メモリー6
「はっ!」
プラズマは目覚めた。
「変わった世界だな……」
時計が沢山ある草原の世界。
アヤが想像した弐の世界だ。
「アヤはっ!」
プラズマはアヤを探した。アヤはどうでもよくなりトケイに消滅させてもらおうとしていた。
今、見つからないとまずい。
「アヤ!」
プラズマは静かに響く時計だけの世界で叫んだ。声は反響して消える。時計の針音しか聞こえない。
「アヤを探さないと」
プラズマは草原を歩き始めた。
歩いた先にうなだれて座り込んでいるアヤを見つけた。その横でトケイが人形のように動かずにたたずんでいた。
「アヤ……」
「未来を見たの」
アヤがふと、そんなことを言った。
「……?」
「私、怒りと後悔が抑えられなくて、あなたと栄次を何度も……これで突き刺してるの」
アヤは手に時計の針のような槍を握っていた。
「こんな世界、どうでもよくなっちゃえって……。あなた達はルナを呼んで、私に殺される瞬間に過去に戻るの。それを何回も繰り返すの。私は何度もあなた達を殺して何度も世界の滅亡を願うの」
「……アヤ、それはあるかもしれない未来だ。今はない」
プラズマはアヤに少しずつ近寄った。
「今の私は何にもなくて……なんにもしたくないし、なんにも感じたくない」
アヤは光のない瞳をプラズマに向けた。
「トケイももう動かない。動かなくなってしまった。こばるとくんもきっともう、元のこばるとくんじゃない……」
アヤに表情がない。
「世界の滅亡を考えるのはやめた。私の生存が大事なら、ここにずっといる。機械のように」
「アヤ、俺達は人間に近い神だ。感情をなくすなんて悲しいこと言わないでくれ。俺はあんたをずっと守ってきた。それはシステムなんかじゃない。俺の気持ちだ」
プラズマはアヤの前に座り込んだ。
「……あなたに出会わなければ良かった。あなたは私の心をかきみだす。ひとりなら今の気持ちのままで良かったのに」
「そんなこと、言うな」
プラズマは眉を寄せる。
「放っておいて……もう、何もしたくない」
「まだこばるとが生きているんだぞ。助けに行かないのか」
プラズマに言われたが、アヤは無気力にうなだれていた。
「おい、アヤ!」
「私が死んだら、こばるとくんは解放される? 元のまんま帰ってくる? 死にたいわけじゃない。元の彼に会いたい。
氷菓子を一緒に食べた。彼がアヤは甘いものが好きなんだ、今度僕がおいしいスイーツを作ってあげるって言った。この人生の前の生で。
私は彼が自分の息子であったことも忘れていた。彼は全部覚えてて、せつなかったにちがいない。私を一度、母様と呼んだことがあった。私は笑ったけど、彼はせつなげに笑っていた。かわいそう。私はなんで思い出してあげなかったんだろう。大事な親子の絆を忘れてしまったんだろう」
アヤは感情が制御できず、支離滅裂にひとりごとを発している。
アヤは人形のように動かなくなったトケイの頬を優しく触る。
「空が好きだった。空を見ると広い世界に飛べるような気がする、時間の経過もわかるんだと嬉しそうに話していた。私は橘家の長男として広い世界じゃなくて、狭い家に押し込んでしまった。
いつまでも母様母様と母離れしない息子に怒ってしまったこともある。寂しそうな息子の背中を見て、もっと関わってあげれば良かったと思った。あの子は甘えん坊でかわいかった」
「……そうか」
プラズマはアヤが何を言いたいのかわからなかったが、黙って相づちを打つ。
「顔が同じで、中身が違うなら……それはこばるとくんじゃない……。助けた時、同じ顔で他人なんて私は耐えられない」
「その確率はあるかもしれないが、アヤ、あんたもこばるとから見たらそうじゃないのか? 毎回あんたはこばるとを覚えていないんだから」
プラズマがこばるとの気持ちを代弁すると、アヤは突然、プラズマの 胸ぐらを掴んだ。
「だから! 私は! このシステムが嫌いなのよ! 嫌いだって言ってんのよ! 何回言ったらわかるのよ! ねぇ!」
