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41.小休止

「ねぇ、どうすればいいと思う?」


 訓練後、獣舎でヒポグリフをブラッシングしていたリントは、答えが返ってくるはずもない相手に問いかけていた。

 そもそも、どうすればの『どう』について何も話していないのだから、ヒポグリフが会話できたとしても、答えようがない。


 梳かれるのがよほど気持ち良いのか、目を細め微睡(まどろ)んでいる獣は、声を出すのも億劫なようで、リントの問いにしっぽをぱたりと動かしただけだった。


 怠惰と言う他ない仕草にリントの眉が下がったのは、呆れではなく愛おしさからだ。

 訓練中の凛々しい姿はもちろん格好いいが、気を許してくれているからこその態度というのは、自分の有用性を実感できて気持ちが満たされる。


 物心ついた頃からずっと『役に立つ』事を繰り返し教え込まれてきたリントにとって、それは嬉しいというよりも安堵を得られるものだった。

 それこそ、生きる許しを与えられているといっても過言ではないほどに。


「よし、出来た」


 丁寧に梳いた毛並みはいつも以上にふわりとした感触と艶を纏っている。

 一仕事終えた達成感に、リントは完全に眠ってしまったヒポグリフによりかかると、ほんのひと時目を閉じた。


 あれ以来、足りない頭なりに一生懸命考えた。

 そして、考えれば考えるほど、ユールへの想いが強くなっている自分に気づいただけだった。


 傍にいたい。離れたくない。あの愛情に満ちた視線は自分だけのものであって欲しい。

 そんな身勝手な想いばかりが溢れてきて、論理的に解決することを妨げている。


 断るなら早い方がいい。

 そんな事は重々承知しているのに、どうしても選ぶことのできなかったリントは、せっかく考える時間をもらったのだからと、少しだけ足掻いてみることにした。


 とは言っても、状況は芳しくない。

 出来ることは3つしか思いつかなく、そのどれもが確実な方法ではなかったからだ。


 ひとつめ。

 1度失敗しているので可能性は低いが、自力で思い出すこと。

 これはすぐ実行できるので、帰宅してからウェイトナーとの掛け合いを思い出しつつ自分なりに辿ってみたのだが、全く手ごたえが無かった。


 当時ですら覚えていない記憶を引き出すには、やはり薬の力が必要らしい。

 けれども、リントには入手する術がない。


 さすがにウェイトナーには頼めないし、いっそのこと自作すればいいじゃないかと安易に思い立って資料を探した結果、成分表を手に入れるのは現物を得る以上に難しいと早々に知った。

 特殊な薬というのは、作った本人や権利を買った商会、国の研究機関等が秘匿するのが常で、薬学書には載らないそうだ。


 それに、自白剤を使うとなると協力者が必須である。

 信頼が置けて、内容も把握しているのはユールしかいないが、反対されるとわかっているのに、相談できるはずもなく。

 結局しないよりはましかと思い、毎夜挑戦だけはしているものの、うなされる頻度が増しただけな気がしている。


 悪夢は相変わらずリントを蝕んでいた。

 はじめの頃は、目覚めた時に『怖い』という印象が漠然と残っていただけだったのが、最近は閉じ込められていたり、黒い影が見えたり、追われていたりと、夢の内容を覚えていることが多くなった。


