43.選択肢
ノエル目線です。
「魔法陣?」
「そう。孫曰く、それで記憶を封じてるって」
驚きのあまり聞き返してしまったノエルに対し、ユールの口調はひどくあっさりしたものだった。
今日の彼は始終こんな調子だ。
私情を混ぜないよう、事実だけを淡々と。感情を言葉に乗せないよう努めている。
単純に、そうでもしないと平静を保てないのだろう。
無関係の自分ですら、その内容に嫌悪を抱かずにはいられなかったのだから、彼の胸の内は推して知るべしだ。
すっかり馴染みとなった小屋での報告会。
しかしながら、今日は聞き手と話し手が逆である。
大して進まなかった授業の話は早々に切り上げ、ユールから事の顛末を聞いているところだった。
「魔法陣を体内で展開って、こっちじゃよくあるのか?」
「いや。リント相手だから上手くいっただけじゃないかな。魔力を通してる間しか陣が起動しないのは知ってるでしょ。四六時中とか、俺なら自滅まっしぐらだよ」
属性魔法ならともかく、魔法陣については最近学び始めたばかりの自分だ。
知らないだけかと思い聞いてみたのだが、やはり特殊な方法らしい。
「あいつには」
「言ってない。目覚めた後で確認したけど、倒れた時の事は覚えてなかったから」
「まぁ、あんたはそうするよな」
ノエルは呆れを隠さないまま、中央の皿に手を伸ばした。
皿の上にはユールが持参した多種多様な肴が小山を作っている。
その中から細長く裁断された干物をつまむと、口に咥えた。
噛むたびに上下に揺れるそれを、見るともなしに眺める。
魔法陣の事を知れば、リントは解除を望むに決まってる。
彼女が傷つく結果しか浮かばないこの状況で、ユールが『話す』という選択をしないのは明らかだった。
ちらりと向かいを見ると、ユールは自分の皮肉まじりの物言いなど気にすることなく綺麗な所作でコップを傾けている。
―まずいよなぁ。
味のことではない。
噛み締めるほどにじんわりと口内に広がっていく旨味は申し分なく、どうせなら憂いの無いときに味わいたかったと強く思う。
リントと話した時は曖昧だったものが、経緯を知ることで明確になり、ノエルには彼女がこの先どう動くのか想像がついてしまった。
2人共素直に話せばすむ事を、余計な遠慮に気遣いと矜持のせいで、このままだと絶対うまくいかない。
「ってか、いいのかよ。俺にこんな話して」
「むしろ一番安全でしょ。情報源としても優秀だし。で、魔力値を上げる方法なんだけど、それらしい話とか聞いたことないかな」
安全というのは、信頼の意味ではない。
弱みを握られている自分が話すはずないという、確信だ。
ユールは時折、会話の中にこう言った物言いを混ぜてくることがある。
立場を意識付ける言動は、貴族社会ではよくある話だ。
自分よりよっぽど『らしい』態度に、はじめは辟易していたが、リントを想っての牽制だと気づいてからは、子供っぽいところもあるもんだと気にならなくなった。
彼にしてみれば、想い人が男と数時間2人きり。
他に教えられる人間がいない以上、仕方がないと理解していても、不本意この上ないに違いない。
「何も。知ってたら俺だってやってるさ」
「だよね…庁舎にある文献はあらかた目を通したけど見当たらなかったし。やっぱり禁術の類なのかな…」
分かり切っていただろう自分の答えに、ユールは短くため息を吐いた。
「庁舎以外の禁書の保管場所ってなると…」
つぶやかれたのは、名は知っていても、常人には無縁の場所ばかり。
潜り込む算段でもしているのか、頬杖をついて考え込んでしまったユールに、ノエルは拒否されるのを承知で提案してみた。
「そんな面倒なことしなくても、魔法陣解除すれば済む話だろ」
落ちていた目線が、こちらを向く。
睨まれているわけでもないのに圧を感じて、ノエルはぐっと息をつめた。
「解除はしない。わかってるくせに、なんで聞くの?」
「その方がよっぽど早いし確実じゃねーか」
ここで黙ると負けた気がして、意地で言葉を紡いだ。
一瞬でも怯んだのがばれないよう、きっちり視線を合わせる。
