心の行く先は6
サヨは白い空間の真ん中で、うずくまって泣いている銀髪の子供を見つける。
青い着物を着た幼い少年。
目の前に腹を裂かれた猫が物のように捨ててあった。
残虐でせつなくて、苦しい気持ちになった。
少年は血にまみれた猫を抱き、ただひたすらに泣いている。
「クナイちゃん……クナイちゃん……」
少年は猫の名前を呼びながら、叫ぶように泣き始めた。
「おれがいけなかった! お父様の言うことを聞かなかったから、いけなかったんだ。痛かったはずだね、ごめんね……」
少年は泣きながら猫を地面に埋める。彼がかわいがっていた猫だったのだろうか。
「……おれは、わるいこだから、お父様のおしおき、受けてくるね」
少年はいつの間にか現れた望月凍夜に泣きながらあやまり、凍夜は笑いながら少年の頭に手を置いた。
「動物を使った忍術もあるんだ、更夜。敵の忍が猫の尻に紙をぶっ刺してこの辺にいる仲間へ連絡していた可能性もある。まあ、一応腹を裂いたが何にもなかったな。お前が猫を使って何かをしようとしていたのか? それだったらすばらしい才能だ」
「……ち、違います……。クナイはおれの、ともだちです」
幼少の更夜に凍夜は笑いながら首を傾げた。
「よくわからんが、仕事をサボって猫を飼っていた。と、いうことでいいのかな? 間者かどうかもわからん猫を何の意味もなく世話していたと?」
「……そうです。たぶん。……意味はないと思います……」
凍夜の不気味な笑みに更夜の体が激しく震える。
「この場合……悪いのはお前だな。うちは連帯でケジメをつける決まりだ。兄姉もお前の母もお仕置きだな。さあ、何をしようかなあ。新しいなんかを考えるか。顔を歪めるのが痛いってことなんだよな? じゃあ……」
更夜は恐怖に歯を鳴らしながら、兄、姉になんとか罰がいかないよう、必死に二人を庇う。
「こ、これはっ、おれがいけない……んです。お兄様、お姉様、お母様のぶんもっ……おれにやってくだっ……ください」
「まあ、それでもいいか」
「ひっ……ひぃぃん……」
更夜の鼻をすする音と嗚咽がサヨの耳に届く。
……おじいちゃん……。
幼い更夜は踞り、凍夜にあやまり続ける。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
更夜がケジメにこだわるのは、幼い頃からの凍夜の教育からだった。
逃げたらいけない。
逃げることは、悪だ。
自分じゃない誰かが傷つく。
自分が悪いならちゃんと、『罰を受けなくては』。
痛みに耐えることで、罪を償える。許してもらえる。
この時期の更夜にはしっかりと痛覚があった。
……痛い……痛いっ……
これは……おれのもんだい。
おれのおしおき……。
助けを求めたら許してもらえない。
「かわいそう……。酷すぎる」
サヨは涙を浮かべ、拷問される更夜を見つめる。
痛いと叫ぶ更夜に凍夜は笑いながら「そうか」と声をかけ、全くその手を止めない。
痛いなら効いている、罰として成立している……凍夜はそう思っているに違いない。
「……おじいちゃんはいつもケジメとして罰を与えていた。それは別に良かった。あたしは反省できたから。でも、ルナには暴力になってしまっていた。娘さんの静夜サンにも言うことを聞かないと叩いていたって言っていた。
そうか。痛みを与えれば償ったことにできると思っていたんだ。きっと、それは違うってわかっていたんだろうな。だから、あたし達に酷い罰を与えず、お尻を叩いて叱っていたんだ。あの時、あたしのお尻を叩いた後、手が震えてた。罪を償う方法がこれでいいのか、考えてた」
サヨは血にまみれながら謝罪を繰り返す更夜を悲しげに見つめた。
「おじいちゃんは感情がうまくコントロールできないし、細かい選択が上手にできない男。迷うものの、結局は自分のルールから抜け出せない。きっと、ずっと苦しんでいたに違いない」
やがて凍夜が去り、更夜は立ち上がる力もなく横たわり、口元を緩めた。
「……許してくださった。おれは許してもらえた……。罪をつぐなったんだ」
更夜はひとり、笑っている。
「いきるのって……むずかしいな」
更夜は立ち上がる。
傷が治り、少しだけ大きくなった。記憶がわずかに流れたのか。
「お父様に従うのは本当にいいことなのだろうか。周りの人達を見ていてもあのひとは異常だ」
更夜がつぶやき、記憶は激流のように流れていく。
もがき苦しむ更夜。
戦国を生きるのは彼にとってすごく辛いことだった。
幼少の時にかわいがっていた猫同様に、子がいないか確かめるために腹を裂かれ殺された妻、娘は奴隷になり辱しめられ、娘を助けるためスズを殺す。
更夜は自分の人生がわからなくなっていた。
なぜ、自分は生きているのか?
存在価値はあったのか?
