メモリー2
リカと栄次はプラズマとアヤを置いて天記神の元へと向かった。ひぐらしが悲しげに鳴いている。太陽は沈みかけ、人間の図書館が閉まる直前になっていた。
危なげに駅前の図書館に滑り込んだ二人は誰もいない閲覧コーナーを横切り、霊的空間に入る。
この図書館はリカが襲われたあの時に一度、来ているので場所はわかっていた。
「ありました。本。行きましょう……」
緊張しながらリカは天記神の白い本を開いた。
神々の図書館内。
天記神は顔を引き締め、書類に目を通していた。ナオがやったこと、ワイズからの警告、剣王からの引き渡しなどの書類だ。
「……ナオさんに厳罰……。まあ、当然だわ。ワイズはナオさんを封印刑にはできないことを剣王にも言っているのね。ナオは壱と伍を切り離し、記憶操作をしたひとり。世界改変の重要な神……」
天記神は人間の歴史管理が主な歴史神のヒメちゃんと、藤原栄優と話していた。ムスビには待機を命じてある。
「天界通信本部……高天原南にいる稗田阿礼さん、太安万侶さんの歴史文書が届いています。それぞれ目を通しておいてください」
「テンキさん、ナオさんをどうするおつもりで?」
栄優が文書に目を通しながら尋ねた。
「……わたくしのように一生許されずに外に出られない幽閉でしょうか……」
天記神は静かに言った。
「あんた、この図書館周辺から出られないのは……」
「ええ、わたくしも、罪神ですから。もうずっと、青空を見ていない。オモイカネ様はわたくしを許してくださらない」
「……ナオさんもそうなると?」
「こうなってほしくないですわ。封印刑よりはマシですが。封印刑は身も心も切り裂かれてしまう。解放された時、何百年、何千年が経過してて、切り刻まれる痛みと苦しみから立ち直れない。封印されている間は世界に干渉できないため、孤独なのよ。この刑はほとんど出ないけれど、何百年の封印刑でも神力を半分は失うほど最悪な罰よ。世界から消えて必要なしとされ、人に忘れ去られたら、神は消えてしまうし」
「なるほど。ナオさんはこの世界にかなり関与しているからいなくなったら困るってかい?」
「そういうことです」
天記神は書類を置くとため息をついた。
「肝心のナオはどこにおるのじゃ?」
ヒメちゃんが不安そうな顔で天記神を見上げる。
「彼女はわたくしの神力で封印しています。罰を与えろとワイズから言われたのですが、彼女の処分の方向が決まらないので、二、三日の封印刑に今はしています」
「封印刑は身も心も傷つけるんじゃなかったんかい? かわいそうだあよ」
栄優は眉を寄せ、何とも言えない顔をした。
「仕方がありません。時神に示しがつきませんから……。時神は恨んでここにやってくるはずです」
「ま、そうだわな」
栄優が答えた刹那、図書館の扉がゆっくりと開いた。
「……来ましたわね。いらっしゃいませ」
天記神は顔色悪く、栄次とリカを見る。
「えーと……感情的になっていない私が過去神栄次さんとお話を聞きにきました……」
リカは天記神をうかがうように見上げ、ナオを探していた。
「申し訳ありません。ナオはわたくしが封印しております。罰を与えろとワイズから命令がありました。わたくしも気づいていながらあの子を守るために一部黙認しました」
「やっぱり、グルだったんですね」
リカに言われ、天記神は眉を寄せた。
「まあ、そう言われてしまうと……そうなるわね……」
天記神は書類をリカに渡してきた。
「栄次さんも一応」
「ああ」
リカは書類に目を通し、栄次は書類が正しいのか過去見で確認していった。
「……これはナオさんを許してはいけませんね……。時神をなめているとしか思えない」
「内容に間違いはないな。立花こばるとの記憶の一部としてトケイが存在しているが、トケイが今も存在できているのはなぜかわかるか?」
栄次に尋ねられ、天記神はさらに一枚の紙を渡してきた。
「これはアマノミナカヌシ、ミナトさんが持ってきた資料です」
「アマノミナカヌシ……ミナト?」
リカと栄次は訝しげに天記神を見た後に紙に目を通した。
内容は……
『トケイさんの不思議とこばるとさんの居場所について。時神が忘れていた立花こばるとさんは時神が思い出すまで僕が記憶の管理をしていた。
トケイさんは僕がこばるとさんの記憶を繋ぎとめていたので、記憶を持ったまま元の形で存在しているわけだ。
どちらにしろ、時神からこばるとさんの記憶がなくなることはない。僕が管理しなくても思い出していただろう。
黄泉のトラッシュボックスには上部だけ消した記憶も多数含まれる。表に出ないだけで、奥深くには記録や記憶はしっかり残る。
