夜の一族に光は5
三番目に連れてこられた少女は一番先に長女である千夜を産んだ。
「女はいらない。だがまあ、誰も子をなしていないから、コイツを男にしておくか」
少女は震えながら産まれたばかりの千夜を抱きしめ、静かに頭を下げた。
「……お姉様の歴史に入るぞ、あんたは全部知ってんだよな」
逢夜は栄次を見てから、目を伏せた。今までもだいぶんおかしい。人の形をした何かを見ているようだ。
幼い千夜は凍夜に無理やり男にされる。四歳辺りから凍夜に虐待され始め、意味のわからない規則を押し付けられた。
女言葉を使わない、女らしい振る舞いをしない、男の鍛練をさせる。
約束が守れず、何度も血にまみれ、泣き叫ぶ千夜に母も震え、涙する。ただ、誰も助けには来ない。
凍夜は千夜に人の急所を教え、躊躇いなく人を攻撃できる方法を教え、息子として、恐ろしい子供に育てていく。
たどり着いた場所は逢夜を助けた時と同じ屋敷の外だ。
女の子の……泣き声が聞こえる。
「……あー、やだなあ……。お姉様は悲惨だったんだよ。こりゃあ、ムチ打ちだ」
逢夜が吐き捨てるように言い、栄次は呼吸を整える。
「……行くぞ」
栄次はすぐに屋敷に入り込んだ。
「栄次、気を落とせ。気づかれる」
逢夜に言われ、栄次は怒りの感情を身体から出していたことに気付き、気持ちを落ち着かせる。
「姉のために、来てくれてありがとうな、栄次」
「……お前はできた弟のようだな。俺にも姉がいたのだ。守れなかったが」
「そうかい。やっぱ守りたい気持ちはあるのか。男だなあ」
「それは関係ない」
「……かな」
静かに会話をしながら二人は廊下を歩き、問題の部屋に近づく。
扉は開け放たれており、中が見えた。悲しい表情の幼い千夜は四つん這いにされ、よくわからないまま泣いている。
「お前は息子だろ。なんでそんな女みたいな言葉をしゃべる? 理解ができんな」
「うっ……! ううっ……」
凍夜は恐ろしく陽気に話し、木の枝を千夜に振り下ろす。
千夜の背中はむき出しにされており、鞭痕が痛々しく残っていた。
望月凍夜は千夜を産んだ少女も同時に責め、髪を引っ張り、壁に打ち付け、蹴り飛ばす。
「お前が女を産んだのも悪いぞ?」
「もうしわけありません……」
少女はよくわからないまま、泣いて謝罪する。少女は千夜を気にかけていた。守りたいのに守れない悔しさと悲しさを感じた。
「……おかあさまっ! 痛いぃ……」
「お父様にあやまりなさい! 頭をつけてあやまりなさい!」
少女は必死に千夜に叫ぶ。
閉塞な空間で、少女はおかしくなっていた。まだ十代の少女。
主である凍夜に逆らうことなど、考えなかった。
「ごめんなさい! お父様! 許してください!」
千夜は震えながら凍夜に謝罪を繰り返す。異様な光景だった。
「お前は男になるんだ。女言葉など使うな。お前が女だから跡取りがいないのだ。お前が悪い」
「誰か、助けて……」
千夜が小さく言葉を発し、栄次と逢夜は部屋に入った。
「お前が……」
凍夜が再び千夜を叩こうとしたので、栄次は怒りに震え、千夜に向けられた木の枝を間に入って受け止めた。
「……お前、誰だ?」
凍夜は興味深そうに口角を上げたまま、突然割り込んできた栄次を見据える。
「誰でも良い。女が上に立てない時期は終わる。彼女は将来の望月家の主だ」
怒りで武神の神力が渦巻き、栄次の瞳が赤く輝く。木の枝は栄次が握りしめ、折れた。
「ずいぶん、力が強いようだな」
凍夜は笑いながら折れた枝を捨てた。
「お姉様、大丈夫ですか?」
逢夜は千夜を抱えて凍夜から離れ、母である少女の近くに連れていった。千夜は姉と呼ばれ、ただ、震えていた。