存在理由はなんなのか?
幸せはどこにあるのか……。
「もう嫌だ……」
更夜はうずくまり、つぶやく。
「こんな苦しい思いをするなら死にてぇよ……。もう消えてぇよ……」
更夜は子供の姿に再び戻り、泣き叫んだ。
「なんのために俺は生まれたんだよォォ! アァァ!! アァァァ!!」
叫び、頭をかきむしり、拳を何度も地に打ち付ける。
更夜は気が動転していた。
先がない。
道がない。
どうすればいいのかわからない。
自分が正しいのかわからない。
生きている意味がわからない。
悲しい。
悲しい。
むなしい。
……さみしい。
「おじいちゃん、助けに来たよ」
サヨは苦しんでいる幼い更夜に優しく手を差し伸べた。
更夜は泣きながらサヨの顔を仰ぐ。幼い更夜は純粋で、かわいい顔をしていた。
優しい子だった事がよくわかった。元々、人を殺せるような性格ではなかったこと、冷酷な殺人鬼ではなかったこともよくわかる。
望月凍夜が彼を変えた。
「今までありがとう。育ててくれて、ありがとう。苦しかったよね」
突然に現れたサヨを更夜は怯えながら見上げていた。
「……おじいちゃん……あたしがわかる?」
更夜はサヨの顔を戸惑いの表情で見つめた後、記憶を呼び起こした。
「さよ……?」
「そう、サヨ。おじいちゃんが育てた娘のひとりだよ」
サヨは更夜の前にしゃがむと、更夜を優しく抱きしめた。
サヨが子供の時、何度も大きな更夜に抱きしめてもらっていた。
がっしりしてて、安心して、更夜がいれば自分達は守ってもらえているという気持ちになれた。
でも今は小さくて、華奢で、弱々しい。
「この時はただのチビッ子だね。かわいいよ、おじいちゃん」
「……あったかいなあ」
「……おじいちゃん、あのね。おじいちゃんはひとりじゃないんだよ、もう。だから、別に強くなくてもいいんだよ?」
「……うん」
更夜から更夜らしくない言葉が出て、サヨは涙ぐみながら微笑む。
「おじいちゃんの後悔があたしらにもかかっていたとは思わなかったよ。あたしの小さい時はただ、怖いけど優しいおじいちゃんだった。でも、今はまた違う感覚」
「さよ……大好きだ。さよは、やさしい」
更夜がサヨに甘えてきた。
「……うん。優しいよ。あたしは優しいんだ。あたし達はおじいちゃんに育てられた。幸せだったよ。ルナは、おじいちゃんが大好きで、おじいちゃんばかり追いかけてる。おじいちゃんはルナを幸せにしてる。
今を見て。あたしもルナも、スズも……おじいちゃんがいないと生きていけない。
あの時、おじいちゃんは『凍夜に接触しない』と逢夜サンに答えてくれてて、嬉しかったんだよ。あたしらに凍夜は関係ない。今を生きることに一生懸命になろうとしていたんでしょ? 今を生きていることに幸せを感じていたんでしょ? 戻ろう? おじいちゃん。今に」
「……さよ、大好き」
安心した更夜は優しげに微笑み、サヨは更夜を抱きしめた。
「おじいちゃん、あたしも大好きだよ」
あたたかい感情が流れ、さらに優しい声が響く。
サヨ達の前にひとりの少女が現れた。
「更夜、やっと見つけた……。千夜、逢夜の時と違って私は凍夜に完全に従っていたから、あなたを捨ててしまっていたこと、本当に申し訳ないと思っています……」
少女はサヨに微笑み、更夜を撫でる。
更夜は明るい笑顔を彼女に向け、「おかあさま!」と抱きついた。
「優しい、優しい、わたしの息子。クナイちゃんはね、こちらの世界で幸せに消えたわよ。最後にクナイちゃんが私に会いに来て、クナイちゃんの心の声を聞いたの。『優しきあの時の少年へ繋いでくれ。今ある役目を全うし、幸せに生きるが良い』って言い残して消えていったわ」
「そうでしたか」
母に甘えていた更夜は今の更夜へと戻り、母から離れた。
「ありがとうございます。お母様。会えて嬉しかったです。私はおそらく、他にも恨まれているでしょうが、それは私が受け止めます。過去は消せませんが、もう、大丈夫。気持ちが晴れました。では……私は戻ります。あたたかい我が家へ、俺の家族と共に」
「……更夜、あなたは私の自慢の息子。仲間や家族が沢山いる。幸せに生きなさい。……私は最後の娘、憐夜を探しに……」
母は微笑んで更夜に手を振ると、世界から消えていった。
「憐夜……」
「おじいちゃん?」
「あ、ああ、いや、ありがとう。サヨ。もう大丈夫だ。行こう。俺は、帰りたい。ルナやスズ、皆に会いたい」
更夜の言葉を聞き、サヨは満面の笑顔で更夜と手を繋いだ。