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46.配慮と遠慮

「起きたか」

「のえる…?」


 自分と背丈が同じノエルを―彼曰く、自分の方が2センチ高いらしいが―なぜ見上げているのだろう。


 目覚めたばかりの頭で状況を整理すること数秒、焦りの色を浮かべたリントが勢いよく上体を起こした。


「時間っ!」

「まだ昼前。落ちて20分ってとこ」


 落ち着けとばかりに、目の前に出された懐中時計。

 針の位置を確認したリントがはぁっと息を吐いた。


「よかったぁ…」


 この時間なら、残りを処理してから戻ってもユールに心配されることはないだろう。

 ペガサスのブラッシングを飼育員に任せることになってしまうのは残念だが仕方ない。


 ふと、手触りに違和感を感じたリントは、自分に掛けられたコートに気付く。

 飛び起きた際にずれたのだろう、半分以上腰のあたりで丸まっているそれは、ノエルのものだ。

 お礼を伝えようとしたところで、自分のいる場所を正しく認識したリントの顔が一気に赤くなった。


「ごめん!すぐ退くから!っうわぁ」


 気恥ずかしさのあまり急いで立ち上がろうとしたあげく、すっ転びそうになったリントをすかさず捕えたノエルの機敏さは流石としか言いようがない。


「ごめん…」

「立てるか?」

「大丈夫」


 手を借り、今度こそ慎重に立ち上がる。

 身だしなみを確認するも、ノエルのおかげで目立った汚れは見当たらなかった。

 ついでに、顔の赤みが早く引くよう、深い呼吸を何度か繰り返す。


「調子は?」

「すごく良いよ。良すぎてちょっと怖いくらい」


 術後の経過が気になるのだろう。

 少しの異変も見逃すまいと、じっとこちらを観察するノエルの顔が真剣だ。

 獣医として診る時もこんな感じなのかと思ったら、微笑ましさについ口角が上がってしまった。

 機嫌を損ねたかと不安になったが、体調の良さと判断されたようで、特に何も言われずに済んでほっとする。


 それにしても、ノエルの魔法は凄い。

 久しぶりにすっきりとした頭と身体。

 なにより、体内を満たしている魔力の存在をはっきりと感じる。


 自助が必要な回復薬ではこうはいかない。

 有り余る力を使いたくて逸る感覚など、生まれて初めてだ。


「そうか。じゃ、仕事に戻れ。次2日後な」

「え、ちょっと、」


 リントの言葉に安堵の表情を浮かべたノエルは、何の説明もないまま勝手に日取りを決めると踵を返した。

 あわてて呼び止めたリントに、歩き出していた体が億劫そうにこちらを向く。


「戻るの遅れてあいつが探しに来たら困んだろ。こっちだって聞きたい事は山ほどあるんだ」


 どうやらノエルへの説明は不可避だが、ユールには黙っていてくれるらしい。


「いいの?」

「これ以上ややこしくしたくねー」


 相変わらず素直じゃない。

 本人も苦しすぎる言い訳を自覚しているのか、目を合わせようとしなかった。


「ありがとう」


 めいいっぱい気持ちを込めたお礼の言葉に、ノエルの横顔が心なしか和らいだ気がして。

 常人の倍の速度で去っていくノエルを見送った後、リントもペガサスと共に作業へと戻った。



・・・・・・



 ペガサスを飼育員へ引き渡した後、リントは部屋へ続く階段を上りながら顔を整えていた。

 気を引き締めていないと、ユールに悟られてしまいそうで怖かったからだ。

 

 せっかくノエルが黙ってくれているのに、自分の不注意で疑われては意味がない。

 扉の前で一呼吸置いた後、リントはいつも以上に重い取っ手をゆっくりと引いた。


「ただいま戻りました」

「おかえり。その様子だと、問題なさそうだね」

「はい。予定通り終わりました。先輩もおかえりなさい。お疲れ様です」


 扉を開けると同時に戻りを告げると、ユールが作業の手を止め、笑顔で迎えてくれた。

 彼に倣って労いの言葉を返したリントに、『ただいま』と言ったユールの顔が殊更嬉しそうで、こちらもつられて頬が緩む。


『お疲れ様』より『おかえりなさい』と言った時の方が嬉しそうだな、と気づいたのはいつだったか。

 その後、同じような事が何度か続き、今では自分の帰りが後の時でも『おかえりなさい』と付け加えるのが習慣となっていた。


「お昼はもう済ませた?」

「いえ、食堂に行こうかと。先輩は?」

「実は出先で買ってきたんだ。一緒に食べない?」


 ユールの視線を追うと、今朝はなかった紙袋が机の上に置いてある。

 以前なら逡巡しただろう状況に、リントはにっこり笑って頷いた。


「ありがとうございます。準備しますね。お茶はどうします?」

「茉莉花でもいい?緑茶の方」

「わかりました」


 時折、ユールはこうして昼食や茶菓子を買ってくる。

 最初の頃はもっと頻繁で、こちらが気おくれするようなものもたくさんあった。

 その度に悶着を繰り返した結果、次第にこちらの許容範囲を理解したらしい。

 最近は、適度に期間を空け、負担にならない金額で、なるべく一緒に消費できるものを選んでくれるようになった。


 申し訳ない気持ちが全く無いとは言えないが、親友に『先輩が後輩のご飯代持つくらい、普通にするでしょ。向こうだって年上としてのプライドだってあるだろうし、笑顔で受け取っておけばいいのよ』と言われ、今の対応に至っている。


