8.伯母と甥
前半ユール、後半隊長目線です。
会食後、隊長と詰めておきたい話があるからと、ユールはリントを先に部屋から送り出した。
「俺が戻るまで、部屋で待ってて。書棚にある本は好きに見ていいから」
素直に『わかりました』と言って、リントは足早に部屋をあとにする。
魔法陣のある部屋までの道順は説明したし、同じ階なので迷うことはないだろう。
元気が無いように見えたのは、気のせいではないと思う。
自分のせいで、余計な負担をかけてしまったことが申し訳なかった。
廊下に人がいないのを確認し、扉をきっちり閉めた後、ユールは隊長の方へ向き直る。
その表情は先ほどまでと違い、嫌悪感を全く隠していない。
「伯母上、一体どういうつもりですか」
ユールは呼び名を改めた。
この先は、隊長ではなく身内としての話し合いだ。
フォクナー・アデリアは、父親の実姉である。
兄弟の中でも、ユールは特に剣術が好きだったので、幼いころはよく鍛錬に付き合ってもらった。
いろいろ融通してもらっているので、ユールも折に触れ、なるべく意に沿うような形で返しているのだが、今回は別だ。
「どういうとは?」
「彼女の討伐参加に決まっているじゃないですか。そもそもあれは伯母上の思い付きから試作したものですし、扱いも難しい。魔法板も特殊なものを使用しているのでとても高価です。汎用向けではないという話はしてありますよね。今までの魔導士にだって打診したことはなかったのに、いきなり新人の彼女を巻き込むなんて…!」
「彼女、魔力相当高いんじゃない?」
質問の形を取ってはいたが、確信を持った問いかけだった。
伯母がどこまで把握しているのかが、わからない。
感情の高ぶりと共に語気の粗くなっていたユールは、一呼吸おいて、慎重に言葉を探した。
「それも、うちの課長からですか」
「さすがに、個人情報は教えてもらえないわよ」
アデリアはカラカラと笑う。
訝るユールに対し、アデリアは種明かしとばかりに話し始めた。
「家畜化していても魔獣の本質は変わらないわ。自分より強いものには本能的に従うようにできている。ヒポグリフはペガサスよりもその傾向が強いの。いくら相乗りとはいえ、普段なら初見の人間なんて主が命令でもしない限り乗せないわ」
そういえば、自分が初めて乗る練習をしたときは、伯母が手綱を握っていたな、と思い返す。
昔の事過ぎて、すっかり忘れていた。
「けれど、彼女の事は嫌がらなかった。むしろ、乗るまでちゃんと座って待っていたでしょう?戦闘訓練を受けていないのだから、身体的な強さは皆無。なら、よっぽど魔力が高いとしか思えないじゃない」
ユールは頭を抱えたくなった。
完全に自分のミスだ。
彼女の事となると、どうにもうまくいかないと思うのは、なぜだろう。
「それにしたって、最後のはひどくないですか。あんな言い方したら、断りたくても断れない」
「断れないようにしたのよ。当たり前でしょ。忘れてるかもしれないけれど、私隊長なのよ。隊の利益を一番に考えるのは当然だわ」
「ですが、リントは一般家庭で育った女性です。俺と違って、戦闘訓練どころか剣術だって知らない」
「それでも魔導士庁に入った以上、彼女は政府側の人間よ。国民の為に心血を注ぐのは当然でしょ。心配しなくても、討伐中の彼女の身の安全はちゃんと確保するわ。せっかく余っている魔力を活用しないでどうするのよ」
「その、物みたいな言い方、やめてもらえますか」
ユールの視線が一段ときつくなった。
アデリアはふぅ、とため息をつく。
「あなたが、庇いたい気持ちは分かるわよ。大事な『お姫様』ですものね」
一瞬、ユールの目が驚きに見開かれ、すぐさま敵意を持った視線に変わる。
「…いつからですか」
「心配しないで。監視は付けていないわ。名前を聞いて思い出しただけ。かわいい甥っ子がめずらしく『お願い』してきたんだもの、よく覚えているわ。もう10年くらい前だったかしら」
「14年です」
別にユールもその間ひと時も忘れず想い続けていたわけでは無い。
ただ、当時の事を折に触れて思い出す度に何かが積み重なっていったのは間違いなかった。
アデリアが以前からリントを見張っていたわけではないとわかり、ユールはひとまず警戒を解いた。
その彼女は、きっちり年数を言い直したユールに苦笑している。
「昔話はもうしたの?」
「いえ、彼女は覚えていないので」
「そう」
口調はいつも通りを装っていたが、ユールの目がわずかに翳った。
アデリアはそれ以上尋ねてはこなかった。