 ただ、『怖い』という点では一致していても、中身はその時によって全く違う。

 毎回同じ夢ならば、過去の記憶に関連があるとも思えるのだが、情報が少なすぎて、どう解釈したらいいのか判断がつけられないでいた。


 当然ながら寝つきも悪くなっていて、このままだとそのうち仕事にも差し障るのではないかと、それだけは心配している。



 ふたつめは家族。

 リントが高熱を出したとき、目覚めたのは自分のベッドの上だった。

 もし先生の屋敷から移動したなら、両親や兄が知らないはずがない。

 少なくとも、当日リントが屋敷に行ったかの確認はできるはずで。


 ちょうど『帰りたい』と思っていたところだし、手土産もある。

 核心にはたどり着けなくても、きっかけくらいは掴めるかもしれないので、今度帰った時に聞いてみるつもりだ。



 そして、最後がノエル。

 可能性としては彼が一番期待できる。

 隣国出身の彼ならば、ウェイトナーが言っていた魔法を知っていると思ったからだ。


 本当は今すぐにでも相談したいのだが、そういう時に限って彼はリントの管轄内には現れなかった。

 前回、出産間近の牛が何頭かいると言っていたので、そちらにかかりきりなのかもしれない。


 驚いたことに、ノエルは獣医の資格を持っていた。

 通常『資格』と名の付くものは、専科の過程を修了しなければ受験資格が与えられない。

 ノエルの年齢と専科の卒業年齢があっていないのだから、リントが疑問に思うのも当然である。

 しかし素直に疑問を投げかけてみれば、そこには自分の知らない制度があっただけと言う、なんとも間抜けな話だった。


 優秀な人間が試験を受けて合格すれば、学年を飛ばして上のクラスへ進む制度が存在するのだそうだ。

 試験が難しいのもあるが、同級生と年齢が離れる不安や、奨学制度を受ける者にしたら難易度が上がって自分の首を絞めることにも繫がりかねないので、あまり使われていないと言っていた。


 リントの成績では、はなから無縁の制度だ。

 ただ、例え優秀だったとしても、魔力持ちが別途受ける授業は全部国持ちの上、魔導士庁に入庁すれば学費は全額免除。早期卒業の利点があるとはあまり言えないので、どちらにしろ知らなかったに違いない。


