鬼神の更夜7
黒い影が寂しげに揺れた。
「……あの小娘」
逢夜がそうつぶやき、逃げ行く影を掴まえる。
「スズだな?」
「……」
スズは何も話さずに逢夜に襲いかかってきた。逢夜は忍び装束を着たスズの腕をとり、拘束する。
スズは関節を外すと逢夜の手をすり抜けた。
「関節外しか。忍なのは間違いないようだな」
逢夜は更夜の前まで来るとスズがいることを伝えた。
「お前に巻き込まれたスズも負の感情に支配され、自暴自棄だ」
「スズ……」
更夜が立とうとしたので、栄次が止めた。
「俺がいく」
「栄次……っ! 彼女は……」
更夜が言いかけ、栄次が止まった。
「わかっている。攻撃はしない」
栄次がそう答えたがスズは止まらない。オオマガツヒを纏ったスズは折られた片腕を無理に動かされ、操り人形のように栄次に襲いかかる。不気味な笑い声をもらしたスズは黒い竜巻をいくつも出現させ、栄次を闇へと引きずり込もうとしていた。
「フフフ……。アハハ! 嫉妬は醜い~、嫉妬は醜い~、バカみたい~、何も苦労も、こんな気持ちにもなったことないくせに、幸せなんて許せない~」
スズは笑いながら鋭い刃の竜巻を栄次にぶつける。スズが憎しみを増やすことで、竜巻の切れ味は増していく。
栄次は竜巻をかわしたが、この竜巻はどこまでも追ってくるようだ。
栄次が迷っていると、逢夜が急に間に入ってきた。
「厄除けの俺が相殺してみる」
逢夜が竜巻を睨みながら神力を高める。すると、竜巻は逢夜を避けてから消滅した。
「消滅。度合いが俺の神力より下で良かったぜ」
逢夜が軽く笑い、スズは再び笑いだした。
「アハハ! こんな気持ちになったことない『アイツ』が、幸せに生きたのが許せない! 不幸になれ! なんてあたしは醜いのか、アハハ!」
スズは先程よりも鋭い斬撃の竜巻を多数出現させ、栄次と逢夜を襲い始める。
言葉は凶器だ。
スズの思いがこもってしまった竜巻は容赦なく人を切り刻む。
「お前が言う『アイツ』とは、おはるか?」
逢夜が尋ねるが、スズは答えない。
「恨みたくないのに、恨んでしまう。人間にはある感情だ。お前もわかってるじゃねぇか。嫉妬は醜いって言っているしな」
逢夜はさらに神力を上げ、竜巻を消滅させる。その時に、動揺している栄次も引っ張り、自分の側にいさせた。
「『アイツ』はあたしの気持ちなんかわかるはずない! 『アイツ』は愛されて、幸せで、いつも気にかけてもらえてる! あたしは気を使われて、比較されて! 『アイツ』みたいな魅力が欲しかった。『アイツ』みたいになりたかった」
「お前は『おはる』にはなれねぇよ? まあ、だから恥ずかしい嫉妬、してるんだろうがな」
逢夜が鼻で笑い、スズの怒りが増えていく。栄次は慌てて逢夜を止めた。
「逢夜……スズの気持ちを考えてやれ……」
「事実だろうが」
逢夜は栄次を見ずに吐き捨てた。
「ううう……」
スズは自嘲気味な笑いから一変、苦しそうに涙を流し始める。
「何泣いてんだよ。泣いたところで事実しか残らねぇぞ」
「わがっでる!!」
スズは怒鳴りながら逢夜に殴りかかった。
「いちいち言うな! 殺してやる……」
「はあ~、てめぇみたいなガキが俺を殺せるわきゃあ、ねぇだろ? なめやがって」
逢夜がスズを逆撫でする言葉しか発していないため、栄次はヒヤヒヤしていた。
「お、おい……逢夜……」
栄次が困惑しながら見ていると、逢夜がスズに合わせて動いているのがわかった。逢夜はスズの拳をかわしているが、反撃をしていない。
「……そうだった。あの男は根が優しいのだ」
栄次は二人の戦いを見守ることにした。
「あたしの人生は、なにもかもうまくいかない人生だった……。お父様にも愛してもらえなくて、更夜はあたしと娘を天秤にかけて娘をとって、おはるさんには勝てないまま、距離をおかれて……。あたし、存在価値なかったんだ。邪魔者だよね。産まれた時から邪魔者だったんだ」
スズは涙を流しながら、逢夜を殴りつけた。憎しみ、悲しみの感情が漂い、さらにスズを下に落とし続ける。
「そうか?」
逢夜はスズの拳を手で弾きながらスズにそう言った。
「だって……っ!」
「よく考えろ。凍夜がお前を利用したのは更夜の心を揺さぶるためだ。お前がどれだけ更夜にとっての大事な人かアイツはいち早く気がついたんだよ。だから、お前はひどい目にあった。お前はもう、望月家に入り込みすぎてる。大事な存在なんだよ」
「……そんなわけ……」
「そんなわけないか? お前な、更夜の気持ちを考えているか? お前をどんだけ大切にしていたかわからないのか? 望月ルナもそうだ。望月ルナの唯一の友達はお前だ」
スズの攻撃が弱くなった。
「ルナ……」
スズは拳を握りしめ、下を向いた。
……スズー! あそぼ~!
