心の行く先は1
凍夜はずっと笑っている。
状況が優勢だろうが、劣勢だろうが、笑っている。
本当に人間の感情が欠損しているらしい。
サヨ、千夜の旦那の夢夜、そして逢夜は連携して凍夜のマガツヒを削いでいく。
「はあはあ……削いでもマガツヒをどうすればいいかわからない」
サヨがイツノオハバリを構えながら息を吐く。
「サヨ、無理はするなよ。突っ込むな」
逢夜が注意し、夢夜が凍夜の攻撃を受け止める。
凍夜は楽しそうに刀を振り、異様な雰囲気のまま、夢夜を斬り殺そうとしていた。
「……あの人、本当になんか、怖い」
サヨがつぶやき、イツノオハバリが光り出す。
一度人間時代に凍夜を倒している夢夜も凍夜が纏うオオマガツヒの神力になかなか勝てず、苦しんでいた。
先程とは違い、復讐衝動、破壊衝動を抑えての戦闘。夢夜には我慢と怒りの感情がのしかかる。
笑っている凍夜へのイラつきを抑えながらマガツヒを削ぐサヨを守っていく。
「ふぅ……」
息を吐き、凍夜が飛ばす手裏剣を刀で弾き、背後にまわり、振り抜いてきた凍夜の刀を前にわずかに足を踏み出しかわす。
夢夜は攻撃をやめていた。
逢夜は夢夜の間合いに入らないよう、計算して凍夜を追い詰め、サヨに凍夜の隙を教える。
逢夜が手裏剣を投げ、凍夜の位置をずらし、夢夜は刀で凍夜を突く。わずかに隙ができ、逢夜がサヨに声をかけた。
「サヨ」
「……イツノオハバリ、削げ!」
サヨが叫び、イツノオハバリの光りが一直線に飛び、凍夜のまわりを舞うマガツヒを引き剥がす。
「まだか……」
逢夜と夢夜は衝動が負に落ちないよう必死だ。いまだにマガツヒを帰すための黄泉が開かない。
「なぜ、まだ黄泉が開かない? マガツヒが凍夜に戻ってしまう」
削がれたマガツヒは集まり、凍夜に入り込もうとしている。
「……凍夜は本当にずっと笑っている」
サヨはイツノオハバリを構え、つぶやく。
「他の感情は本当にないのか?」
サヨはまっすぐ凍夜を見据えた。会話にはならないか。
「ああ、マガツヒが出ていくなあ。お前を先に殺す方が良さそうだな?」
凍夜は笑いながら刀をサヨに向けた。精神状態はやはり異常。
「本当に感情がないのか?」
サヨはマガツヒが少なくなった凍夜を睨み付ける。
凍夜は変わらない。
「そういえば……」
凍夜は相変わらずにやけたまま、口を開いた。
何かを思い出したようだ。
……千夜が帰ってこない。
一緒に息子を育てる予定だったんだ。
千夜はお前の娘だろう?
お前は異常だぞ、愛を知らないのか?
婿養子、夢夜に言われた言葉。
とりあえず、凍夜はそれを口にする。
「千夜が死んだ後、婿養子にも言われた。『愛』とはなんだ? お前を殺そうとした時、興味が出た」
凍夜が初めてサヨに問いかけた。その抜けた質問にサヨは奥歯を噛み締めた。
「今さらかよ……」
サヨは気持ちを抑える。
「望月家を壊して自分勝手に生きて、今さらかよ! 誰もお前を許さない。許してない!」
サヨは凍夜を睨み付けた後、息を吸って気持ちを落ち着かせる。
サヨは恨みを抱いてはいけない。
「あんたは、かわいそうなヤツだ。感情がないなら、辛い気持ちもないし、焦る気持ちもないし、慈悲もない。周りと乖離していることもわからない。自分がかわいそうだとも思えない。あたしがあんたをかわいそうって思う理由も気持ちもわからない」
「そうか」
凍夜は楽しそうに微笑んだ。
「笑うところじゃないんだよ……。でも、愛に興味が出たんだね。……興味か……。それは興味じゃなくて本当は感情なんだよ。愛情は感情……。そこに優しさとか嬉しさとか、辛さとか悲しさとか……そういうのが……」
「そうなのか」
凍夜はわかっていない。
「悲しいな……」
サヨの目から涙がこぼれた。
凍夜が理解をしていないことがたまらなく悲しかった。
「なんでこんな……あたしが悲しいのかな。なんで……あたしが悲しくなるんだろ」
凍夜はなんとも思っていない。
サヨは人間の複雑な感情を感じていた。これはなんだろうか。
むなしさか?