「ユール、わかっているとは思うけれど、強い力は望まないものも引き寄せるわ。自分を守る術を増やすのは彼女にとって、悪いことではないと思うわよ」
「…はい」
それは、たぶん、リント自身が一番わかっている。
転移の際に見た彼女の光には、以前見た美しい緑はなく、他と同じ無属性のものだった。
魔法を使用する際に意図的に属性が混じるのを抑えているのか、もしくは成長過程で属性が消滅してしまったのか。
属性を持たないユールには、どちらも可能な事なのかすら、わからない。
そのうち本人に聞いてみたいとは思ってはいるが、どう切り出すかでユールは悩んでいた。
そもそも、今の2人の関係では、聞いても正直に答えてくれるとは思えない。
考え込んでしまったユールを見て、アデリアは話を変えた。
「今日はいい天気でよかったわ。『散歩』にはぴったりね」
「そうですね。彼女に景色を楽しめる余裕があるかはわかりませんが。それと、魔法板の件は少し待っていただけますか。彼女の選択以前に、一緒に作った友人に確認してみないことには」
アデリアはにこやかに頷いた。
「期待して待っているわ」
・・・・・・
ユールとの会話を終えたアデリアは、執務室へと戻り、机から葉巻の入ったケースを取り出した。
柔らかなソファに体を沈め、彼女に似合いの細身の葉巻を1本手にすると、火をつける。
肺深くまで吸い込み、ふぅっと紫煙を吐き出した。
ユールには言わなかったが、アデリアがリントを覚えていたのは単に甥っ子の想い人だったからではない。
揺らめく煙をぼんやりと追いながら、アデリアは遠い記憶を思い起こす。
ユールがリントと出会ったのは、幼い頃にアデリアと共に訪れた港町だ。
その日、散歩に出かけたユールは、なぜか子猫を拾って帰ってきた。
地元の子どもと遊んだ時になついてしまったそうだ。
自分が飼うと約束をしたので、父上に許しを得たい。
アデリアにも口添えして欲しいと『お願い』してきたのだった。
自分と父親の関係を的確に見極めているユールは、子供ながらになかなか見どころがあると思ったものだ。
後で密かに付けていた護衛の者に詳細を聞いたところ、一緒に遊んでいた子供は女の子で、魔力持ちらしいとのことだった。
同じ魔力持ち同士話が合ったのだろうと、その時は大して気にかけずに終わった。
翌日、甥っ子は朝早くから出かけ、落ち込んで帰ってきた。
昨日の子と約束をしたのに会えなかったというのだ。
甥っ子のあまりの落ち込みように、可愛そうになったアデリアは所在を調べさせた。
魔力持ちはそうそういないので、すぐ見つかるはずだ。
ほどなくして戻ってきた従者によると、彼の少女は昨夜から熱を出して療養中とのことだった。
ご子息に大事があってはいけないから面会はご遠慮したいと言付かってきたので、ユールに伝えて、2人で見舞いを送った。
翌朝、返礼が届いた。
奇妙に思ったのは、宛名に両親と連名でこの地区の名士の名があったことだ。
彼女の魔法の師だという。
添えられた手紙には、丁寧な字で御礼が延々と書かれていたが、要約すると、『魔導士の修練に集中させたいので、これきりにしていただきたい』という事だった。
アデリアは困惑した。
従者の話では、少女の家はよくある一般家庭だった。
それに対し、こちらはそれなりに名の知れた家柄である。
縁を求められることはあっても、拒絶されるとは思ってもみなかったのだ。
その上、返事を送ってきたのは彼女の師だ。
不審に思って本人や家族だけでなく、その師の事も探らせてみたが、これといったものは出てこなかった。
ユールにはお礼があった事だけを伝え、他は隠した。
旅先での些細な邂逅である。
すぐ忘れてしまうだろうと思っていた。
ただ、この不可解なやり取りは、アデリアの中に小さな棘を残した。
だから、名前を聞いてすぐに思い出したのだ。
そして、甥っ子の態度で確信に変わった。
その後、てっきりペガサスで討伐に向かったと思っていたのに、ユールと一緒にヒポグリフに乗って行ったと聞いて驚き、討伐後リントに大人しく撫でられている姿を見て、さらに驚いた。
初見の人間に対して、あれほど従順なヒポグリフの姿をアデリアは見たことが無かった。
彼女が何を秘めているのかはわからないが、懸念がある以上、今のうちにこちらへ取り込んでおかなければ。
揺らめく煙を見つめながら、あの時監視を付けておくべきだったと自分の甘さを恥じる。
14年も昔の話だ。どこまで追えるかはわからないが、今の地位ならば、何か見つけることができるかもしれない。
決めてしまえば、あとは行動するだけである。
すでに火が消えかかっている葉巻を灰皿に置き、悠然と立ち上がった。