いつも、そばで一緒に遊んだルナ。
当たり前の幸せをくれた友達だ。
「お前は本当に『不幸』か? 本当に『邪魔者』か? お前は『仕方なく受け入れられた』わけじゃない。望月家はお前がいないとダメなんだよ」
逢夜の言葉はスズに鋭く刺さっていく。
「戻ってこい、スズ。『霧隠』を捨て、『望月』になれ。お前の人生は死んでからようやく始まったんだよ。更夜はお前を大事な存在だとすでに認めている。更夜は確かにおはるや静夜を愛しているが、お前も同等に愛してるんだ」
「そんなわけ……。だって、あたしが同等なわけないよ」
スズは唇を噛みしめ、大粒の涙をこぼし、言葉をしぼりだすように言った。
「バカやろうが。お前、当時の更夜を人間がよくすがる神かなんかだと思ってんのか? 当時の更夜は二十歳あたりの人間だ。サヨと同じくらいの年なんだよ。
どうしたらいいかわからなかったんだろうな、妻が殺された後、幼い娘が凍夜に虐待され、父である更夜を泣きながら呼んでたわけだよ。そんな時にお前に襲われたわけだ。
お前を助けられなかった後悔で更夜は苦しんでいる。最適な道がわからなかったんだ。更夜は完全じゃない。道を間違うことの方が多い。
敵であるお前を家族に迎え入れようとしていたんだぜ。妻が死んで動揺して、子供ひとりすら育てられないって泣き叫んでいたやつがよ、お前を家族にしようとしてたんだ。そんな不完全な弟をこれ以上いじめないでくれ」
逢夜はスズに長々と語った。
スズは何も言えなかった。
当時の更夜は今のサヨと同じくらい若かったのだ。
サヨは今、迷い、悩み、生きている。サヨは助けてくれる者が沢山いるが、当時の更夜はかなり追い詰められていた。
手を差しのべてくれる者がいなかったのだ。
そんな状態であるのに、若い人間の更夜は皆が助かる道を選べたのか。
選べなかった。
だから、スズを殺し、娘を嫁に出し、自暴自棄になり、死地を探したのだ。
スズはここにきて更夜を初めて見た。
更夜は戸惑いの顔でスズを見つめていた。
「スズ……すまない! 俺がお前を厄に染めてしまった……。戻って来てくれ……頼む。お兄様、スズは私のせいで男が怖いのです。あまり攻撃的にならないでください」
「攻撃的? どこが?」
逢夜はおどけて見せた後、スズに向き直った。
「……あたしのこの気持ち、どうしたらいいの? おはるさんを不幸にする考え方……最悪だってわかってる……。更夜を追い詰めてるってわかってる。醜い嫉妬だとわかってる」
スズは目に涙を浮かべ、顔を赤くしてうつむく。
「どうしようもできねぇよ。お前の心はお前のモンだ。感情に打ち勝つのは他人じゃない。他人が力になれることもあるが、基本は自分自身だ」
「……うん。それもわかってる」
スズは拳を握りしめた。
わかっているけど、納得できない。この気持ちから救いだしてほしい。こんな考えを持っていた自分が怖い。
自分の醜さに泣く。
「やだっ! もうこんな気持ち! おはるさんを悪く言ってごめんなさい! 自分のことばっか。自分のことしか考えてない……。でも……もうあたし……」
心が締め付けられそうだ。
「逢夜……さん。あたしを下げずんで。罵倒して……殴って……」
「ああ、いいぜ」
スズの発言をあっけなく受け入れた逢夜に更夜と栄次が慌てた。
「お兄様! お待ちください!」
「うるせぇよ、更夜」
「……なに考えてやがるんだ」
更夜の怒りを流した逢夜はスズの胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「やめろっ!」
更夜が殺気をまとわせ叫んだが、栄次は眉を寄せていた。
逢夜はやる気がない。
「スズ、殴れって言ったな? 罵倒しろって言ったな? やってやってもいいが、それだと気持ちは晴れない。お前、俺に胸ぐらを掴まれて、怯えてんじゃねぇか。なにビビってんだよ」
「うう……ううう」
スズの涙が鼻水が逢夜の手を濡らす。
「あーあ。かわいい顔が台無しだ。他人は他人、自分は自分。それでいいじゃねぇか。幸運、不幸のバランスは皆一緒さ。おはるは最大の幸せを掴んだ刹那、最大の不幸を被った。
あのひとは子供と旦那の前で辱しめられ、痛く辛い思いをした後、死んだ。他に子供がいないかの確認で腹を裂かれたそうだ。お前も確かに不幸だったな。だが、今、ゆっくりと幸せになってる。お前の幸不幸のバランスはそうだってことさ」
