42.意識、無意識
後半、ノエル目線です。
「なんだ、渋ってた割に早かったな。練習、見てくんだろ?」
ノエルの視線はリントの隣、にこやかな表情で立つ青年に向けられている。
先日の会話通り、今日は練習場所までユールと一緒に来た。
着いて早々、挨拶よりも先にノエルの口から出た言葉は、要点以外がすっぽり抜け落ちていて、会話相手であるユールには理解できてもリントには何のことかさっぱりだったが、ノエルの表情に安堵が浮かんでいたので、ユールが自分に種明かしをしたとわかってほっとしているのだろうと推測した。
根が真面目なノエルのことだから、今まで黙っていたのが心苦しかったに違いない。
迷惑をかけている自分が考えるのもおこがましいけれど、少しでも気持ちが軽くなったのなら嬉しく思う。
自分なりの状況把握が終わったタイミングで、隣から『あー…』と言い淀む声が聞こえ、リントは意識を引き戻した。
横では質問を投げかけられた当人が何と答えるか迷っているところだった。
微苦笑というのだろうか、困惑に自嘲と呆れ、そしてわずかな逸楽を混ぜたような何とも言えぬ表情をしている。
「いや、仕事あるから戻るよ。それと…その。まだ、なんだ。なんていうか…保留中?」
「?」
ユールにしては珍しく歯切れの悪い言い方だった。
進捗がよほど思わしくないのか、ノエルが相手故の態度なのかはこれまでの短いやり取りでは判断できないものの、先ほどの解釈が間違っていたことだけは確実で。
「おかしいな…」
2人に聞こえぬよう、リントは口の中で本音をこぼした。
こういった推測はほとんど外したことがないのだが、今日は数少ない失敗の日らしい。
ノエルは何と答えるのだろう―。
気になって視線を彼へと戻すと、唖然たる面持ちでユールを凝視していた。
そして、その視線がどういうわけか自分の方へと移動してくる。
どういうことだと言わんばかりの顔。
けれど、むしろこちらが教えて欲しいというのに、そんな顔をされても答えようがない。
返事の代わりに軽く首を傾げてみせると、ノエルはこれ以上ないほど深いため息を吐いた後、ユールを軽くねめつけた。
「…こないだみたいなのは勘弁してくれよ」
「善処するよ。あと、別件でちょっと」
後半ユールの口調が変わったのを受けたノエルは無言で頷くと、リントに薄い冊子を放ってよこした。
「これ読んで待ってろ」
魔法で補助しているのか、ゆるく弧を描きながら的確にリントの手元へと落ちてきたそれは、ノエルの自作らしい。
ぱらぱらとめくると、先日の注意点と今日練習する術の説明が書かれていた。
わかりやすいように所々絵も入れてある。
最低限の点と線で描かれた絵は、単純なのに不思議と愛嬌があって可愛らしい。
「ふふっ」
つい笑ってしまってから、しまったと慌てて顔を上げたが、2人は少し離れた場所でまだ話しを続けていたので、ノエルに気づかれることは無く。
ほっと胸をなでおろすと、リントは適当な場所に腰を下ろし、文字を辿り始めた。
実技の前に読書と言う名の休息が入ったのは、今日のリントにとって大変ありがたい偶然だった。
慣れない魔法はとにかく神経を使う。
来る途中ですり減ってしまった疲労を回復するのに丁度良い。
ちなみに、疲弊の原因は言わずもがな、ユールである。
授業の日、リントは早く来るノエルに合わせて、いつも余裕のある時間に出発していた。
彼から『好きにしてるだけだから気にするな』と言われているものの、やはり教えを乞う身として待たせるのは申し訳なかったからだ。
一緒に行くと決まった時点でユールにも出発時間と理由を伝えてあり、納得も了承も取り付けてあった。
そして今日。
いつものように厩舎へ向かい、鞍に手をかけたところで、何故かユールに止められた。
用事が済めば仕事へ戻るユールと、大体の時間は決めているものの、状況次第で早くも遅くもなる自分。
当然別々の馬で向かうものと思っていたら、本当に『一緒』に行くらしい。
迎えに来てもらうのは申し訳ないからと丁重に辞退したのだが、抵抗むなしく言いくるめられ、結局手綱を任せることになってしまった。