「俺は、別に真相を知りたいわけでも、術を利用したいわけでもないよ。リントの体が心配なだけ」
「10年以上何ともなかったんだ。今更―」
「その間、属性魔法はほとんど使ってなかったじゃないか。最近多用してるのが気になるんだ。何かあってからじゃ遅いだろ」
彼女を守りたい、傷ついて欲しくないというユールの気持ちはわかる。
わかるが、素直に受け入れられるかと言われれば、答えは否だ。
本人が事実を知りたいと望んでいて、知る方法も分かっているのに、他人が勝手に隠匿するのが正しい事とは、ノエルにはどうしても思えなかった。
だからといって、彼女の気持ちに言及するようなことを勝手に言うわけにもいかず、慎重に言葉を選ぶ。
「あんたの気持ちもわかるけどさ、あいつだってもう子供じゃねーんだ。ずっと殺った殺らないで悩み続けるのも可哀想だろ。当時は無理でも今ならちゃんと向き合えるって」
師の魔力値が彼女以上だったとは考えづらい。
起動するには彼女の承認が必須で。それは本人が消すことを望んだ証拠でもある。
「想像と現実で体験するのじゃ、全然違うと思うけど」
暗に、『お前ならわかるだろ』と言われた気がした。
奥底にしまい込んだはずの光景が、一瞬頭をよぎる。
無意識に視線が下がり、コップの中の液体に目が留まった。
中身は白ワイン。
木の色に負けて透明に見えるが、本当は薄い黄緑色だ。
ちゃんとしたグラスに注げば、すっきりした味わいにふさわしい清廉な姿を見せるだろう。
やけ酒に付き合ってからと言うもの、小屋を訪れる度に必ず酒と肴を持参するようになったユールは、ノエルが普段ビールを飲んでいるのは単に安いからだと知った結果、毎回違う種類の酒を用意してきた。
種類ごとに定番、おすすめ、変わり種を1本づつ。
ノエルの好みを確認して、次回はその系統からさらに数本。
今まで味わう飲み方など無縁だったというのに、幸か不幸かここ二月ほどでそれなりに詳しくなってしまった。
ちなみに色々飲み比べた結果、自分は辛口が好みらしい。
ユールが持ってくる酒はどれも及第点以上だが、そういう意味で今日は特に飲みやすく、自分でも自覚できるほどコップが空になるのが早かった。
自分の手に呼応してわずかに揺れる液体に、リントの諦観めいた笑みが浮かぶ。
偶然居合わせたせいで、半ば強制的に始まった師弟関係であれど、真面目に努力する姿を見続けていれば、情が沸くのは自然な話で。
全て望み通りにとはいかなくとも、せめて理不尽な扱いを受けた分くらい取り戻して欲しいと思うのは、おかしな事ではないだろう。
「だとしても。討伐に参加しようって奴がこんなことでどうにかなるんじゃ論外だろ。そもそも、真綿で包むような守り方、あいつが喜ぶとは思えねーけどな」
「自己満足なのはわかってるよ。けど、こうなったのは俺の責任だから」
きっぱりと言い切るユールに、ノエルはそれ以上何も言うことができなかった。
・・・・・・
その日、ユールは珍しく日付が変わる前に帰っていった。
後片付けを兼ね、余った酒とつまみを片手に魔導書を捲る。
―頼まれても無いのに、首突っ込むのもなぁ…。
そうは思うが、この先起こるかもしれない最悪の事態を考えると、見ないふりもできない。
ユールが気づいているかはわからないが、リントと話していると、自己肯定の低さを感じる時がある。
雑談する程度には近しくなった頃、彼女が自分を認めるのは『魔法が使える』という一点だけなのだと知った。
だからこそ、魔導士という仕事に誇りを持っているし、誰かを助ける為なら自己犠牲を厭わない。
傍から見れば、『よくできたお嬢さん』だろうそれは、幼い頃からそうなるよう教え込まれた結果だ。
清廉で高潔な魔導士像を盾に。
純粋な憧れを糧に。
実際は、望んだものを従順に差し出させる為にはじめられ、強大な力を恐れた為に続けられたものだとしても。
自分に価値を見出さない彼女は、ユールが自分の為なら何でもするとは思っていないだろう。
「どうすっかな…」
最適解を見つけられないノエルのつぶやきは、行き場のないまま、魔導書の山に溶けていった。