暑い夏の終わり4
栄次は台所で取れたてのトマトを洗うリカに声をかけた。
「あー……えー……リカ」
「あ、栄次さん、どうしました?」
リカは笑顔で栄次を仰いだ。
「聞いておきたいことがある」
「はい」
「自分の感情を疑っていたな。正しいのか正しくなかったのかを」
栄次の言葉にリカは表情を曇らせた。
「はい……スサノオ様に言われて……わからなくなりました。私も感情のまま正しい道を歩んでいると思っていました。ですが……もしかしたら世界のシナリオ通りに動かされているだけなのかもとも。妄想みたいでイヤですよね」
「……いや、自分の考えを疑うことは大事だとは思う。実は今、プラズマがそれを悩んでいる」
「プラズマさんが? あ、ちなみに伍(向こうの世界)ではこういうのがいきすぎると境界乖離性妄想症っていう精神疾患の診断が出されます。文字通り夢の世界から帰って来れなくて現実離れしたことを話していたり考えていたりする人にこの病名がつきます。精神科に入院が必要です。私は間違いなく伍では入院ですよ」
リカは苦笑いを栄次に向けた。
「そんな病、聞いたことないぞ」
「こちらでは想像物が存在するのでないと思います。精神をこちらにとどめるための薬を注射されるそうです。実は……魂もソウハニウムという物質でできていると解明されました。
ソウハニウムはタンパク質とくっつくらしくてタンパク質の劣化によりソウハニウムは離れていくそうです。ソウハニウムがなくなると死ぬみたいです。
なので、最近はソウハニウムが離れない仕組みを……って、わかりませんよね。こちらでは全く違うニュースをやっていますし」
「……全くわからん」
「壱と伍ってこんなに違うんですよ。妄想症はこちらにきてわかりましたが、壱に引き付けられてしまう人を伍に留めるための世界のシステムなんでしょうね。だんだん考えすぎて、今の私が妄想症にかかっていて、伍で入院してるだけなんじゃないかと自分がわからなくなってきています」
リカは栄次を不安げに見上げた。
「……リカは色々考えているのだな」
「そうですね。こちらの世界はとても不思議です。ないものが存在しています」
リカはトマトを洗いながら答えた。
「そうか。俺達も……存在を否定されるのか」
栄次の一言にリカは止まった。
「……悲しいですね。私達はちゃんとここにいて、感情を持っているのに、これは世界のシナリオなのかと考えてしまう……。そういう私の気持ちにも悲しくなります」
「……俺達は生きた歴史がある。それは紛れもない俺達だ。更夜やスズは……人間の時代が作った犠牲者だった。自分達で考え、もがき苦しんだ。それが世界の筋道ならば、彼らは考えて追い詰められる方向にはいかないはずだ。道を間違えたのだ。間違えることは大事なことだ。俺が更夜を斬ったのも間違いだった」
「栄次さん……」
リカは目に涙を浮かべると栄次の手を優しく触った。
「……俺は……もし、これが運命で決まっていたのだとしたら、世界の道筋でも良かったと思っている。こうやって願っていた更夜と友になれ、スズが子供らしく笑えている」
「……そうですね。その通りです。私は……選択を間違ってはいないでしょうか……間違っているのでしょうか?」
リカは目を伏せて栄次の手を握る。
「リカ、この世界は正解不正解の積み重なりで結果が出る。どちらだかはわからぬが、現在、誰も不幸になっていないならば良い選択だったと言える。ナオは選択をあやまり、罪を償っている。そういうものだ」
「確かにそうかも……少し、気分が楽になりました」
「……故に……気に病むなと言いにきたのだ」
栄次は手を握られ、恥ずかしそうに目をそらした。
「あ、ごめんなさい。つい……」
「か、かまわぬ。生きているあたたかさを感じる故」
「トマトを水洗いしていたので冷たかったですよね」
「……手伝おう。ずいぶんと……沢山だな」
栄次は何かにわけられているトマトの山をあきれた顔で見つめた。
「ありがとうございます! トマトの種類毎にわけています! 一緒に食べ比べてみましょう!」
「あ、ああ……」
ふたりは仲良くトマトを洗った。