急に怒りだしたアヤはプラズマを押し倒し、プラズマの胸ぐらを引っ張り、何度も地面に彼の頭を打ち付けた。
「あなたに私の何がわかるのよ! 何もわからないくせに偉そうにしてんじゃないわよ!」
アヤはプラズマの髪を掴み引っ張った後、プラズマの頬を思い切り叩いた。
「腹が立つ! 私が何も考えずにここにいようと決めたのに! 色々思い出させて、人の思い出に入ってきて! あんた、なんなのよ!」
アヤは再びプラズマを殴った。
「私は! この世界にいるの! もう何も考えなくていいの!」
「アヤ、痛いよ」
プラズマはせつなげにアヤを見ていた。
「痛い、アヤ」
プラズマは口から血を流しながら小さく呟いた。
「土足でひとの世界に入ってきて! 痛いって何よ! こばるとくんはもっと痛い! あなたは苦しめばいい。時神の主なんて、偉そうに。こばるとくんじゃないかもしれない見た目だけのこばるとくんを助けろだなんて、どの口が言えるの!」
アヤは神力を放出し、罪のないプラズマを槍で突き刺し始めた。
「うぐ……痛いよ……アヤ」
「痛いわよねー。かわいそう」
アヤは狂気にも似た表情でにやつくとプラズマの腕を槍で刺した。
「うっ……アヤ……こばるとを助けないと……手遅れに……」
「痛い痛い、アハハ!」
アヤは涙を流しながら笑っていた。その表情は「私は何をしているんだろう……」。
「……もうやめてくれ。痛いんだ」
「違う……。これは違う!」
アヤはプラズマを慌てて離し、「違う違う」と叫んだ。
プラズマは無関係だ。
アヤの気持ちとは無関係。
「違う……これは違う! 違う!」
アヤ自身が気持ちの方向性がわからない。どういう気持ちでいればいいかわからない。
誰かを攻撃することで気持ちを和らげる……、こばるとを最終的に刺したのは自分。
プラズマではない。
プラズマではない。
プラズマではないのだ。
「ごめんなさい。プラズマ……ごめんなさい……」
ただ悲しい。最終的にはただ悲しい。
悲しいだけ。
悲しい気持ちの行き先がなく、意味のない感情に行き着いてしまう。
こばるとは元のこばるとではないというのも確信できるものではなかったが、アヤは自分が傷つけた後のこばるとを見るのが怖かった。今よりももっと引き裂かれてしまう気がするからだ。
「もう……いい……」
アヤは小さく呟くと動かないトケイの前に座り直した。
「アヤ、そうやってずっといるつもりなのか? こばるとは生きているんだぞ」
プラズマはもう一度同じ言葉をかけた。再びアヤは怒り出し、プラズマの胸ぐらを掴む。
「こばるとくんは帰って来ない! 顔が同じだけの違う子はこばるとくんじゃない! 私が助けたとして、彼は私をどんな顔で見てくるっていうのよ! 私が殺したのに! 私が苦しめたのに! あんたなんか! なんにもわからないくせに!」
アヤはプラズマを地面に押し付け、何度も殴った。
アヤの感情は静寂と慟哭を繰り返す。偽りないアヤの感情。
アヤは自分を止める術がなかった。理性が働くはずのアヤが手を止められない。
思い出せば狂い、思い出さなければ虚無。
プラズマはなんども叩かれたので、埃だらけ、唇を切り血まみれ、頬は赤く腫れてしまった。
髪は引っ張られ、乱れている。
「アヤ、痛いんだよ」
「プラズマ……私……」
「……またごめんなさいか? いつまで繰り返す? 俺は死んでもいいのかよ」
プラズマの言葉がアヤを突き刺す。プラズマは大切な時神の主。
その破格な神格の上司はアヤのすることをすべて受けている。
怪我をしている。
「死なないで……プラズマ」
「……死なないけどな、こんなんじゃ」
プラズマは起き上がって唇の血を拭った。アヤは再びトケイの前に座り込んだ。
「救えるかもしれねぇのに、行かないのかよ」
「……」
アヤは黙り込んだ。
「おい、アヤ」
「……」
「なるほどな、封印をとかねぇ気か。あんたが封印したなら、神力を最低にして逆流の鎖を切らないとこばるとは助けられない」