「お母様……」
逢夜は若い母を心配そうに見つつ、声をかけた。
「……逢夜、やっと来たのね。千夜の記憶が昔に戻ったの。あなたの時と同じで。また、術を解くのね、協力するわ」
この少女は逢夜や千夜の心に住んでいる霊魂である。
霊は持ち主の心に従い、染まる性質がある。栄次がスズを操っていた事件がこれにあたるが、ここでは省く。
よくわかっていないのは幼少記憶の千夜だけだ。
「……お姉さまって私、お姉さまじゃないです」
「あなたは将来の尊敬するお姉様なのです。望月の主となり、あなたの優しい息子明夜が望月を存続させるのです。千夜お姉様、あなたは強い女性なのですよ」
「……あの……女は主になれません故……男にならなければなりません。私が『女だからいけない』のです」
千夜は幼いながら凍夜の思想を受け継いでしまっているようだ。
「そんなことはないです。あなたは望月凍夜に勝てます」
「そっ、そんなことはっ……」
逢夜の言葉に千夜は怯える。
凍夜が千夜に目を合わせていた。
「ごっ、ごめんなさい! そんなこと、思っていません! この人が勝手に……」
「そうだよなあ。なんか狂った思考の奴らが入り込んできたなあ。なんなんだ? お前らは」
凍夜は怒りに震える栄次、千夜をかばう逢夜を見て、満面の笑みを向けた。笑うところではない。
「お前を倒すため、千夜の手助けに来た者だ」
栄次が凍夜を睨み付けながら言う。
「ほう、俺を倒すか。おもしろいな」
「全く笑えん」
笑っている凍夜に栄次は冷たく言い放った。
「さあ、どうする? 俺をどう倒す?」
まだ年齢が若いこの時の凍夜はかなり攻撃性が高く、興味が尽きない。
望月家を作る……そういう強い興味を感じた。
千夜は凍夜に酷く怯えていた。
まだ術にはかかっていない。
栄次は千夜の傷に心を痛め、同時に凍夜に勝てるのかを考える。
今の千夜が凍夜に勝つのは不可能に近い。千夜自体が怪我をしており、恐怖心で身体が動いていない。
「あの……なぜ、私に関わってくるのですか?」
千夜は逢夜と栄次にそう言った。
「関わる理由は今は考えなくて良い。それから……女であることを謝罪する必要もない、後悔する必要もない。お前は今後、守るもの、守ってくれるものができる」
「わかりません、ごめんなさい」
千夜は困惑しながらあやまり、栄次は雰囲気を柔らかくし、答えた。
「それはそうか。お前はまだ、四歳。わからなくても良い。ただ、今戦えば、父の攻撃から逃れられる」
「戦ったら皆が怪我をしてしまいます。戦いはよくありません」
千夜は元々、穏やかで優しい少女だったようだ。
栄次は凍夜から目をそらさず、睨み付けながら、どう言えば良いか考える。
千夜は優しすぎた。
未来を切り開こうとする強さもない。千夜は社会的地位と男尊女卑により、産まれた時から男に逆らおうとはしない。
……これだから当時の女の子は難しいのだ。
服従の時代があったのは栄次も痛いほど知っている。ただ、望月凍夜はおかしい。
女であることすらも否定している。
「お姉様、考えを変えることは難しいでしょうが、今は我々を信じてください。辛かったでしょう、悲しかったでしょう……。あいつの息子ですが、私はあなたの気持ちがわかります」
逢夜は千夜を優しく抱きしめ、涙を流した。
「……わたしの……おとうと? ほんとうに?」
「そうですよ。未来から来た、あなたの弟です」
逢夜は千夜を優しく離し、小さな姉の頭を優しく撫でた。
「千夜、私も戦います。私はね、以前、仲間と一緒に凍夜に勝っているのよ。だから、あなたも勝つの」
横にいた千夜の母は背中を押すようにそう言った。
