選択肢1
暑い夏がやってきた。
遠くで大きな白い雲が風に流されることもなく、その場に堂々と居座っている。
リカは塾の夏期講習の帰りだった。海外の人には伝わりにくいというが、日本の夏といえばセミだ。ノイズのような音や、ミンミン鳴く音などが混ざり、かなりの騒音。
どこにでも大量にいるセミはもちろん、歩道にも転がって命を燃やす。
「うげぇ……またいる。なんでひっくり返って死ぬかな……。アブラゼミ、お腹が白くて茶色の羽なのが気持ち悪いんだよね……。またぎたくないから、公園から帰ろ」
リカは近道になる公園へ足を踏み入れた。遊具辺りを横切った時、紫の髪の、創作着物を着た男性が声をかけてきた。
「よう! TOKIの世界はあるぜ! 俺が見えるか?」
「……」
リカは眉を寄せた。
前もこんなことがあった気がする。
「TOKIの世界はあるぜ」
「……」
リカは黙り込んだ。
いつもなら、こういったことが起きたら走って逃げる。
しかし、今回は逃げようとは思わなかった。
「なんだ? 今回は逃げねぇのかい?」
「……今回は、にげ……逃げるって……どういう……」
震えるリカをよそに、男はベンチから立ち上がり、リカの前に立つ。目を合わせた時、リカの体に鳥肌がたった。
言いようのない恐怖感がリカを包む。
「……な、なんで……」
……なんで、この人、こんな人間離れしてるの?
言葉が出ないリカを見つつ、男はあざ笑いながら口を開く。
「あー、俺、神格の高い神だからな。スサノオって言うんだ。名前くらい聞いたことあんだろ? あ?」
「……スサノオ……嘘……」
「俺を気持ち悪がって逃げねぇのか? 俺は英雄になるデータも、邪神になるデータもあるぜ。てんびんなんだ。今はどっちかわかるかな……?」
スサノオが片方の口角を上げたので、リカは怖くなって転びながらも駆け出した。
「なんか怖い! すごい怖い!!」
リカには転がっているセミも見えなかった。セミの鳴き声すら聞こえず、ただがむしゃらに公園を横切った。
大通りに出たところで、汗が滝のように流れ始めた。少しお気に入りだったトマトモチーフのTシャツが汗で濡れ、色合いが濃くなっている。
「はあ……はあ……」
「ねぇ、大丈夫? リカちゃん」
ぼやける視界の先に、ツインテールの少女が立っていた。
「はあ……はあ……マナ……さん」
「こんな暑い日に走っちゃダメ。水あるけど、飲む?」
ツインテールの少女マナはペットボトルの水をリカに差し出してきた。
リカはありがたく水を飲み、一息ついた。
「で、どうしてそんなに走っていたの? あ、セミがダメなんだっけ?」
マナがきょとんとした顔で聞くので、リカは首を横に振った。
言いたいのはそれではない。
「マナさんのっ……TOKIの世界書のファンみたいな人が……話しかけてきて……えーと……」
リカは汗を拭いながら、きれぎれに言葉を発した。
暑さのせいで頭がぼんやりする。
なにかを会話しているが、口が勝手に動くだけで頭に何も入ってこない。
「見えたんだ。……ねぇ」
会話の中で、やたらと明瞭に聞こえる言葉が響いた。
マナの言葉の続きがリカを冷たいもので包んでいく。
「へいこうせかいに、いってみない?」
……へいこうせかい
並行世界。
壱、弐、伍……。
向こうの世界、夢や霊魂の世界、そして、この……今、リカが生きている世界……。
数字みたい。
以前、リカが誰かに言った言葉。
世界は……
六つある。
リカの瞳が金色に光り、電子数字が流れた。
「リカちゃん、深夜零時、公園で待ってるから来てね……」
マナがその一言を発した刹那、なぜかマナの足元に逃げ水が現れ、太陽がさらに輝く。
太陽の光が入ったマナの瞳は金色になり、笑みを浮かべながらリカを見据えていた。