口の上手いユールにリントが勝てるはずもないと言われればそれまでなのだが、ご機嫌なユールはその後、移動が目的だというのにまるで散策でもしているかのようなゆったりとした歩みで馬を進めた。
定刻に到着できると思えない速度。
そのうえ、久しぶりの2人乗り。
距離の近さに平静を保とうとしても、鼓動は勝手に早まっていく。
緊張と不安がない交ぜになったリントは、何度も間に合うのかと聞いたのに、ユールは笑って『大丈夫』と言うばかりだった。
結果、着いたのは予定ぎりぎり。
もちろんノエルは既に到着しており、木陰で読書に勤しんでいた。
やっぱり間に合わなかったじゃないかとユールを恨めしく思う気持ちはあったものの、リント自身、彼が薬草や薬品の話を始めてからはすっかり夢中になって話し込んでしまったので、全てを彼のせいとも言いづらく。
結局不平を口にはしなかった。
代わりに少しばかり視線で訴えてみたのだが、とびきりの笑顔という返り討ちにあってしまい、慣れないことはやるものじゃないと心底後悔した。
そんな今朝のあれこれを反芻していると、手元に影がかかる。
顔をあげると、予想通りユールだった。
リントと目が合うと、にこりと笑む。
「お待たせ」
「もういいんですか」
「うん。確認したかっただけだから」
リントの質問に頷きつつ、ユールが手を差し伸べてくる。
別に手を借りずとも立ち上がれるのだが、出された以上仕方がないので、お礼を言ってその手に自分のを重ねた。
違和感のない程度に素早く立ち上がると、温もりが移る前に繋がりを解く。
平静に。冷静に。
それだけを考えて、ユールの瞳が寂し気に揺れたのには、気づかないふりをする。
「この前も言ったけど、くれぐれも無理はしないで」
心底心配しているのがわかる表情と口調だった。
先日の出来事を未だに引きずっているらしい彼は、リントに対して今まで以上に過敏になっていた。
社会人としてそこまで心配されるのはどうかと思う反面、嬉しいとも思ってしまう自分が、浅ましくて嫌になる。
「ありがとうございます。先輩も気をつけて」
「また後で」
ユールはひらりと馬へ跨ると、行きの緩さを全く感じさせない速度で来た道を颯爽と駆けていく。
先日、見惚れていたのが本人にばれそうになったことがあり、それ以来リントはユールと一緒にいる時、細心の注意を払って後輩役に徹していた。
後姿と言えど、思うまま見ていられるのは久しぶりで。
リントはユールの背が見えなくなった後も、しばらくその場に立ち尽くしていた。
・・・・・・
「ねぇ、ノエルは他人の記憶見れたりするの?」
「なんだよ、急に」
休憩中、突然のリントの質問にノエルは意味が解らないという顔で返事をしたが、実際はまったく驚いていなかった。
先ほどユールから同じ質問を受けていたからだ。
自分は出来ない。祖国にはいるけど、高位の貴族か神官だから伝手が無ければ会うのも難しいと説明すると、ユールはひどく気の抜けた顔で、『よかった』と笑った。
その際『リントも同じ事聞いてくると思うから』と言われていたのだ。
いつものように適当に躱されるだろうと思いながらも理由を問うと、今回はちゃんと説明してくれるらしい。
夕方いつもの小屋で落ち合う事になっている。
「ちょっと気になっただけ。ほら、初めて会った時に私の記憶消そうとしたでしょ?だから見ることもできるのかなーって」
ただの興味本位だと、へらりと笑う。
真意を問われたくないのだろうが、隠そうと必死になるあまりに挙動不審ぎみで、笑いを堪えるのが大変だった。
咳払いを理由に顔を背けることでなんとか誤魔化し、呼吸を整えてリントに向き直る。
「俺は無理。記憶を消すのと辿るのとじゃ原理も違うし、魔力消費も桁違いだ。興味本位で習得するには割に合わない魔法だな」
実際は、自己・自家利益の為に後ろ暗い使い方をする奴も相当数いるのだが、裏の話なので伏せておく。
そうでなくとも、ユールとしてはこの話題に関してリントに深入りして欲しくないらしい。