 ノエルは養父に引き取られた際に試験を受け、なんと4年も飛ばしていた。

 魔力値から見るに元々良家の出だろうから、受けていた教育水準が違うのだろう。

 あと1年実習を受けたら魔獣医の資格試験も受けれる、養父の跡を継げる、と言ったノエルは、表情は平静を装っていたが、瞳は将来の期待に満ち満ちていた。


 彼がここで別人として暮らすことになった経緯をリントは知らない。

 それでも、自分には想像もつかないほどの何かが彼を襲った結果だというくらいは分かる。


 魔獣医の道は、救ってくれた養父への恩返しだろう。

 でも、きっとそれだけじゃない。

 彼自身、今の仕事が好きなのだ。


 だって、ノエルが動物に接している時の目はすごく優しい。

 まるでユールが自分にくれる視線と同じくらい…。


『リント』


 ぽん、とユールの笑顔が自分を呼ぶ甘い声と共に脳内で再生され、リントは慌てて目を開けた。

 邪念をはらうように首を振る。

 真面目に考えていたはずなのに、なんでこんな時まで出てくるのか。


 そもそも、本人には今朝会ったばかりである。

 恋しくなるにしたって早すぎる。


『リーンゴーン…』

「え、もうこんな時間」


 ヒポグリフのふわふわの毛と体温に包まれたまま、リントは顔を上げた。

 隊員達の中には魔獣の匂いが苦手という人もいるが、リントは全く気にならない。

 むしろ祖母の家へ行った時のような、古いけど懐かしく、安心できるような印象すらある。

 笑われそうなので、誰にも言ったことは無いが。


 眠る獣を起こさないよう静かに立ったリントは、つかの間の安らぎを与えてくれた感謝を込めてひと撫でした。


 ノエルに無理を押して会いにいっても迷惑をかけるだけだし、彼も他の人間に自分達の繋がりを知られたくないだろう。

 余計な事をして、魔法を教えてもらえなくなったらそれこそ困る。

 リントは逸る気持ちを抑え、やはり次の授業まで待とうと決めた。


「お休み」


 少しばかり軽くなった気持ちをそのまま足取りに変え、リントは仕事へと戻っていった。


・・・・・・


「そういえば、ノエルの授業2日後だよね」


 午後の休憩時間、いつものように2人でお茶とお菓子を味わっている最中にユールが突然口にした話題は、思いもよらぬものだった。

 嫌な予感がしたリントは、ユール相手に無駄だとわかりつつも、つい身構えてしまう。


「そうですけど、何かありました?」

「俺も行っていい?」

「えっ」


 授業が楽しみなのはもちろん、やっとノエルに相談できると昨日から期待していただけに、ユールの言葉はリントを落ち込ませるには十分だった。

 つい漏れたリントの否定的な声に、彼は取り繕うように慌てて言葉を続ける。


「行くっていってもすぐ帰るから。仕事もあるし、ノエルと少し話をするだけ。…練習してる所を見られるのは緊張するよね?」


 こちらの出方を窺うように付け加えられた言葉に、本当は見たいのかもしれないと思いながらも、リントはありがたく便乗した。


「そうですね。まだお見せできる状態でもないですし。あ、でもこれなら」


 昔覚えたものなら失敗もないだろうと、リントは集中力を高め、指先をユールへと向けた。

 淡い緑に色付いた魔力が彼の元へ届き、足元からゆっくりと包み込んでいく。


「!浮いた」

「少しですけど」


 失敗して落ちても痛くないよう、床からの距離は30cmも上げてない。


「気持ち悪いとかないですか?」

「へーき」

「それならよかったです」


 最初に自分で試したときは、慣れない浮遊感がめまいに近い感じでどうも好きになれなかったのだが、ユールは大丈夫らしい。

 自分を取り囲むリントの魔法を見つめる彼の目は、子供のように輝いている。


 楽しんでもらえたなら披露した甲斐があったと1人悦に入っていると、確かめるように手足を動かしていたユールが唐突に口を開いた。


「不思議だね」

「何がですか?」

「転移の時と違って、魔力に直接触れてるせいかな。あったかくて優しい感じが流れてくるんだ。リントに抱きしめられてるみたい」

「だっ…!」


 思いもよらない台詞を吐かれ、リントは硬直した。

 同時に集中も途切れ、ユールを包んでいた魔力も霧散する。


「あれ、もう終わり?」


 こつん、とユールの靴が石造りの床に触れる音が響く。


「先輩が変な事言うからですよ!」

「素直な感想を言っただけなのに」


 ユールは名残惜しそうに手元を見つめていたが、あんな事を言われた後に、『もう一度かけましょうか』とは絶対に言えない。


 何となくにやついて見える顔に、不条理さを感じてしまったリントは少しばかり本音を口にした。


「…最近の先輩、なんだか意地悪です」

「リントの反応が可愛いから、つい。ごめんね」


 絶対悪いと思っていない。

 それがわかるのに、今日何度目かの『可愛い』にいつまで経っても慣れない自分を恨めしく思う。


「…ちょっと言ってみただけで、別に気にしてるわけじゃないですから」


 迷った挙句口から出た言葉は、かなり言い訳がましく、可愛気のないものとなってしまった。


 ユールは一瞬困ったような表情を浮かべたものの、リントの言葉に言及することなく魔法の話に戻っていく。


「ちなみに、さっきので飛べたりする?」

「飛べるというか、移動はできます。ただ、対象が大きいとそれだけ負荷がかかるので、ゆっくり歩いた時より遅いですね。高度も失敗したら生命(いのち)に関わるので、1mくらいまでしか試したことがないです」

「そっか」


 期待していたのだろう。

 少し寂し気な声が返ってきて、なんだか申し訳ない気分になる。


「あの、この魔法は『浮かせる』事が目的なので。『飛ぶ』魔法で私が使える術もあるかもしれませんから、今度ノエルに聞いてみますね」

「ノエル?」

「はい」

「……」


 急にユールの顔がおもしろくないと言わんばかりの顔に変わった。

 彼の表情の変化についていけてないリントの頭は疑問符だらけだ。


「…え、だって聞く相手なんて他にいないですよね?」

「そうじゃなくて。なんで呼び捨て?」

「それは、堅苦しいのは嫌いだって言われて」

「…そう」


 教えてもらっている相手に対して礼がなっていないと思われただろうか。

 口元に手を当て、眉根を寄せるユールの姿を見たリントは、彼の胸の内を想像する。


「俺の時は拒否したのに…」


 せめてユールの前では『さん』付けすればよかったと反省しているリントは、彼の呟きに気づけず、まさかそんな個人的な理由で機嫌を損ねたとは思ってもいなかった。


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