栄次はどこに?2
栄次は屋敷に戻り、寝る準備を始める。着物を脱ぎ、裸になったところで、障子扉の前で人の気配がした。
「ああ……女か……」
栄次はため息をつくと、皿に入れた灯し油に灯芯を浸し、火をつける。
部屋がわずかに明るくなったところで、障子扉を開けた。
「……入ると良い。……ん?」
目の前にいたのは幼い少女で、栄次の裸を見て怯えていた。
「あ、ああ、すまぬ」
栄次は予備の着流しを着ると、改めて少女を見る。
……だいぶん……幼いな。
俺を閨事に誘おうとしているわけではあるまい……。
売られてきて、男の部屋を回るよう、言われただけだろう。
怯えているのか。
かわいそうに。
少女はどうしたら良いのかわからないのか、部屋に入らずに辺りを震えながら見回していた。
「俺はなにもしない。部屋に入ると良い」
栄次に言われ、少女は震える足で部屋の中に入ってきた。
「かわいそうにな、いくつだ?」
「七つでございます」
少女は栄次をちらりと見つつ、答える。
「名は?」
「スズでございます」
「親に売られたのか?」
「……はい」
素直に答える少女、スズに栄次は顔を曇らせ、それを見たスズは震えながら縮こまっていた。
「心配するな、なにもせん。かわいそうに、俺が横で一緒に寝てやろう」
栄次はかけ布団代わり(当時は布団がない)の着物を広げ、少女を横に寝かせる。
少女は素直に従い、畳に横になった。
「寒くはないか?」
栄次の問いにスズは小さくうなずく。栄次はスズの胸辺りを優しく叩き、スズを寝かせようとしていた。
……この娘の生い立ち、売られる部分など見たくない。
過去は見えなくて良い……。
栄次はスズの過去が映らないことを願う。
「……子供がこんな夜更けまで起きていてはいかぬ」
スズはなかなか眠らなかった。
「眠れぬのか?」
スズは黙ったまま、栄次を見上げる。
「大丈夫だ、安心しろ」
スズは栄次の言葉を聞き、わずかに顔を歪め、目に涙を浮かべた。
「辛かったんだな……」
栄次がそうつぶやいた刹那、見たくもなかった彼女の過去が見えてしまった。
……ああ……また、見るのか。
俺は。
栄次は黙ったまま、流れる過去を見始める。
年のいった男が、頭を下げているスズに何かを言っていた。
見た所、身分の高そうな者が住む屋敷にいるようだ。
……ああ、貧しい農村の生まれではないのか。
「スズ、蒼眼の鷹、紅色のくちなわがいる場所がわかった。お前はそいつらの暗殺に向かえ」
男が威圧的にスズに命令をしていた。
「お父様っ! ……わ、私に暗殺命令ですか? 私は……いえ、忍は諜報が主で……」
スズは戸惑いながら父親だと思われる男を見上げている。
「我々の家系は表向きは武士、裏は忍。お前の兄が霧隠家の当主だ。お前は我が霧隠家のため、働けば良い。暗殺も忍の仕事だぞ」
「そ、そうですか……。わ、わかりました」
スズは素直に男に頭を下げた。
「さっそく、屋敷に入るぞ。私がお前を売りに出す父親をやる。お前は売りに出される娘、ひとりで屋敷に入り、ふたりを始末してこい。逃げたら、わかっているな? 我々は忍の家系だ」
「……は、はい」
「では、すぐに準備をしろ。今夜動くぞ」
父親の言葉にスズは困惑しつつ頷き、再び頭を下げると去っていった。
スズが完全にいなくなってから、男は口角を上げ、笑う。
「ふぅ、これで使い物にならん娘を消せる。あの子はいても厄介なだけだからな。まあ、あの男らを殺せたら手柄は息子にいく故、別に良いのだが」
スズの父親の不気味な笑みを残し、記憶は消えた。栄次は表情を変えないまま、目を閉じる。
……ああ、この娘は忍なのか。
栄次が目を閉じた事で、寝入ったと思ったスズが短刀で栄次を刺そうと動いた。
栄次はため息をつきながら、斬りかかってきたスズの手首を掴む。
「……っ!」
「こんな危ないものを振り回してはいかん。俺はお前に危害を加えぬと言っているだろう。そんな必死に殺しに来るな」
栄次は気づいていないふりをした。スズは、暗殺をしにきたと相手に伝わってしまったか不安そうだったが、栄次の発言により、胸を撫で下ろした。
栄次が勝手に、『正当防衛をしようとした』と勘違いしたと思ったからである。
だが、反対にこれから、刃物を出せなくなった。
栄次は初動で「危害を加えないから安心しろ」と言っているため、次に見つかった時に「正当防衛だった」と言い訳ができない。
スズは自分が忍だとバレたら栄次に殺されると思っていた。
情報を持ち出す忍は敵国で捕まったらタダではすまない。
とりあえず、小刀は奪われてしまったので、スズはあきらめて寝ることにした。
翌朝、空が明るくなった頃にスズは目覚める。栄次の雰囲気が優しかったからか、今までで一番眠ってしまったようだ。
「おはよう、よく眠れたか?」
「……は、はい」
スズは複雑な表情を向け、栄次に頭を下げると、部屋から出ようとした。栄次は小さな背中に目を向け、口を開く。
「待て」
スズは大人しくその場に止まった。
「忠告だ。望月更夜……蒼眼の鷹には刃物を向けるな」
「……っ!」
栄次がスズの目的を見透かしているような発言をしたため、スズが身体を固まらせる。
「……俺のそばにいれば、危険はないぞ。俺がお前を逃がしてやる」
「……」
栄次の言葉にスズは拳を握りしめ、静かに口を開いた。
「逃げられるわけないじゃない……。殺されてしまう」
スズが怒りを押し殺した声でつぶやく。その後、栄次に聞こえないような声で吐き捨てた。
「なんにも考えてない兵士にはわからない……」
スズは目に涙を浮かべると、栄次を睨み付けるように見てから、小さく頭を下げ、部屋から出ていった。
「なんにも考えてない兵士にはわからない……か。短絡的だな。俺の発言にも気づかず、売られてきた子供にもなりきれてない。まあ、親に捨てられたというのは変わらんか」
栄次は袴を履き、霊的刀を手から出現させ、左腰に差す。
……あの娘が、更夜を殺しに行かなければよいが……。
……いや、俺が守れば良い。
「どうせ、戦は……俺には関係がない故」