「……こばるとくんじゃないわ。もう。私を恨むだけの違う存在になっている。こばるとくんは死んだのよ」
アヤはそうつぶやいた。
「死んでない! こばるとは生きてるんだよ! 何度言えばわかる!」
プラズマの叫びにアヤは唇を噛みしめた。
「神力が壊れて違う何かになってるって言ってるのよ! 私の心に入ってきておいて……」
アヤが最後まで言い終わる前にプラズマの平手がアヤの頬に飛んだ。破裂音が響き、アヤが倒れた。
「いい加減にしろよ! 何回も同じことを言ってるだけじゃねぇか! どんな形であれ、あの子は助けなくちゃいけねぇんだ!」
「痛いじゃない……」
アヤは叩かれた左頬を押さえ、立ち上がった。
「痛いだろ」
「思い切りやったわね」
「力半分くらいだな」
プラズマの言葉にアヤは神力を放出した。
アヤは今、鞘のない刀のような状態。どこでスイッチが入るかわからない。
「……喧嘩すんのか、俺と」
「喧嘩なんて野蛮なことするわけないじゃない」
アヤは神力を槍のようにするとプラズマに多数飛ばした。
「ああ、そう」
プラズマは飛んできた槍を結界で弾いた。弾いたはずの槍が再び飛んできてプラズマは軽く笑った。
時間操作。槍の時間を巻き戻したのだ。彼女は時間を簡単に操れる。
「なるほど。俺と喧嘩するってことだな。いいよ」
プラズマが霊的武器『弓』を取り出しアヤに神力の矢を放つ。
アヤは矢の時間を巻き戻し、アヤの神力を乗せて逆にプラズマに発射させた。
「おっとあぶねぇ」
プラズマは『未来見』で矢を予測し、軽々と避けた。
アヤは神力を振り抜く。プラズマは背中を軽く斬られたが未来見により最小限で避けた。そのままアヤが現れる場所を予測し、矢を放った。
アヤは脇腹をかすり、血を流すが、巻き戻しで元に戻した。
アヤが神力を乗せた蹴りをプラズマの腹にいれ、プラズマは『未来見』をし、結界を張ってアヤの足を受け止める。
「俺はそう簡単にやられねぇぞ」
プラズマの平手がアヤの顔を振り抜き、アヤは鼻血を流しながら飛ばされた。すぐに時間を巻き戻したアヤはプラズマの顔面に神力のこもった拳をぶつける。プラズマは『未来見』でうまく避けた後、アヤの拳を掴み、がら空きの腹に膝打ちをした。
「うっ」
アヤは呻き、胃液を吐くと時間を巻き戻し、プラズマの顔面を再び振り抜いた。
プラズマは血を撒き散らして倒れたが『未来見』でアヤが追い討ちをかけてくるのを見たため、すぐに立ち上がり、上から槍を持って飛んできたアヤをかわすとそのまま投げ飛ばした。
アヤは呻いて涙を流し、地面に転がった。すぐに時間を巻き戻す。
「まだやんのか」
「……」
アヤは無言のまま、さらに神力を放出させた。
「やんだな」
プラズマも神力を放出し、アヤの攻撃に備えた。プラズマからアマテラスの力が見え隠れする。
アヤは早送りの鎖を自身に巻き、プラズマに殴りかかった。
プラズマは『未来見』で避けたが、相手が早すぎて拳が当たり、のけ反った。隙ができたプラズマを神力の槍で突き刺した後、神力の矢を出現させ、さらにプラズマにぶつけた。
プラズマは『未来見』で辛うじて避けるとアヤの両腕を掴み、地面に叩きつけた。
アヤは呻き、さらに神力を上げた。プラズマの顔めがけて矢を放ったが、プラズマは『未来見』でかすりながらも避けた。
「はあはあ……」
アヤは息を上げながらプラズマの腹を蹴る。
「あんたの敗けだ。俺に両腕取られてんだから。女の子が……こんな高身長の男に物理な喧嘩をふっかけんなよ。死ぬぞ」
プラズマはアヤの神力がもうなくなりそうなことに気づき、攻撃をやめていた。巻き戻せなければプラズマが一方的だ。
「腹は男よりやわらけぇし、足や手は華奢だし、顔は丸くてかわいくて……殴る場所なんてねぇよ……。蹴る場所なんてねぇよ……。平手が精一杯だったよ……」
プラズマはアヤを押さえつけながら涙を浮かべた。
「お前と喧嘩すんの、辛かったよ」
アヤはプラズマを表情なく見上げていた。
