月の女神1
「お願いします……更夜様」
「サヨまでお世話になっているのに」
夜も遅く暗い部屋で、平伏している男女がいた。
女の手の中には赤子がおり、気持ち良さそうに眠っている。
ここ、霊魂の世界、弐では現世の常識はほぼなく、先祖の霊などが生きている人間の心に住んでいた。
「こんな夜遅くに産んだばかりの赤子を連れてくるとは、ユリ、体は大丈夫なのか」
銀髪の青年、更夜はメガネを着物の袖で拭い、ゆっくりかけた。
右目は長い銀の髪で隠れ、見えない。
「わたくしは……問題ありません」
「平伏はするな。お前達は寝ている時のみ、この世界に来れる。時間がない。手短に話せ」
更夜は男の方に目を向ける。
「お前が話せ。何をしている。嫁に話させるな。ユリは子を産んだばかりだろう? 望月深夜、望月家の男ならしっかりしろ」
「も、もうしわけありません……。実は……その」
深夜と呼ばれた男は小さくなりながらうつむいた。
「深夜、お前がしっかりしないでどうする」
「はい。ユリの手に抱かれている赤ちゃんなのですが、双子の片割れで、もう亡くなっております。双子のもう片方は元気です。
それで、きれいな魂のままなので、このまま弐の世界でエネルギーになり消化されるものと思いましたが、サヨ同様にこちらの世界に存在しております。
サヨは健全で産まれ、後に平和を守るシステム『K』に変わりましたが、この子は……」
深夜は更夜の鋭い目に萎縮し、さらに声が小さくなる。
「わかった。その子はもう死んでいるのか。負の感情を持っていないならエネルギーとして弐の世界に吸い取られ、新しく作り替えられるはずだな。それがなく、今も弐に存在しているか。では、人では……ないな」
更夜は頭を抱え、ユリに近づく。ユリは涙を浮かべて子を抱きしめた。
「……辛いよな、心配するな。俺が……育ててやる。サヨも人ではない故、おそらくどこかで年齢が止まる。サヨに関しては俺も手伝う。受け入れてやってくれ」
「……はい」
ユリは嗚咽を漏らしながら、更夜に赤子を渡した。
更夜は慣れた手つきで赤子をあやす。
「かわいい子ではないか。女か?」
「はい」
「名は?」
「決めておりません」
ユリの代わりに深夜が答えた。
「では、俺が決めても?」
「ええ、お願いします」
深夜はせつなげに赤子を見、頭を下げた。
「夜の名をつけるのは望月に縛られる感じで俺は嫌いだ。お前も俊也とサヨに夜をつけたくなかったのだろう? だから、わざと字を変えた。それでいい。俺も名前を変えよう。夜ではなく、輝かしい月にする。本で読んだ月の女神、『ルナ』だ」
「ルナ、良い名です」
深夜がそう言った刹那、二人の体が透け始めた。
「ああ、もう時間か。目覚める時間だな。彼女は……大切に育てる。また、夢を見た時、会いに来い。いつでも待っている。ルナのことはサヨから聞くといい」
「ありがとう……ございます」
更夜は光に包まれ、透けていく二人を黙って見つめていた。
更夜にルナと名前をつけられた少女は母がいなくなった途端に泣き出した。
「心配するな、俺がお前の親だ。俺の顔が怖いか。すまない、こういう顔なんだ」
更夜は一晩中ルナをあやし、朝、サヨにミルクを持って来させてルナを育て始めた。
戦国時代にはなかった哺乳瓶やオムツに苦戦しつつ、人間の赤子と同じように世話をする。
「ああ、俺は自分の娘も育てられていないのに赤子を育てられるのか」
更夜がそうつぶやいた時、眠っていたルナが泣き始めた。
「悪かった。お前は育てる。だから泣くな……」
「おじいちゃん、超ルナに甘くない?」
幼さが残る十歳のサヨが愉快に笑いながら更夜を見ていた。
「サヨ、マシュマロをそんなに食べるな、もうすぐ夕飯だぞ」
「夕飯って、おじいちゃん作れるの?」
サヨはマシュマロを口に含みながら、更夜を仰ぐ。
「ああ、ルナを少し見ていてくれ、その間に作る。マシュマロを食事にはするな。わかったな?」
「わ、わかりました」
更夜に睨まれ、マシュマロを慌てて片付けたサヨはルナを抱っこし、あやし始めた。
「では、俺は飯を作る。寂しかったら台所に来ても良いぞ。しかし、お前は現世の家には戻らんのか」
「おじいちゃんといる方が楽しい! じゃあ、おじいちゃんのごはん作ってるの眺めてるね~!」
更夜は軽く微笑むと、サヨの頭を優しく撫でた。