「……ねぇ」
逢夜の話にスズは震えながら尋ねる。
「なんだ?」
「なんでそんなに『知ってるの』?」
「上司の『天御柱』が教えてくれたんだよ。あの男は厄のバランスを見ている神だからな。スズは……」
逢夜は言葉を一旦切った後、再び口を開いた。
「見ていたよ」
「え……?」
「……ふぅ。もう嘘を重ねるのをやめる。俺はな、あの時に更夜を監視してたんだ。凍夜にチクってたのは俺。俺はその後、死んだが……更夜が……」
逢夜の瞳が暗くなる。
「幸せになるのが嫌だったんだ」
「……!」
スズは逢夜の瞳を見て、逢夜がしてしまった事に気がついた。
「今まで苦しんできた俺達が、忍である俺達が、一般的な幸せなんて得られない。更夜にわかってほしかった。いや……違うんだ。お前にはわかんだろ?」
逢夜は掴んでいた手を離した。
「……うん」
「ただの嫉妬。俺はあの後死んだが、更夜のその後が気になってしょうがなかった。不幸になったのかを気にしている自分と、自分が壊しただろう幸せに胸が痛んだ」
「もしかして、おはるさんに心を痛め、娘さんの不幸を悲しんだけど、更夜に思い知らせてやった……って気持ちだったの?」
スズに問われ、逢夜はまっすぐ答えた。
「そうだ」
「ひどい! 最低! 更夜はあんたみたいな兄貴がいてかわいそう! あんたこそ、酷いめにあえばっ! 人として最低だよ!」
スズは怒り、逢夜を睨み付ける。
「これが罵倒だ」
「あ……」
スズは動揺した。
「で? 次は? 俺を殴ってくれんの? 気持ち、変わるか?」
「……変わらない」
「そう、殴られてもイテェだけ。むなしいだけ。殴っても同じ。俺は更夜への申し訳なさ、自分も幸せになっちゃいけなかった人生に後悔を抱き、この世界に囚われていたんだ。こういう気持ちはな、簡単には消えないんだ。だから、弐も『消化』に困ってる」
逢夜は悲しそうに笑いながら、続けた。
「俺さ、お前を殴りたくないよ。きっと、歯止めがきかなくなっちまう。痛がって、もうやめてと泣くお前に、もっと泣けと拳を振り上げる俺が見える。お前を俺だと錯覚しちまう。苦しめって、殺すまで殴りそうだ」
「……人の心が壊れると……被虐に加虐……か」
「わかっただろ? こうやって負の感情は増えていく。だから、やめるんだ」
逢夜はスズの肩に手を置いた。
「自分の人生を楽しめ。更夜はお前を拒否していない。おはると同等かなんて関係ない。もっと近づけばいい。大切な人と、今過ごせていること、大切な仲間がいること、大事にしろよ」
逢夜に言われ、スズは涙を溢れさせた。
「ありがとう……」
絞り出すようにスズはお礼を言った。
「望月凍夜は怖ええか?」
「え? ……うん。怖い」
逢夜はスズの様子を見て、スズが『恐車の術』にかかっているのではと疑う。
「……お前、ここから動くなよ。ここにいろ。いいな?」
「え? 何?」
スズが不安げに逢夜を見上げた刹那、黒い竜巻が再び舞い上がった。
「マガツヒだ」
「更夜!」
栄次の叫びが聞こえる。
黒い竜巻は呆然としていた更夜を回り、世界から連れ去って行った。
「更夜!」
栄次が追いかけようとするが、世界からの脱出はサヨしかできないため、動けなかった。
「更夜は望月凍夜の術が解けておらず、スズは先程かかったようだ。更夜は凍夜から逃れられない。俺達みたいに助けないと」
「そうか……」
栄次はうなだれた。
「スズは免れた。凍夜は更夜がほしいんだ。スズは更夜を従わせるコマにすぎなかった。だから、捨て置かれたんだ。つまり、助かったわけだ」
「更夜……っ」
スズが世界から出ようとしたので、逢夜はスズの手を引いた。
「動くなと言っただろうが! お前が行ってもまた、マガツヒの餌食だ」
「……更夜」
スズは逢夜の腕をすり抜け、飛び上がり、更夜を追って行った。
霊魂のスズは弐を自由に動ける。
「あー! くそっ!」
逢夜が頭を抱えた。
「大元を叩かねばならぬのか」
「その通りだ! あの小娘、次は死ぬぞ!」
栄次に答えた逢夜は黒い砂を蹴り飛ばした。
逢夜がいらつきをぶつけているすぐ後ろで、銀色の髪がふわりと揺れた。
銀髪の少女がせつなげに、更夜がいなくなった赤い空を見上げ、逢夜と栄次に近づいた。