 リントは慣れた手つきでお湯を沸かすと、さっそく紙袋を開けた。

 中には大きな緑の葉でくるまれた、両手を合わせたほどの包みが2つと、中瓶が1つ。

 それほど時間が経っていないのか、包みの方はほのかに温かい。


 透明な瓶の中身は赤みがかった茶色の液体で、細かく刻まれた具材が無数に浮いている。

 目の高さまで上げると、動いた拍子にたぷんと波打ったので、多分ソースだろう。

 少し迷った後、ユールの席側へと置いた。


「お待たせしました」


 茶葉が開くタイミングで声をかける。

 いつものように2人掛けの小さなテーブルに向かい合わせで座り、ユールが手をつけたのを確認してから、同じように包みの紐を引っ張った。


 丁寧に折りたたまれた葉を慎重に開くと、ふわりと鶏肉のいい匂いが鼻先をくすぐる。

 ぎっちりと敷き詰められた米の上、ぶつ切りの蒸し鶏がこんもりと小山を作っていた。


「美味しそう…鶏肉ですよね?」

「そう。これかけて食べるんだ」


 リントの質問に答えつつ手元の瓶を掴んだユールは、傍に置いたティースプーンを使わずに鶏肉の上で瓶をそのまま傾けた。


 どぽりと大量の液体が鶏肉の上に多い被さり、溢れて米にも染み込んでいく。

 本来の食べ方を知らない自分だが、明らかにかけすぎではなかろうか。

 考えが顔に出てしまったのか、こちらの視線に気がついたユールが珍しくはにかんだ。


「これ、昔から好きで。味濃いから、リントは様子見てかけて」

「私初めて見るんですが、訪問先の郷土料理ですか?」


 先ほどから気になっていた話題を振ってみると、ユールはすでにぱくりとスプーンを咥えていた。

 いつもより咀嚼が早い気がするのは気のせいではないと思う。

 

「いや、隣国。母の故郷だから、うちでは時々食卓に上がってたんだ。今日行った場所は関門近くのせいか、屋台も異国料理がたくさんあったよ」

「いいですね。見るだけでも楽しめそうです」


 異国料理は都市にもあるが、高級店ばかりで屋台はない。

 職業柄、気軽に他国へ行けない身としては、屋台料理でお手軽に気分を味わえるのは魅力的だ。


「研修明けたらリントも行けるようになるよ。許可が下りたばかりの頃は俺も休みの度にあちこち行ってたな」

「良い制度ですよね。ありがたいです」

「辞められたら困るからね。手当と違って国庫に影響ないし、お互い都合がいいんだよ」


 魔導士特権のひとつに、申請すれば魔法陣の個人的な利用が可能というものがある。

 もちろん荷物検査はあるし、商業目的は不可だが、国の端までだって日帰りで遊びに行けるのだ。


 笑顔で応えたリントだったが、同時に胸がツキリと嫌な痛みを訴えていた。

 以前のユールだったら、きっと、一緒に行こうと誘ってくれた。

 そうしなかったのは、自分への配慮だと分かっているのに、先立ったのは『寂しい』という感情で。


 あまりに身勝手な自分の思いに苦笑いしか出てこない。

 吐き出せない想いが胸の中で凝って重くなるのを感じながら、リントは平静を装い差し出された瓶を受け取った。


 すでに半分近く減った瓶の中へとティースプーンを浸し、勧められた通り一番小さい鶏肉へソースを垂らす。

 はしたなくならないよう量を調節しつつ、米と一緒にスプーンに乗せ、口へと運んだ。


 しっとりした口当たりの後、魚醤独特の香りが鼻から抜けていく。

 舌に絡むのは絶妙な甘辛さ。鶏の旨味と相まって、とてもおいしい。


 魚醤は港町育ちのリントにとって慣れ親しんだ調味料だが、こちらは地元の物より香りが強い。

 地域によって使う魚が違うというから、そのせいかもしれない。


 定番の香草にガーリック。ジンジャーの香りもほのかに感じる。

 使われているスパイスや材料を予想しつつ、しばらく無言で噛みしめていたら、ユールが遠慮がちに感想を求めてきた。


「どう、かな?」

「美味しいです。存在感のあるソースなのに、鶏の味も負けてなくて」


 こういう時、もっと自分に語彙力があればと強く思う。

 上手く説明できなくて、結局『美味しい』に落ち着いてしまうのだ。


「米を鶏の出汁で炊いてるから、そのせいかも」

「なるほど…」


 言われてみれば、玄米よりは薄く、白米にしては茶色掛かっている。

 次はごはんだけ、とスプーンを伸ばしたところで、向かいから安堵の声が落ちた。


「よかった」

「?」


 こちらを見るユールは満面の笑みだ。


「俺の好みで買ってきたから、口に合うか心配で」

「先輩が買ってきてくれるものは、いつも美味しいですよ?」


 ユールは何かにつけてセンスが良い。

 服や小物はもちろんのこと、食に関しても同様で、庁舎でも上司や同僚から客先への手土産の相談を受けるほどだ。


「それは…あ!このソース、魚や野菜と合えても美味しいよ。よかったら持って帰る?」

「ありがとうございます。ぜひ」


 言いかけ、飲み込まれた言葉は何だったのか。

 頭を掠めた疑問は、目新しいソースを得たことであっという間に思考回路から追い出されてしまった。

お読みいただき、ありがとうございます。

まとまった時間がなかなか取れず、少し書いては期間が空き、見直して、また最初から書き直し…の繰り返しで、UPがさらに遅れるという…すみません。

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