戦いは始まる5
リカと栄次は弐の世界内の逢夜の心内部に入った。逢夜の心を過去に固定するため、ヒメちゃんとサヨが外から何かしているようだが、わからない。
ただ、時代はきれいに戻り、先程記憶を見た続きから始まっていた。
「栄次さん、辛かったはずなのにどうして逢夜さんを助ける方向にいったんですか?」
草むらに出現した二人は目の前の屋敷を見つつ、会話をする。
「……望月家の記憶ばかり見えるのが辛かった故に。いっそのこと、すっきりさせたくてな」
栄次は眉間を指で揉みながら小さく答えた。
「そうでしたか」
「リカは何故?」
「私はなんとなく……栄次さんが心配で」
「そうか。すまぬ」
栄次はリカに小さく声をかけると、屋敷に意識を向けた。
「……これから幼少の逢夜が凍夜を倒し、術を解けるように助けにいく」
「はい」
栄次とリカは屋敷に近づき、中の様子をうかがう。
女性の呻き声が聞こえ、幼い子供の泣き声が響いていた。
「……行くぞ」
「……はい」
栄次とリカは屋敷に入り込んだ。雰囲気はとにかく暗い。
廊下を抜け、声が聞こえる部屋付近で状況を見る。
「お前の大好きなカアサマが死ぬぞ? いい加減、頼まれ事をしっかりできるようになれ」
望月凍夜が楽しそうな声をあげていた。
「お母様は関係ありません!」
逢夜だと思われる少年が泣きながら叫んでいる。
「関係ないかなあ? お前、この女から産まれたんじゃないのか?」
蹴られたのか壁に激突する音が響き、女の呻き声がした。
「お母様をもうそんな風にしないでください! 悪いのは私です」
「では、修行も逃げないよな?」
凍夜に問い詰められ、口を閉ざす逢夜。
「逃げたケジメをつけてもらおう。お前、『どれがいい』? カアサマが死ぬぞ?」
凍夜が何やら拷問器具を並べている音がする。栄次とリカは震えた。
「……こ、こんなの……でき……」
逢夜がつぶやいた刹那、凍夜は女を逆さに吊り始めた。
「さあ、これで時間が決まるな」
凍夜が楽観的に笑い、逢夜は歯を鳴らして震えている。
「いいか? 逆さにつるとな、人間は短時間で死ぬんだ」
「……誰か……助けて」
「助け? 何を言っているんだ。お前がケジメを選んで、逃げずに俺に従えばカアサマを助けてやるってわけだよ」
凍夜は退路を絶ち、幼い逢夜を追い詰めている。
「……逢夜……逃げなさい」
女はか細い声でそう言った。
栄次とリカは確信した。
逢夜はこの後、逃げなかった。
母を助け、術にかかった。
「リカ、ここだ。逢夜を助けよう」
「……は、はい」
栄次とリカは障子扉を開け、部屋に入り込んだ。
「……なんだ?」
凍夜がにこやかに栄次とリカを見る。
「逢夜を助けに来た」
栄次は凍夜を睨み付けながら逆さに吊られた女の紐をとき、優しく床におろした。
目の前には涙を流しながら動揺している幼い逢夜がいた。
「え……? 誰?」
「逢夜さんですよね?」
リカは逢夜に寄り、尋ねる。
「……うん。そうだけど」
逢夜は気弱そうな子供だった。
「今から、望月凍夜に勝ってもらいます」
「ど、どういう……」
「あなたはここで術にかかります。術にかからないようにここで望月凍夜を倒してもらいます」
リカはやや強引に話を進めた。
「お父様を……そっ、そんなことできない……」
逢夜は怖がっていた。度重なる恐怖心の上にとどめとしてこの術が来ることをリカは理解した。
「でも戦わないと……」
リカが逢夜に言葉をかけようとした刹那、栄次が刀を抜き、何者かの攻撃を受け止めた。
重たい音が響く。
「え……」
リカは何が起きたかわからなかったが、よく見ると更夜によく似た少女が小刀を構え、立っていた。表情はない。
「今、この子がリカを殺そうとした故、刀を抜いた。この娘は……更夜の姉、望月千夜だな」
「お姉さん……」
栄次が説明し、リカは呆然と言葉を口にする。攻撃が全く見えなかったのだ。
「千夜、曲者だ。女から殺せ。そっちのが楽だ」
「……はい」
凍夜は素早く状況を読むと、栄次とリカを排除しようと動き出した。
千夜は突然背後から現れ、リカを小刀で突き刺そうと動く。
栄次は千夜の攻撃をリカを突き飛ばして守った。
「腕が立つようだな」
凍夜は不気味に笑いながら刀を抜いた。
「え、栄次さん!」