僕は予備としてこばるとさんの記憶を保存し続けていただけだ。
時神が思い出した今、こばるとさんを黄泉から救うチャンスである。
こばるとさんは悪くないが、アヤさんが霊的武器でこばるとさんを刺した時、こばるとさんはアヤさんの神力に縛られ、封印刑のような状態になっていたと思われる。
そのまま記憶を消去されたので、こばるとさんは封印刑を食らいながら忘れ去られ、黄泉のトラッシュボックスに送られた。
現在はズタズタに引き裂かれ、意識不明の状態か、もう神力が戻らない状態になっているのではと予想される。
つまり、まだ、亡くなってはいない。神はそうそう死なないからね。彼が犯した、『歴史を動かす罪』と封印刑は釣り合った。
もういいだろう。
彼は罪を償った。
助けてあげてほしい。
許してあげてほしい。
意識不明になっているだろう今もアヤさんの神力はこばるとさんを引き裂き続けているのである。
こばるとさんは黄泉にいる。
黄泉で忘れ去られたまま……』
リカはこの悲痛な手紙に涙を流した。こばるとは歴史を動かしてしまった罪を認め、罰を受けながら、救われることなく、黄泉で忘れ去られている。
彼は苦しんでいるに違いない。
そんなことをするつもりでなかったアヤもこの事実を知ったら、さらに傷つくはずだ。
「栄次さん……私……知らないのに……苦しいです」
「……ああ。俺もせつない気持ちだ。だが、こばるとは死んでいない。お前は正しかった。希望はある」
「……はい」
リカは涙をハンカチで拭うと小さく頷いた。
「……あんたんとこの時神さんも非道なことになっているが、ナオのお嬢さんも酷いことに今、なってるぜ?」
栄優は栄次とリカを苦笑いで見つめ、湯呑みに注がれた冷えたお茶を飲みほす。
「兄者、ナオも封印刑になったらしいですね。同じことを考えていると嬉しいのですが……」
「まあ、同じことを考えているだろうねぇ」
栄優は軽く笑った。
「天記神」
栄次が名を呼んだ。
「はい」
「こばると救出を罰としてナオに手伝わさせるのはどうだ? ナオは記憶を忘れさせること、神の歴史管理などができると。世界を保たせている神の一柱ならば、こばるとをこちらに呼び戻すことくらいできるだろう。封印刑は神道的ではない」
栄次がそう言い、天記神は冷めてしまった紅茶を一口飲み、考える。
「それでいいのか、どうか……。もっと彼女を苦しめる罰を与えるべきなのか」
「……封印刑は彼女には重すぎるが、あなたの神力でちょうど良いと思われる。これがワイズや剣王なら消滅ぎりぎりまで痛めつけられてしまうだろう……。
あなたの神力でも封印刑を長引かせるとナオは体に傷を負うことになる。血を吐いて、切り刻まれながら今も泣いているに違いない。
俺は、勝手な話だが、痛め付けるような罰で罪を償ってほしくはない。こばるとを救えるなら……今はかまわない」
「……そうですか。時神がそう言うのならば……一時だけ、解放し、こばるとさん救出に向かわせます。
その後の判決は高天原が下しますが、わたくしは封印刑を避けるよう、言ってもよいと。時神はそれで納得しているとして良いでしょうか」
天記神は涙ぐみ、ハンカチで目頭を抑えた。
「歴史神の主はお優しい。ナオを守ろうとしているのか。今回の封印刑もあなたが心を殺し、きつく神の鎖を巻いたのだと思う。本当はこんなことをしたくはなかったのだろう。俺達はあなたの気持ちも組む」
「……それじゃあ、ダメなのよ……。時神は今回の件を許してはいけません。紅雷王は許さないと思うわ。だから、今回は一時的に封印を解きます。高天原で裁かれる際に、時神が封印刑までは望んでいないことを報告させていただきます」
「……わかった。プラズマ、聞いたか」
栄次は小さくつぶやいた。
神力電話を使い、プラズマに内容を流していたようだ。
「……こばるとは生きているようだ。アヤの神力で封印された後、俺達が記憶を失ったため、彼は黄泉に送られ、アヤの神力に今も切りつけられている」
夕焼けの空にヒグラシが鳴く庭でプラズマは栄次の話を聞いていた。アヤはプラズマにすがって泣いている。
「それはわかった。それよりも」
プラズマは声を絞り出すように言った。
「なぜ、許そうとした? 俺はナオに相応の罰を望む。俺達は許してはいけないんだ。ナオはそれだけのことをしたんだよ。こばるとは今も苦しんでいる。俺達に忘れられて封印が永遠に続くところだった」
「そうだな。……だが、恨みや争いは戦を生む故。それよりもこばるとを助けに行きましょう」
栄次は静かに答えた。
「……わかった。お前の言う通りだ。俺達はどうすればいい?」
プラズマは呼吸を整えて、こばると救出に気持ちを切り替えた。