「アヤ……こばるとは……お前を恨んではないと思うぞ。元のこばるとではないかもしれないが……こばるとはこばるとなんだ。
今も苦しんでいるなら、助けた方がいいじゃないか。神力が戻らないなら、皆で神力を与えてさ、元に戻してやろうよ。お前の心に土足で入って悪かった。お前と俺の関係は俺が思っているより薄かったんだと気づかされた」
「……プラズマ、私、よくわからなくなっちゃったみたい。こんな私に付き合ってくれてありがとう……。できるなら……私のそばにいて……。もう、あなたを傷つけたりしないわ。ごめんなさい……」
アヤは顔を歪めて苦しそうに泣いた。
「ごめんなさい……」
「いいよもう。一緒にいるから。だいぶん神力が落ちたな。こばると救出、頼んだぞ、栄次、リカ」
プラズマは物理的な方法でアヤの神力を落とした。こばると救出が楽になったが、プラズマはアヤが心配だった。
「お前、時間の巻き戻しが今はできないんだから、もう喧嘩するなんて言うなよ。女の子を殴るの、辛いんだよ」
「……私は沢山あなたを傷つけた。なんであんなことができたんだろう……。仕返ししてもいいわよ」
「仕返しはさっきした。腹を蹴ったし、二回殴ったよ。男は女を思い切り殴っちゃダメだ。筋力が違うんだから。そんなの当たり前なんだ。そこは平等じゃない」
プラズマはなんとも言えない顔でアヤを見ていた。アヤが傷つけたプラズマは腕から血を流し、唇から血がこぼれ、頬は腫れていた。
「……そんなわけないじゃない。こんな怪我をして、許せるあなた、おかしいわ」
アヤはプラズマに巻き戻しの鎖を巻いた。神力はさらになくなる。
「……あんたの平手なんて痛くもない。俺があんたを思い切り殴ったら、あんたは死んでしまうよ」
「もう、いいから。痛め付けて。私がやったこと、全部やっていい」
アヤから悲痛な声がもれる。
「俺にそんな趣味、ないよ。あんたがこばるとを助けてくれるなら、許すから」
「怖かったのよ。助けても私を恨んでて、神力がめちゃくちゃでこばるとくんの皮をかぶった別の神が出てくるのが」
アヤは震えていた。わけのわからなかった気持ちは怖いという感情に変わった。胸が苦しくて悲しいが、気持ちは明るくはならない。
「わかるよ。でもこばるとは時神だ。時神なら助けないと」
「プラズマ……本当にごめんなさい」
アヤは涙を浮かべ、息子に接するかのように優しく頬を撫でた。
「ごめんなさい……許して……。私を許して……」
アヤはこばるとに言っているようにも見えた。プラズマは胸が締め付けられた。
「許して……ごめんなさい」
「俺は許しているから、自分を責めるな。ここはあんたの世界。制御ができないのはわかっている。だから、当たり前のように入り込んだ俺を許してくれ」
「そんな、あなたが許してなんて言わないで……あなたは私が傷つけた。酷く……傷つけた……。こんなの……許されない」
アヤは震えながら泣いていた。
ただ、悲しい。
この感情はまた、破壊に向くのだろうか?
「……悲しいよな。もう、あやまらなくていいから。今は沢山泣きなさい。ただ、泣くだけでいい。我慢しなくていい。俺に遠慮するな。甘えるなら甘えて、一緒に泣こう」
アヤはプラズマの言葉を聞き、声を上げて泣き始めた。
「悲しい! 悲しい! もうナオなんてどうでもいい! 海碧丸っ! 帰って来てちょうだい! 母様に顔を見せてちょうだい! 海碧丸っ! 帰って来てっ……お願いよ! 悲しいよ! 海碧丸……」
プラズマはアヤの震える肩を優しく引き寄せた。
「こばるとくん、ごめんなさい。こばるとくん、許して……」
「感情を吐き出しても変わらないかもしれない。でも、今は悲しい気持ちに素直に、寂しい気持ちに素直になって、後悔とか全部捨てて、泣くんだ、アヤ」
「うっ……うあああ! ああああ!」
アヤは大声で泣き始め、悲鳴に近い叫びを上げる。プラズマはアヤの小さな身体を優しく包み、頭を撫でながら栄次に神力電話をかけた。