リカが叫び、凍夜が刀を振りかぶる。栄次は凍夜の斬撃をかわし、刀を振るが凍夜は幻のように消えた。
「下か」
栄次は凍夜を押さえつけようとしたが、凍夜は背後に現れた。
感情が見えない。
武器を振るう時のわずかな殺気すら感じない。
予想が難しかった。
栄次は音の感覚だけで避けていき、狭い部屋を飛び回る。
目的はまだ戦う術を持たない幼い逢夜に凍夜を倒してもらうこと。簡単ではないことはわかっていた。
しかも、現在、戦う力を持つ望月千夜がリカを襲っている。
「リカ! 右だ!」
栄次がリカに指示を出し、リカは慌てて千夜の攻撃を避けた。
「お仲間の心配より自分の心配よな?」
凍夜の声があちらこちらから聞こえた。
「……くっ。術か……」
音を頼りにしていたことに気づいた凍夜は栄次の音の感覚を何かしらで奪ってきた。
栄次は感覚で凍夜の攻撃をかわしたが、腕をわずかに斬られてしまった。
「き、斬られたか……。更夜とは……違う強さだな」
似てはいたが、感情が乗らないことがとても不気味だった。
一方リカは千夜の攻撃を神力の槍で危なげに防御していた。
「早い……。子供のっ……力じゃない……」
リカはかすり傷を負いながら必死に千夜を抑える。逢夜のことを考える余裕はない。
「どうしよ……。えーと、千夜さん……攻撃をやめて」
リカは子供らしくない目をしている千夜を怖く思いながら、壁に背をつけ、背後を狙われないようにした。前からの攻撃を傷を作りながら、かろうじて防ぐ。
「千夜さん! あの男に従うのは良くないです! あの男に皆不幸にされます!」
リカの叫び声に千夜はどこか戸惑っていた。顔も知らない敵が自分の名前を呼びながら、その世界しか知らない千夜に自由を叫んでいる。
その様子を逢夜も戸惑いながら見ており、子供ながらに自由を掴めるのではないかと思い始める。
「千夜さん! 栄次さんは……あそこで戦っている彼は強いです。もうお父さんから離れて自由を掴みませんか?」
リカは必死に千夜に呼びかける。千夜は攻撃の手を止めた。
「……ねぇ」
千夜がふと口を開いた。
「あたしは……お父様に従い、男になって、女になって、弟に酷いことしてる。お母様を殺そうとしたこともある」
「……え」
リカは無表情の千夜が苦しそうに言葉を口にしたことに驚いた。
リカは千夜の今を知らない。
千夜がどういう少女かよくわからなかった。
「どうしたらいいと思う? このままではいけないと思う? 逢夜に拷問して強くすることを……できないといけないと思う?」
千夜はリカに答えを求めてきた。
「えっと……お母さんを大事にして、弟くんを優しく守ってあげるのが正解だと思うよ」
「千夜、その通りよ。あの男に従うのは間違い。逃げられるなら全力で逃げて!」
リカの発言にかぶせるように母である少女もそう言った。
「千夜」
ふと凍夜の不気味な声が聞こえる。千夜は体を固くした。
凍夜は妻をまるで物のように蹴り飛ばし、踏みつけてから言う。
「さあ、これは命令違反かな? 女から殺せと命じたが、手を抜いたな」
凍夜が妻をいつ盾にするかわからなかった栄次は動きを止めた。
「もっ、もうしわけありません……次はっ」
「次はない。そうだな、次があるとすれば、お前が血まみれで泣く番か? 今、曲者を殺せばお仕置きは『許してやる』。ああ、今から男の方を全力でやれ。そっちのが『良さそう』だ」
凍夜からの恐ろしい命令に千夜は涙を流し、震えながら栄次に斬りかかって行った。
「千夜……」
母は呻きながら千夜に手を伸ばす。しかし、千夜は止まらなかった。
「では、俺はさっさと女の方を……」
「リカっ! 神力を使え!」
栄次がリカにそう叫び、必死で殺しに来る千夜の刃を刀で受け止める。
千夜の体にはよく見るとひどい暴行の痕があちらこちらに残っていた。
「……こんな幼い少女の時から……こんな酷い仕打ちを受けていたとは……望月千夜……お前は後で救いに来る。だが、その前に……お前が愛している弟を救わせてくれないか」
また『救う』という言葉を聞いた千夜は一瞬止まるが、栄次に手裏剣を投げ、距離をとり、また刃を向けた。
一方リカは神力で結界を張り、凍夜の刀を弾く。
「ほう、おもしろいな」
凍夜は冷や汗をかくリカに満面の笑みを向けた。