心の行く先は4
ハルと静夜は更夜の少年時代を早送りで見ていた。
「……凍夜はいつもの凍夜ですね。お母様……」
静夜が頭を抱え、ハルがため息をつく。
「更夜様はこんなひどい目にあっていても、一度術を自力で解いているのよ」
「……怖くなかったんでしょうか……。いや、怖かったはず。それが十四歳で反抗心に変わった」
「そうだと思うわ。ほら、私が出てきた。更夜様が十歳の時に八歳の私が農村から拐われたみたい。お父様、お母様が戦で亡くなったの。ぬくもりがほしかったのよ。だから、凍夜についていった」
ハルは目に涙を浮かべ、悲しげに笑う。
「お母様……かわいそうに。見ているのが辛くなってきました」
静夜はハルに寄り添った。
「……怖かったわ。大きな男が笑いながら私に暴力を振るの。いつも震えていたわ。でもね、更夜様が守ってくれたのよ」
「……私も怖かったです。でも、お父様が来てくれるはずと頑張って耐えてました」
「あなたも大変だったのよね……。ほら、そろそろ……」
ハルが静夜の背を撫でた時、更夜がハルと幼い静夜を連れ、凍夜の屋敷に入ったところだった。
更夜の顔は暗い。
時間がゆっくりになった。
更夜の声が聞こえる……。
……俺が守らなくては……。
俺がやらなくては……。
もう、アイツを殺せる力はあるんだ。
家族を守らねば。
「静ちゃん、行こう」
「はい」
ハルは静夜の手を引き、屋敷へ入る。
障子扉の部屋から更夜のか細い声が聞こえた。
「静ちゃん。更夜様は必死だったのよ。あなたはまだ小さかったけれど」
「はい。私はずっと、お父様がなんとかしてくださると思っていました。私がお父様の年齢、二十歳前後になった時、お父様がどれだけ若かったのか、選択肢がなかったのかを思い知りました」
静夜の言葉が重くハルにのしかかる。
「……ええ。私も若かった。だから突発的に更夜様とあなたを守ろうと自分を犠牲にしてしまった」
ハルがつぶやいた刹那、更夜の泣き声が聞こえた。
「ハルがっ!」
「静ちゃん。行くわよ」
「はい」
ハルと静夜は障子扉を開けた。
刹那、記憶内のハル、静夜が今のハル、静夜と同化し、ハルは凍夜の前に投げ出され、静夜は子供に戻り、更夜の後ろに回された。
更夜が子供に戻った静夜を抱きしめ、ハルへの暴行を見せないよう胸に押し付ける。
静夜は更夜の心臓が壊れそうなほど早く動き、ひどく体が震えていることに気がついた。
当時はわからなかった。
自分は幼すぎた。
父がどれだけの恐怖を味わっていたのか。
静夜は顔をわずかに上げた。
更夜は恐怖に満ちた顔をしており、唇が震え、何かを小さくつぶやいている。
静夜は唇の動きを読んだ。
……こ、わ、い……
……こ、わ、い……
……こ、わ、い……
更夜はずっと同じ言葉を声を出さずにつぶやいていた。
静夜は目を伏せると、静かに口を開いた。
「お父様、私達は大丈夫です」
「……っ!」
突然に落ち着いた静夜の声がし、更夜は驚いた。
「……大丈夫だ。守ってやる。安心……しろ」
更夜は静夜に優しく声をかける。恐怖を悟られないよう、静夜にそう言ったように感じた。
「ありがとうございます。お父様。もう、怖がらなくて大丈夫です。静夜は無事に大きくなりましたよ」
更夜の力が緩む。静夜は更夜から離れ、母、ハルを呼んだ。
「お母様」
「静ちゃん、うっ……やるわよ」
ハルは凍夜に暴行され、逆さに吊られる寸前だった。
ハルは太陽神の神力を放出し、凍夜を一瞬怯ませる。
「なんだ?」
凍夜が笑いながらハルを見た。
ハルは傷だらけのまま、立ち上がり、更夜の前に立つ。
「は、はる……」
「更夜様、ハルは強くなりましたよ。私は『あなたをおいて死ねません』から」
「……っ」
更夜はハルを引っ張り、自分の後ろに回す。
「更夜、何をしている?」
笑っている凍夜を必死に睨み付ける更夜。
「……ハルを……静夜を守れなかったんだ、俺は……。怖かったんだ。コイツが……。俺ひとりで妻と娘を守らねばと追い詰められていた。だが、よく考えろ……。ハルはハルで俺と娘を守ろうとし、静夜は静夜で俺とハルを守ろうとしていた。俺達は……コイツに屈していない、ちゃんとした家族だったんだ……」
更夜が忍ばせていた刀に手をかける。
「お父様。刀は必要ありません」
静夜は『K』の力を放出させる。
「……?」
「私達、家族は強い。お父様の生きた人生ではお母様が死んでしまった。ですが、心の記憶ではお母様は死んでいません。私はあなたが誇りのままです」
「その通りです。更夜様。私に力をお貸しください」
静夜の『K』の力、ハルの『太陽神』の力で更夜の心はあたたかくなっていく。
もう、凍夜の影が見えない。
更夜は立ち上がり、ハルの元へ歩く。
「はる……おはる……」
更夜はハルに手を伸ばした。
ハルは優しく微笑み、更夜の手をとった。
「私達の時代はとうに終わり、凍夜も消えました。もう、あの男にとらわれなくていい……。あなたを待っているひとは沢山いる。あなたを大切に思っているひとも沢山いる。私も静ちゃんも、あなたにいつでも会える……」
「……う、うう……」
更夜は涙を堪え、ハルから離れようとした。
「泣いて、いいんですよ。あなたは強くない」
「……俺は男だ。妻と娘の前で……泣けるわけないだろう……」
「あなたらしいですね。ですが、あなたは強くないのですよ。強い人間は……凍夜のような感情がない人間です。強さの方向性が違います。あなたはそちらの方面の強さではなく、感情があり、前を向いて歩ける、優しい強さの方です」
「私も、お父様の辛さを感じました。私がお父様の年齢の時に、適切な生き方の選択ができていたのか、今もわかりません。でも、私は幸せでしたよ。お父様が選んだ道のおかげです」
ハルと静夜は更夜の手を握り、優しげに微笑んだ。
「ハル……静夜……。会いたかった……」
更夜は心に従い、ふたりにすがって泣いた。
「会いたかった! 会いたかった! ずっと……会いたかったんだ。俺は怖かった。家族の形が壊れていくのが、怖かった……。情けねぇ……手が震えてんだ。アイツを憎む気持ちはもうない。ただ、家族が……家族がいなくなっちまうのが……さみしかった」
「ええ……。私もさみしかったです。あのまま、三人で平和に過ごすはずだった。もしかしたら、静ちゃんに兄弟ができていたかもしれない。そんな未来があったのかもしれない」
「……私もさみしかったです。ひとりになって、凍夜に尽くして、泣き叫んでも父も母も来ない。ですが、幸せになれました。お父様、ありがとうございます」
ハルと静夜の声を聞きながら、更夜は強さを捨て、ただ、子供のように泣きじゃくっていた。
ハルの太陽神の力、静夜の『K』の力、更夜の優しい神力が空間に満ちる。
凍夜の影は完全に消え、白い光が黒い闇を外へと追い出した。