「で、ですが、お母様……」
千夜の震えが酷くなる。
彼女は単純に、危害を加えたくはないようだ。
「あー、もうめんどうだ。俺を倒したいなら、俺を殺せ」
凍夜が刀を抜き、栄次を殺しにかかった。栄次は凍夜の刀を軽く避けていき、部屋を飛び回る。
「ほう、かなりの腕だな。おもしろいっ!」
凍夜の動きは逢夜の時より荒い。避けやすいが速い。
栄次はどうするか迷った。
とにかく千夜は戦わない。
今も、栄次や凍夜が戦っているのを見て、震えている。
少女が大人の男に立ち向かうのは怖いに違いない。
その前に、彼女は女性らしい母性を持つ、争いを好まない性格。
どうやって勝たせれば良いかわからない。
「逢夜! どうする?」
栄次は逢夜に声をかけた。
「お姉様は戦えない。人を攻撃したくないのにさせるわけにはいかない。でも俺は、お姉様に立ち上がってほしい。時代が変わったことに……気づいてほしい」
逢夜は千夜を離すと立ち上がった。
「お姉様、父親に言いたいことが沢山あるはずだ。言葉は時に強い。力強く、言いたいことを父に向かって叫ぶのです」
「そうしなさい。私はあなたを見守ります。あの人には伝わらないと思う。でも、ここはあなたの心。強い決意で叫べば術を解けるかもしれない」
「怖いよ……。私、女の子だから……ダメなんだよ……」
千夜は涙を浮かべ、必死に逢夜と母を見る。
「女はダメじゃない! あなたはダメじゃない! あなたはこんな小さな世界にいてはいけないわ!」
母である少女は涙を溢れさせ、叫んだ。
「守りたかった。子供を守りたかった……。私の子は皆、あいつの血なんかひいてない! 優しくて、感情豊かで、強いっ! 私は守りたかった……。なんであの時……もっと早くに……子供を連れて逃げなかったのか……あいつを殺さなかったのか……私はずっと後悔してる。だけど、あなたは……そんな私を恨まず、望月家を立て直し、あなたに似た優しい息子の血筋が今も、強く生き残ってる!」
「……わからないよ……」
「大丈夫。皆あなたを守る。だから……あなたが思っていることを叫ぶのよ」
「……」
母の言葉に千夜は目を伏せ、悩んだ後、立ち上がった。
目に涙を浮かべ、震える足を踏みしめ、目の前の凍夜を見据える。
「おとうさまは……おかしい。私は、女の子がいい。女の子でいたい。女の子でいちゃいけない理由はない。……女の子であることをあやまる必要なんかない! 私はずっと嫌だった! おとうさまがおかしいんだ!」
千夜は泣き叫んだ。
千夜が叫んだ刹那、鎖がちぎれたかのような音が響いた。
栄次と戦っていた凍夜が突然に消え、逢夜同様、白い世界に包まれる。
「……なんと情けない勝ち方か」
大人になった千夜が自嘲気味に笑った。
「そんなことはないですよ。優しい……平和的解決です。あなたはもしかすると、元々『K』だったのかもしれません。サヨが……そうみたいなので」
隣にいた逢夜は千夜に微笑んだ。
「……だが、私は……人を殺している。恨まれてもいる。もう、きれいじゃない」
「……だから我々望月家は消えられないんですよ。死んでも」
千夜と逢夜の悲しい会話に栄次も目を伏せる。
「千夜、逢夜。気持ちを下げてはいけません。私達は、心優しい望月家の子孫を助けなければならないのです。望月俊也の行方は凍夜の行方と共に探しています。だから、先に進みなさい。あとは更夜……そして末の妹、憐夜はどこに……」
母である少女はさ迷う魂のように子を探し、また静かに消えていった。
「憐夜……」
「……憐夜か」
千夜と逢夜は小さくつぶやいた。二人の背中はどこか深い後悔を背負っているようだった。