メモリー1
記憶が消去された。
立花こばると……橘家の子孫はひとり、いなくなった。記憶はダストボックスの黄泉の中に『繋がっていたあの時の世界の記憶』と共に。
プラズマはアマノミナカヌシ、ミナトが弐の世界の端にある、例の図書館へ返した。
アヤはなんで泣いているのか疑問に思っている。栄次は何かを思い出そうとしている。プラズマはアヤの背中を撫で続ける。
何か大事なものを忘れてしまったような気がする。
トケイは消えてしまった。
辻褄を合わせるため、世界がアヤの記憶からトケイを排除し、トケイは意味を失い、無意味に無感情に弐を飛び回る『なにか』となってしまった。
ナオが時神のシステムをいじったので、その辻褄を合わせるために世界が動いたのである。
世界はデータを取り続け、世界本体を保たせようとするものだ。
そこに意思はない。
意思があったのはナオだけだった。
時神三柱はそれぞれ穴があいた心を抱えつつ、「また、ここで会おう」と別れを告げ、それぞれの世界へ帰っていった。
二十年ほど前の話。
そして色々とありながら、アマノミナカヌシ、リカが現れ、世界はまたも動き出す。
アマノミナカヌシ、マナにより、すべての時神をリカだけにする過激な動きがあり、世界はまたもデータを収集しどちらが良いか天秤にかけた。分けたはずの壱から伍が再び繋がった方が良いのか、世界はひたすらにデータを収集し、賛成と反対のデータを戦わせた。
結果、世界は分かれたまま、時神は一つにまとめられ、同じ世界線からそれぞれ時神が過去、未来に関与ができるようになった。
その後、色々と辻褄合わせが入り、おかしな部分を潰していった。栄次を連れ戻す過程で黄泉に近づいたアヤとプラズマが立花こばるとを一部思い出したが、すぐに記憶は黄泉へ。
リカが破壊システムとして残されたトケイに感情を戻した。
データを取り続ける世界はこの内容をずっと書き込み続け、ナオの記憶消去は上部だけのものとなっていた。
「……僕はアマノミナカヌシ、ミナトだ。こんな悲しい結末にしたくないんだよ。こばると……。君は忘れられてはいけないんだ。だから僕は、ナオに提案した前から記録を取り続けている。黄泉の中にあるデータが消えるのには時間がかかるから、君をずっと、時神と結びつけてるんだ……。ずっとね」
ミナトは時神の家を高台の公園から眺める。夕日がミナトを照らした。
「リカが動き出す。彼女が気がついてくれたら……こばるとはもしかすると……」
ミナトは異様な神力が渦巻く時神の家から離れ、公園のブランコに腰をかけた。ミナトはまだ幼い少年。ブランコがよく似合った。
「僕は、どうしたら良かったんだろう」
ミナトはブランコをこぎながら、カラスとヒグラシの鳴き声を聞いていた。
「……こばると君を……守ってくれなかったじゃない……」
記憶を戻したアヤは二十年前のあの時に心が戻っていた。
「こばると君を助けてくれなかったじゃない!」
アヤはヒグラシが鳴く中、プラズマの胸ぐらを掴む。
「アヤ、やめろ」
横から栄次が声をかけたが、アヤは涙を流し、プラズマを強く掴んでいた。
「あなたが一番冷たく思えるのよ! こばると君をただ見ていたのはわざとなの?」
「違うよ」
「その表情と同情の入らない声、何にも語らないっ! ……昔から大嫌いなのよ!」
アヤは泣きわめき、プラズマを強く揺すった。
「……俺達は動けなかったんだ。こばるとは助けられなかった。あんたとこばるとはずっと今まで一緒にいたんだろ? 助けたかったよ。俺だって」
プラズマは下を向いて静かに言った。
「だから……なんでそんな……遠くから見てるみたいな……」
アヤがプラズマを睨み付けた時、アヤの頬に滴が落ちた。
「プラ……ズマ……」
「……俺……目の前であいつが死んでいくのを眺めてて……動けなかった……。ナオやムスビに無様に泣き叫びながら怒りをぶつけて……どうなったか覚えていない……」
アヤの頬に何度も当たる滴はプラズマの涙だった。
「ああ、俺達のせいにしていいんだよ、アヤ……。あの子を助ける術があるなら……助けたい。助けたいよ」
プラズマは初めてアヤの前で感情を出し、泣いた。
「どうしたらいいんだ……俺は。『あの時』以来だよ……こんなに悲しいのは」
「……ごめんなさい」
アヤはプラズマを掴んでいた手を離した。
「私、誰かのせいにしたかったんだと思うわ。もう、こばると君は帰ってこないから」
「アヤ、プラズマは感情を抑えていたのだ。お前の怒りと悲しみを受け止めてやろうとしたのだろう」
栄次に言われ、アヤは座り込み泣いた。プラズマは普段見せない表情で悲しげに佇んでいた。
「どうなっているんですか?」
戸惑っていたのは何も知らないリカだった。
「実は立花こばるとという名前の時神がいたのだ。ある歴史神の記憶操作が原因で立花こばるとは消えてしまった」
栄次がリカに簡単な内容を話した。
「……立花こばると……さん? 消えた……って弐の世界にもいないんですか? 壱の神様だったんですよね? 世界から消滅したと?」
「ああ……弐の世界に立花こばるとはおらず……代わりにトケイという時神が……」
「トケイ……」
リカは悩んだ。
「弐にいないのに、代わりにトケイさんがいる。もしかしたら……黄泉にいたり……? 私は直感でですが、こばるとさんは亡くなっていないと思うんです」
「リカ、お前の直感はあてになる。こばるとを探したい……」
栄次も悲しげにリカを見ていた。共有できないのはリカだけだが、三柱が悲しそうに泣くので、リカはなんとかしないといけないと思った。
同情や励ましではなく、こばるとは死ぬはずではなかったので、どこかにデータは残っていると考えたのだ。
「歴史神に問い詰める」
リカは眉を寄せながらつぶやいた。ナオとムスビはリカがこちらに来た時に会っている。タケミカヅチに裁かれるかと不安がっていたのを思い出した。
つまり、違反行為。
これに黙っている者はおらず、どこかで記録やバックアップをとっている神もいるだろう。
「……って私、なんでこんなところまで考えているの?」
「どうした?」
栄次に問われ、リカは黙り込んだ。わからないのだ。
「自分が知らない範囲まで物事を知っているんです。誰かの記憶なんでしょうか?」
「……可能性はある。今回はナオの違反行為だ。俺達が記憶を取り戻したのも誰かが情報に穴をあけたからだろう。ナオの判断をよしとしなかった神がいるのだ」
栄次は感情が抑えられなくなっているプラズマとアヤを眺め、目を細めた。
「プラズマは慈悲深い。アマテラスの力が関係していると聞く。彼は感情を抑えていたのだが、抑えられなくなったようだな」
「栄次さん、歴史神さんの所に行きましょう。問い詰めます」
リカは立ち直れていない二人をせつなげに見つめると、栄次を強い眼差しで見上げた。
「ああ……俺は過去神、今までのことは説明できる。ナオは今、天記神に拘束されているはずだ」
「拘束ですか。歴史神達もナオがやったことを気づいてますよね?」
リカの言葉に栄次は頷いた。
「おそらく、あそこの頭、天記神には鋭く尋問されているはずだ」
栄次はまだ沈みそうにない夕日を眺め、拳を握りしめた。