持ちは穏やかだ」
栄次は表情がほとんど出ないので、スズは逆に心配になってきていた。
こんなに怒らせるような事をしているのに、気持ちに高ぶりがない。
「あの、なんで、そんなに怒らないんですか? 私、けっこう酷いことをしてると思うんですけど」
スズの無邪気な発言に、栄次は軽く笑ってしまった。
子供らしさが出てしまい、忍とは思えない雰囲気だったからである。
「酷いことをしている自覚はあるのか。かわいい娘だ」
「なんで……そんなに私に構うの? 私は栄次様を……」
スズが思わず、重大な秘密を話しそうになったので、栄次が声を被せる。
「それは言ってもいいことなのか?」
全てを見透かすような栄次の発言にスズはようやく疑問を抱いた。
「……っ」
そうか。
……知ってるんだ。
全部。
栄次も更夜も……
私に気づいているんだ。
私はやはり、ダメな忍。
敵に知られた上で、バカにされたように生かされているんだ。
……悔しい。
惨めで情けない。
もういい。
このまま、栄次から殺そう。
私は諜報もまともにできたことがない忍。
だから、一つだけでも任務を成功させたい。
スズは栄次を、子供らしさがまるでない顔で睨み付け、栄次が常に手放さないでいる刀を奪いに飛びかかった。
栄次はスズの手を取り、初めて乱暴に床に押し付けた。
「あうっ!」
「……これは刃物だ。触るな」
スズは栄次の力に抗い、刀に無理に手を伸ばす。栄次はため息をつくと、刀を消した。
「……え……」
スズは突然に消えた刀に目を見開く。栄次が神で、刀が霊的武器であることをスズは知らない。
スズは悔しそうに涙を浮かべると、殺傷能力の低い『クナイ』を取り出し、栄次の腕を斬りつけた。
「……お前の気持ちはわかる」
栄次は腕から血を流しながら、せつなげにスズを見ていた。
「……え……」
「お前は本当は良い子だ。父親のために一生懸命に尽くそうとしているのだろう」
「……っ」
スズは栄次がどこまで知っているのか、恐ろしくなった。
「俺はな……お前みたいな子供が人を殺さねばならない時代になってしまったことを、悲しく思う。この時代はな、城主の子、幼い子供を串刺しにし、見せしめとして並べる恐ろしい時代だ。人間は……どうしてそんな残虐な事ができるのか、俺にはわからないのだ」
栄次は目を伏せると優しくスズを離す。先程の物音のせいか、ずっと見ていたのかわからないが、更夜の気配を近くで感じた。
栄次は腕の血を布で拭き取り、更夜を迎える。
「何の用だ? 更夜」
「なんだ? やたらと騒がしいな?」
更夜は相変わらず、冷たい表情のまま、部屋の状態を見始めた。
「ああ、スズが転んでしまい、俺が助けたのだ」
「ほう、それにしては斬られたような血の跡だな」
「ああ、これは、助ける時に重ねてある畳に引っ掛かったのだ。かすり傷だ。大したことはない」
栄次は更夜に平然と言葉を発する。
「斬られたんじゃないのか? この悪ガキに」
「いや、この子はそんな事はせん」
「そうかな、なあ、おいたが過ぎたようだな、小娘」
「なめんじゃないよ」
スズは更夜を見上げ、精一杯の気迫で睨み付けた。スズの気持ちは一周回ってしまい、変に肝が据わってしまったようだ。
「口の悪いガキだな」
更夜の挑発にスズが動いてしまった。クナイを構え、更夜の首を取ろうと飛びかかる。
「やめろっ!」
栄次の鋭い声が部屋に響き、更夜が手を上げた。更夜の平手がスズの頬に力強く入り、スズは意識が飛びかけたまま、舞う。
「あぐっ!」
大きな破裂音が響き、スズが血を撒き散らしながら床に叩きつけられた。
「うっ……うう……ゲホっ……」
スズは頬を押さえながら唸り、咳き込んだ。
「危ないものを振り回した罰だ。やや思い切りいってしまったがな」
「更夜……っ!」
栄次が更夜を睨み付けるが、更夜は冷たく言い放つ。
「なんだ? おいたが過ぎた悪ガキをひっぱたいてお仕置きしただけだ。ケツ叩きのが穏やかだったか? ガキらしく」
更夜がさらにスズを逆撫でする。スズは悔しさで大粒の涙をこぼし、泣いていた。
更夜はスズを一人の「忍」ではなく、「子供」としてバカにしているのである。
更夜はスズの計画には、まるで乗らない。更夜に痛めつけられて、栄次に泣きつく、理不尽な暴力を期待したが、更夜は攻撃しようとしたスズの正当防衛しかしていないのだ。
おまけに手加減をされ、平手で頬を叩かれただけで、相手にされていない。
栄次と更夜が殺し合う方面に行くためには、スズ本人では不十分だと言うことである。
「更夜、もうやめろ。かわいそうに、鼻血が出ている」
栄次はスズを庇い、更夜の前に立った。それを冷ややかに眺めた更夜は、初めて栄次に長々と言葉を発した。
「栄次、お前はもう少し上手く動け。ずっと見ていたが、お前達はかなり目立っている。お前はそいつの正体に気づいているのだろう? 状態を悪化させてどうする。優しくするだけでは、その小娘を生かしてやることは不可能だ」
更夜の言葉に栄次はわずかに眉を上げた。
「……更夜」
栄次は言葉を飲み込む。
……更夜も、スズを殺さぬように動いている……。
今まで殺しに来た忍達をすべて始末してきた男が、彼女を殺そうとしない。
……ああ、そうだな。
お前もやりたくないんだな。
子供は殺したくはないよな。
栄次は更夜に「人間性」があることを知った。戦国の世では気性が荒く、人を平気で殺せる精神状態になることが多い。
更夜は間違いなく戦国の人間だが、どこか雰囲気が違った。
更夜と目が合った時、栄次の目に更夜の過去が流れ始めた。
更夜の横で微笑んでいる若い女、そして更夜の腕の中に、幼い女の子がいた。更夜は幼い彼女の発言、返答に幸せそうな表情を浮かべ、頭を撫で、頬を優しく触り、頷いていた。
「……ああ、そうか、そうだったのか」
過去見で見えてしまった過去で、栄次は更夜の内部を知る。
……『妻』と『かわいい娘』がいるんだな。
更夜はスズを「子供」だとバカにしていたわけではなく、周りに「彼女は忍ではない」と伝えたかったのだろうか。
栄次は更夜を見据え、つぶやく。
「すまぬ。目立ち過ぎていたようだな、俺が悪かった」
栄次は脈絡なく更夜に言い、更夜は眉を寄せたが、すぐに表情を元に戻した。
「よくわからんが……悪ガキ、懲りたら大人しく栄次と過ごすんだな。次においたをしたら、こんなものではすまさんぞ」
更夜はスズがイタズラをしたことにし、出ていこうとした。
壁同士が薄いため、何か起こると周りがざわつくからだ。
「待て……」
スズは目に涙を浮かべながら、怒りを押し殺した声で更夜を呼ぶ。
「あんたは……今、コロシテヤル……。脅しなんて、もう意味ない」
「本当に口が悪いな。殺してやるなど、どこで覚えた?」
更夜があきれた声を上げた刹那、栄次が後ろからスズの口を塞いだ。
「スズ、目立っている。自分の発言を思い出せ。これ以上、なにもするな」
スズはもがくが、栄次の力には敵わない。目に涙を浮かべたスズを横目で見た更夜は、特に何もせずに部屋から出ていった。