この何と言えばよいかわからない感情は元を辿れば喜怒哀楽のどれかだ。こういうわからない、説明できない感情も人間は頭の中や体で感じる。
だが、この男にはそれがない。
単純な「喜」、それからくる「興味」の二つしかないのだ。
サヨが何かを言おうとした刹那、凍夜の背後に不思議な空間が現れた。小さな島が空に浮いているだけの世界。
その奥に苔むした神社と、どこか懐かしくなるような日本の山。
「……これは?」
サヨが目を見開き、夢夜、逢夜は警戒した。
凍夜は笑いながら振り返り、吸い込まれていくマガツヒをただ眺めている。
「黄泉か?」
サヨが反応するイツノオハバリに目を向けた。
「黄泉が開いた!」
「ああ、ようやく開いたか」
夢夜が声を上げ、逢夜が呆然と立ち尽くす。
「……っ!」
サヨは一瞬だけ、不思議な生物を見た。牙が生えている四つ足の生き物。体は真っ白で顔はいかつい。
「あれは、こまいぬ」
なんだかわからないまま、サヨは言葉を口にする。知ることのなかったデータが電子数字となってサヨの瞳に流れた。
「……こまいぬ……。どうして『今』の神の使いは鶴なの?」
サヨはその言葉をつぶやき、我に返った。
「黄泉が開いた! マガツヒがいなくなる!」
手前にある世界、小さな島が空に浮いてる世界から、長い髪をした若い女が現れ、こちらを見てきた。
「……誰?」
着物を着ていた女は遠くの空に浮かびながら、何もせずに立っている。
「……桃、葡萄、筍。イザナギじゃない。不老不死、かぐや姫、桃太郎……鬼。鬼神はだあれ?」
女はそれだけ言うと、消えていった。
「何?」
眉を寄せていた時、マガツヒが黄泉に吸い込まれていた。
サヨの後ろからみーくん(天御柱神)とサキが慌てて走ってくる。
「黄泉が開いたか! ……イザナミ。久々だな……。……なんで久々なのか、よくわかんねぇが。知らねぇはずなんだよ……だが」
みーくんは不思議そうに思いながら、消えた女にそう言った。
「まあ、黄泉が開いたんだから、凍夜を生身にできるじゃないかい!」
サキに言われ、みーくんは頭をかいてから、サヨに目を向ける。
「望月サヨだったか? イツノオハバリで黄泉を閉じる準備をしろ」
みーくんは神力を上げ、マガツヒを黄泉へ押し込み、サキも神力を上げて陽の力を放出した。
「えー、わかった」
サヨはやり方がわからないまま、イツノオハバリを構え、みーくんとサキをうかがう。
マガツヒが全部吸い込まれた段階でみーくんが叫んだ。
「『K』の力で黄泉を閉めろ!」
「えっと、弐の世界、管理者権限システムにアクセス! 『閉じる』!」
サヨはとりあえずそう叫んだ。
すると、イツノオハバリがさらに光り出し、境界線が不明瞭な黄泉の世界を強制的に閉じた。
凍夜は力が消えた後、黄泉が閉じるのを楽しそうに眺めている。
気がつくと凍夜の体が徐々に透けていた。
「……あんたは消えるんだね。弐の世界は後悔とか負の感情を持った者が、魂がきれいになってエネルギーに分解されるまで、存在する世界だ。だけど、あんたは負の感情がない。もう、すぐに消えるはずだったのに、望月家の恨みのせいで消えられず、残っていた。望月家の恨みがマガツヒを呼び、あんたは一時期、神になってたんだ」
「なるほど」
凍夜は楽しそうに笑いながら、一言だけ続けた。
「興味深い」
それだけ言った凍夜はサヨに笑みを向けたまま、電子数字に分解され、消えていった。
「ちくしょう! なんでわかんねぇんだよ! なんでそんな大事なものが、あんたにはないんだ!」
悔しさか、悲しみか、怒りか、よくわからなくなったサヨの叫びが、世界にこだました。