5.討伐と独白
後半、ユール目線です。
空へ飛び立ってからしばらくは黒い点の集まりにしか見えなかったものが、近づくにつれて次第に鳥の形を成してきた。
先に向かっていた隊の面々が、臆することなく真正面から雷鳥に迫っているのが見える。
ヒポグリフの炎で威嚇し、追い払うのだそうだ。
それでも逃げなければ、討伐となる。
小型と聞いていたのに、翼を広げた姿は、3mはありそうだった。
これで小型ならば、標準サイズは一体どれほど大きいのか。
想像するだけで、恐ろしい。
小鳥ならばかわいらしいと思えるまんまるな目も、瞳孔の動きがはっきりと確認できてしまい、不気味さを助長するだけだった。
「大丈夫?」
「は、はい」
ヒポグリフがか、雷鳥か、それとも高度か、一体何に対しての『大丈夫』なのかわからなかったが、とりあえず返事をする。
リントには、この状況で『はい』以外に言える言葉があるとは思えなかった。
『無理です』といったところですぐには降りられないし、なにより負けたようで悔しい。
隊員達に追いつくと、ユールは彼らよりも少し高度を上げ、上から見下ろす形をとった。
後方にいたときには気付かなかったが、全員防御用の結界を張っている。
「みなさん、魔力持ちなんですか?」
「軍部は多いね。魔導士でなく、『魔法使い』がほとんどだけど。特にヤトル区は牧畜が盛んだから、家畜を狙った魔鳥の襲撃はそれなりにあるんだ。攻撃はヒポグリフ任せでも、結界は張っておかないと危険だしね」
資格を持たない魔力保持者は正確には『魔法使い』と呼ばれている。
一般にはあまり知られていないが、人に害をなす使い方はダメだとか、新しく作成した魔法陣は政府に登録しなければいけないとか、魔力保持者に対してはいろいろ細かい規制があるのだ。
恩恵を受ける分、制約も厳しい。
その両者が見合っているかと言われると、今のリントに判別することはできなかった。
ユールと話をしている間に、隊員達によって威嚇が始まっていた。
ヒポグリフの口から次々と炎が放たれ、薪を燃やしたような、鮮やかな赤色が空を染めていく。
リントは隊員達とはそれなりに距離が離れているのだが、足にゆるく熱を感じた。
防御しているとはいえ、彼らは熱くないのだろうか。
「―ずいぶん、攻撃的な子みたいだね」
静かだが、通る声が耳元で響いた。
いつもより一段低く聞こえたそれに、とっさに振り向くと、ひどく好戦的な表情をしたユールがいた。
本人は自重しているつもりかもしれないが、薄く上がった口角と、抑えきれない疼きが瞳に映っている。
右手には10cmほどの正方形の薄い銀板が握られており、刻まれた線の内側にはすでに魔力が満たされ、発動を待つばかりとなっている。
赤い炎にひるむことなく隊員達に向かってくる雷鳥は、完全に迎撃態勢を取り始めていた。
「ユール、頼む!!」
「ぅわぁっ!」
可愛げのない声の主はリントである。
隊員の一人がこちらへ向けて言葉を発したと同時に、ユールの左手がリントを強く抱き寄せたのだ。
今までも十分近かったが、これはさすがに意識しない方が無理だ。
「動かないで」
ユールは慌てふためくリントを、短い言葉で押しとどめた。
銀板を持つ右手がリントの身体より前に突き出される。
雷鳥に狙いを定めて発動された魔法陣から、風と水が勢いよく放たれた。
風が、ヒポグリフの炎を巻き込みながら蛇のように雷鳥に巻き付き、その躰を焼いていく。
少し遅れて、薄い水膜がシャボン玉のようにその周りを覆った。
炎は最終的に丸い球体となり、中にかすかに見える黒い影がほろほろと崩れていくのが見えたが、水膜のおかげで地上には落ちていかなかった。
影が見えなくなったところで水膜が炎との距離を狭め、短い破裂音とともに霧散する。
後には何事もなかったかのように、青空が広がっているだけだった。
「おぉぉぉぉ!」
「さっすがユール!」
「やっぱスゲーな」
興奮した隊員達が口々にユールを褒めているのがかすかに聞こえてくる。
リントを押しとどめていたユールの手はすでに離されていたが、動くことができなかった。
二属性の同時発動など、見たことも聞いたこともない。
それに、ユールの魔力量であれだけの威力が出ることも、通常ではありえない。
許容できないことが一気に起きすぎて、頭が追い付かなかった。
・・・・・・
「リント?」
銀板を綺麗に拭いて、ポケットにしまったユールは、微動だにしないリントに声をかけた。
顔を覗き込むと、呆けた顔のまま、固まっている。
驚きに見開かれた目は、雷鳥がいたであろう場所を見つめたままだ。
わずかに開いた口がかわいらしい。
無防備に自分に寄りかかる身体に、ローブ越しでも鼓動の速さと熱を感じた。
穏やかな風がリントの髪を揺らし、彼女を見つめるユールの頬をくすぐる。
周りに気づかれぬよう、自分を撫でたその一房をそっとつかみ、唇を寄せた。
彼女の瞳は動かない。
今なら頬にキスくらいしても気が付かないんじゃないだろうか。
よこしまな考えが過ったが、嫌われたくないので、やめておく。
―少しずつでいい。
そうは思うものの、焦がれ続けた相手が、今、触れられる距離にいるという事実が劣情をかき立てる。
たとえはじまりが幼い頃の遭逢だとしても、今の自分の中にあるのは、まごうことなき恋慕だ。
切り替えるように、ユールは1度、深く呼吸をした。
「リント」
はっきりと名を呼び、少し強めに腕を叩いたところでリントの身体がびくっ、と小さく跳ねた。
勢いよくこちらへ振り向いたが、ユールの顔が近いことに驚き、即座に前を向きなおす。
耳が赤くなっているのが見てとれて、意識してくれているのだろうと嬉しくなった。
「今の、いったい何なんですか…」
少しは落ち着いたのか、リントが前を向いたまま質問を投げかけてくる。
「ちょっとは見直した?」
「なんかもう、想像の域を超えていて…聞きたいことがありすぎて、頭の中まとまっていなくて…」
すみません、と背を丸め、小さくつぶやく。
「白状すると、すごいのは魔法陣であって、俺じゃないよ。後でゆっくり説明してあげる。とりあえず、戻ろうか」
「そうですね…」
リントの右手が優しくヒポグリフを撫でた。
馬よりも長く、柔らかい毛並みは彼女のお気に召したらしい。
犬猫が好きならば喜ぶのでは、と思っていたユールの読みは当たったようだ。
何度も手で梳き、感触を確かめている。
ユールはゆっくりと下降を始めた。
腹部にまわした手は、咎められることはなかった。