鬼神の更夜1
更夜は怒りの感情のまま、導かれるようにオオマガツヒを追う。
負の感情を抱いている更夜はオオマガツヒの神力に呼ばれているだけだが、本神は気づいていない。
赤い空に黒い砂漠の世界が増えた。更夜の感情も染まっていく。
怒りだけではなく、悲しみ、後悔、むなしさなど怒りから分岐する感情も現れ始める。
感情がよくわからなくなった頃、更夜は宇宙空間の中で異様な空間を見つけた。赤い空がより赤く、黒い砂漠がさらに黒い、恐ろしい世界。
「……スズ……ここにいるのか?」
更夜は導かれるように入り込み、オオマガツヒに飲み込まれた。黒い闇が更夜を覆う。
オオマガツヒはただ、笑っていた。
……魄だ。魄だ……。
地におちた霊だ。
鬼神だ。鬼神だ。
負に支配された厄神だ。
声はしない。
だが、そう言っているような気がした。
更夜は赤い空に映える禍々しい天守閣を見上げた。黒い砂漠の上に傾いて建つ天守閣。
「スズは……スズは……」
更夜はスズを探していた。
ここは時空が歪んでいる……更夜がそう思った刹那、魂年齢が急に若くなった。戦国時代、妻おはると一緒に暮らしていた時代あたりの年齢に突然に巻き戻る。
「どうして……こんな気持ちに……」
更夜は怒りと悲しみが混ざりあったような気持ちになった。
「おはる……ハル! 死なないでくれ……いかないで……」
更夜は無造作に投げ捨てられた血まみれのハルを抱え、唇を噛み締めていた。当時は必死で堪えた。しかし、今は涙が止まらない。年月が過ぎて、気持ちは薄れるどころか濃くなっていく。
「おはる……娘を……静夜を育てられない……。どうしたらいい? 俺はどうしたらいい?」
幻想の中、更夜はハルの墓に向かい叫んだ。
「とられた……アイツにとられた! 娘が殺されてしまう……。どうしよう……どうしよう!」
更夜はひとり、狂ったように泣き叫ぶ。当時の更夜の奥底にあった叫びなのか、更夜はひとりで戦う内、精神が知らない内に壊れていた。オオマガツヒはその「叫び」を吸い出す。
「俺がスズを殺す? なぜだ。なぜ、殺さねばならない? 大切な娘と同じくらいの女の子だぞ。こんな酷なことがあるか! 嫌だ……っ! 殺したくない……。だがっ……娘が苦しんでいる……。殺したくないっ!」
更夜は頭を抱え、耳を塞ぎ、震えた。たまらなく怖かった。
隠していた今までの心が、鬼神におちてしまった自分の心が現れ、更夜自身の負の感情を増やしていく。
「じゃあ俺はどうしたら良かったんだ! 静夜……泣かないでくれ……。俺が悪かった。静夜……俺を恨んでくれ……」
更夜はその場に崩れ落ち、激しく泣き出した。
「どうしたら良かったんだよ……。俺はヒトを沢山殺した……報いを受けろということなのか。償うにはまだ足らないということなのか……。俺だって殺してぇわけじゃなかった! ああ……ダメだ。怒りがおさまらない……。本当は一番……感情をコントロールできねぇんだ、俺は……」
目の前に現れた、笑っている望月凍夜に青筋をたてる更夜。
怒りは父親にいった。
「子供は道具じゃない! 親が支配するのは間違いだ! 親は子を守るためにいる! 子は殺されるために産まれるんじゃない! お前みたいにっ! お前がやったみたいに! 殺されるために産まれるんじゃねぇんだよ!」
更夜は怒りに満ちた後、表情の変わらない凍夜を見て、たまらなく悲しくなった。
「本当にわからないのですか? 私の妻は子を守って、あなたに殺されたんですよ? ……子は奇跡と幸せを願い産まれる。親はそれに答え、全力で守るのです」
泣きながら言う更夜だったが、凍夜の表情はにこやかな雰囲気だ。更夜はそれに対し、今度は怒りを感じた。
「父には……なぜわからない? 俺の人生を返せ! 俺が大切にしていたものを返せ!」
更夜は目の前に立つ凍夜に手をのばす。瞳が赤く輝き、鬼神の神力が現れたり、消えたりを繰り返した。
「もう少しか」
ふと、今まで話さなかった凍夜が口をひらいた。
幻の凍夜と今の凍夜が重なる。
「やあ、息子。お前は……更夜だったな」
「……お父様……」
更夜は凍夜に頭を下げた。
本当は下げたくなかった。
逆らってはいけないという縛りが、幼少からある更夜は素直に凍夜に敬意を払う。
心は真逆なのだが。
更夜は泣きながら頭を下げ続けた。
「……お父様……スズを……スズを返していただけますか……」
「ああ、いいぞ」
更夜の、か細い声での要求に凍夜はあっけなく許した。
「ほら」
凍夜は黒いモヤからスズを乱暴に引き抜き、更夜の前に放った。
スズは意識なく、黒い砂漠に落ちていく。更夜は慌ててスズを抱きとめた。黒い砂が生き物のように舞い上がり飛んでいく。
「……っ」
更夜はスズを見て震えた。
スズは血を流し、片腕に力がなかった。
「……スズ……骨が……ここまでする必要があったのですか?」
更夜は意味のない質問を凍夜に投げてしまった。
「いい感じの感情が集まった。腕を折ってみたんだ。お前も折ったんだろ? こいつの腕を。同じとこをやってみたぞ」
凍夜は不気味に笑いながら更夜を見ていた。相変わらず、言葉が通じない。
「俺はやりたかったわけじゃない……。七歳の女の子にやることじゃねぇだろ……」
更夜はスズを抱きしめ泣き、スズの目にたまった涙を拭いた。
「なぜ、こんなことができる? ああ……俺もやったんだ……この子に……。腕を折った。怒りに隠れて心では怯えていたスズに、泣き叫ぶスズに……わかっていながら、暴行をした。男を怖がっていた……毎日俺に会うたびに震えていた……知っていた……。全部……知っていたのに」
スズは当時を思い出させる行為をされ、気を失うほどに心を傷つけられた。七歳だった少女には更夜にされたことがトラウマとして残っている。
一緒に過ごして心を開いた今でもスズはどこか更夜に怯えている時があった。
故に更夜はルナやサヨのような扱いはせず、一歩距離をおいて優しく接していた。
しかし、今回はそれが原因だったようだ。スズは部外者であると感じてしまった。自分がなんなのかわからなくなってしまった。
それで悲しくて泣いてしまった。
「……ごめんな……」
更夜はスズの頭を撫でながらあやまる。
「泣き叫んで……痛くて震えていたんだな……。あの時、俺にあやまった理由はわかっている。お前の気持ち、俺はわかっている。止血して……」
「どうだ? なかなか良い感情が現れたな。オオマガツヒが喜んでいる。そいつをお前の前で殺したら、もっと良い感情がとれそうだとマガツヒは言うが、持続して感情をとるためには殺したらいけないな。見ろ、鬼神神格が現れている」
凍夜は楽しそうに、苦しむ更夜を眺めていた。
「俺の心を逆撫でしてんのか? 感情を理解しようとしないのか? それとも、何にもわかってねぇのか?」
更夜は体から沸き上がる怒り、悲しみに身を任せ、すべてを恨む鬼神へと姿を変えた。
すぐ近くにいたスズも影響を受け、鬼神に従う負の魂へ落ちてしまった。