6.見えない視線
5.と同刻、別視点です。
ユール達が上空で雷鳥と対峙している頃、近くの牧草地では、普段と変わらぬ穏やかな時間が流れていた。
「お。ノエル見ろよ、軍部の奴らが飛んでる。雷鳥かな」
友人兼同僚のリックの声に視線を国境側へ向けると、確かに遠くの空に数匹のヒポグリフが見えた。
隣では、友人が嬉々として双眼鏡を取り出している。
「ユールもう来てるかな。あの派手なやつ、久しぶりに見たい」
「おまえなぁ」
ノエルは呆れた声で言った。
本来討伐は安全のためであって、見世物ではないのだが、あの魔導士が来てからというもの、この辺りの人間にはちょっとした楽しみとなっている。
「ペガサスはいなさそうだけど」
「だな―。間に合わなかったかな」
どれだけ楽しみにしていたのかというほど、残念そうな声音だ。
それでも、双眼鏡は目から離れない。
どちらにしても観戦はするらしい。
「ん?ん゛ん゛ん゛?」
「リック、どうした?」
何か異変でもあったのだろうか。
変な声をあげている友人に、ノエルは心配になって声をかけた。
「ユールのやつ、女乗せてる!」
「は?」
こちらを見て興奮気味に言った言葉は、想像とかけ離れていて、つい聞き返してしまった。
「見間違いじゃないのか。討伐に女連れとか、ありえないだろ」
「でも、実際乗ってるし。ってか、お前の方がよく見えるだろ。なぁ頼むよ」
リックの頼みに仕方なく、ノエルは『遠望』を発動させた。
彼に頼まれると断れないのは、彼に借りがあるからだ。
当の本人はそれを笠に着たりするような奴ではないのだが、やはりできる限り返したいと思ってしまうのは、ノエルがそういう環境で生きてきたからなのだろう。
同時に、こんなくだらないことに魔法を使うとか、ここはどれだけ平和なんだと嗤ってしまいたくなる。
ノエルがユールに視線を合わせると、いつもはペガサスで討伐に参加している魔道士は、珍しくヒポグリフに乗っていた。
手綱を握るその手の内、確かに女性の姿が見える。
濃紺の服の上、銀糸が太陽の光を受けて、キラキラと光っていた。
「確かに女だけど、あれ魔導士だぞ」
「えっ、じゃぁユールの同僚?今日はあの子が倒すのか?」
「いや、多分だけど新人じゃないかな。あのローブ、普段は着ないって言ってた気がする」
ユールと飲んだ時のたわいのない会話を思い出す。
人付き合いの良いユールは、ここに配属になってからというもの、あっという間に軍部の連中と仲良くなり、よく酒場に飲みに来ていた。
下っ端の若い奴らは、ほとんどが地元出身者だ。
リックも自分もいつの間にか顔を合わせれば酒を共にするようになっていた。
冒険譚の大好きなリックは、ユールにかなり傾倒していたが、どちらかというとノエルはユールが苦手だった。
うまく隠しているが、ユールの笑顔には隙が無い。
誰かと話をしていても周りの動向を必ず確認している。
いつも余裕然としていて、決して自分の内面を外に見せないあの感じは、ノエルが幼い頃に嫌というほど見てきたものだ。
ユールも、そんなノエルの思いはわかっているようで、お互いに適度な距離感を保った付き合いしかしていなかった。
「じゃぁ今度からここの担当になるのかな。な、顔見える?かわいい?」
「あー、まぁ都会っぽい感じはするかも」
この辺りにはあまりいない、透明感のある肌。
薄茶の髪は艶やかで、鮮やかな緑の瞳はペリドットのように煌めいている。
唇もはっきりした赤色ではなく、控えめな色合いを選んでいるところに好感が持てた。
正直、かなりかわいいと思ったが、明らかに高嶺の花だ。
期待させるのもどうかと思い、曖昧な返答に留める。
「ユール、紹介してくれないかな」
「バカか。高給取りの魔導士が俺らなんて相手にするわけないだろ」
「そんなの、やってみなきゃわかんないだろ」
「お前のその無駄な前向きさ、見習いたいよ」
リックはまだ何か言っていたが、相手をしているといつまでも終わらないので、聞き流す。
再び空へ視線を戻すと、青空に朱線が走っていた。
「ほら、始まったぞ」
討伐はやはり雷鳥だったらしい。ヒポグリフの炎で追い込んでいる。
調子よく森の方へと誘導しているように見えたのだが、雷鳥の方はどうも様子を見ていただけだったらしい。自分の方が優位だと思ったのか、勢いよく隊員達へ向かって突っ込んでいった。
あっ、と思った時には、雷鳥は赤い炎に包まれた後だった。
綺麗な球体が太陽のごとく空に浮いている。
少しづつ、小さくなっていく球体を眺めていると、ほどなくしていつもの青空だけが残された。
「やっぱスゲーな。」
「ああ」
確かに、あの技はすごいと思う。
多少魔法の心得があるノエルも、どういう仕組みなのか全くわからない。
「え…」
雷鳥のいなくなった空から視線をゆるく動かした先、ユールがいた。
その瞳は討伐の後とは思えない程、慈愛に満ちている。
いつもなら決して見せない表情から、ノエルは目が離せなかった。
愛おし気に目を細めて見つめる先は、目の前の女性。
躊躇いがちに、でも明確な意思をもって彼女の髪に触れると、そっと口づけを落とした。
「……っ」
思わぬ場面に、ノエルは固まった。
意図したわけではないが、人の情事を垣間見てしまったようで、居心地が悪い。
いや、そもそも仕事中にあんな事をしているユールのほうが悪いんじゃないか。
そうだ、俺は悪くない。
「?どうかしたか?」
急に様子のおかしくなったノエルにリックが声をかける。
「なんでもない。ほら、仕事に戻るぞ」
「なんだよ、もうちょっと休んでからでもいいだろ」
「お前が怠けると、俺まで伯父さんに叱られるだろうが」
ノエルは、リックに顔を見られないよう、先に歩き出した。
今日は放牧にはちょうどよい気候だ。
風は穏やかで、雲がほどよい影をつくりながら流れていく。
とても心地よい日和だというのに、ノエルの頬はしばらく赤く色付いたままだった。