説明する代わりに彼女が変に期待しないよう、可能性には言及しないでくれと頼まれていた。
「割に合う人ってたとえば?」
「諜報か司法に関わる奴。貴族か高位神官だから、伝手でもなきゃ会えない」
「すごい人達なんだね…」
「聖属性持ち自体、少ないからな」
あからさまに落ち込んだリントの姿に、嘘は言っていないというのに胸がちくりと痛む。
「そっかぁ。ごめんね、変な事聞いて」
「―なぁ、」
「ん?」
ノエルは座ったまま、練習を再開しようと立ち上がったリントを呼び止めた。
「俺も、聞きたい事あるんだけど」
「いいよ。何?」
肯定の言葉を口にして、リントは同じ場所に座り直す。
「なんでユールに返事してやらないんだ?好きなんだろ」
「!」
リントの顔が一瞬で朱に染まった。
言いたいことがまとまらないのか、口だけがぱくぱくと開いては閉じてを繰り返している。
そこまで動揺すると思っていなかったノエルは、落ち着かせようとコップに水を注ぎ、リントに手渡した。
「ほら」
素直に受け取った彼女は、こくこくと喉を鳴らして勢いよく流し込む。
彼女が水を飲み込むたびに僅かに動く、細く白い首。
無意識に目で追っていた自分に気がついたノエルは、そっと視線を逸らした。
「ありがと。もう大丈夫」
一度で飲むには少しばかり多すぎる量を飲み切ったリントは、薄く笑んだ。
頬の赤さはまだ強いが、他はいつもの色を取り戻している。
「それにしても、その質問は予想してなかったな…私、そんなにわかりやすかった?」
「…見送ってるとき、そーゆー顔してたから」
「ああ…」
本人も思い当る節があるようで、水に濡れて艶めく唇から納得の声がこぼれ落ちる。
特別な感情を持っていない自分ですら見惚れてしまうほど、ユールを見送る彼女の瞳は優しく、表情は甘やかだった。
貧富の差はあれど、王侯貴族のいない国。
よほどの財閥や高位の家は別かもしれないが、恋愛も結婚も自由意志だ。
そこまで想っている相手から望まれているのに、返事を引き延ばす理由は何なのか。
普段なら他人の恋愛なんて気にも留めない自分が、つい尋ねてしまったのはそのせいだった。
「先輩がね、私が別の事で悩んでるの知ってるから、落ち着いてからでいいって言ってくれたの。申し訳ないとは思ってるけど、私も時間が欲しくて。―返事の事、さっき2人で話してるときに聞いたの?」
「?あんただって聞いてただろ。ユールが『保留中』って言ったの」
「……」
自分の言葉にひどく驚いたリントは、口が薄っすら開いたまま固まってしまった。
普段優等生然としているのに、今日は表情がころころ変わる。
見ている分には面白いが、このまま呆けられても先に進まないので声をかけた。
「おい、」
「…ごめん。あれ、私の話だったんだね…ノエルがなんでこっち見たのか、今わかった」
自分がリントへ視線を向けた時、小首を傾げていた彼女。
こちらの意図が伝わってないなと思ってはいたが、話自体理解していなかったらしい。
勘違いしていたのが恥ずかしいのか、リントは抱えた膝に頭をぴたりとくっつけた。
サイドに垂らしていた髪が膝を抱え込んでいる腕にかかり、風でかすかに揺れる。
ふいに、リントが赴任してきたばかりの頃、ユールが彼女の髪に口づけていた光景を思い出した。
情景が、情欲を誘う。
自分の意思に反して身体が熱を灯そうとするのを感じ、ノエルは気力で無理矢理押しとどめた。
恋愛真っ只中の2人にあてられたのだろうが、今日はどうも自分の思考が望まぬ方向へと進みたがって、困る。
「けど、意外だったな」
「何が」
ひとり葛藤している間に、いつの間にかリントが膝に頭を預けたまま、顔だけをこちらに向けていた。
「ノエルってこういう話、興味ないと思ってた」
「無いな」
「じゃぁどうして」
「休みでもないのに朝まで愚痴に付き合わされんのなんて、一度で十分だ」
ノエルの言葉に一瞬目を丸くしたリントは、この日初めて声を出して笑った。
お読みいただき、ありがとうございます。
更新、かなり開いてしまい、すみません。