2.友達
「よかったじゃない」
「うん、まぁ…」
煮え切らない態度に、友人の眉がほんの少し寄った。
「なにが不満なわけ?」
「不満というか、毎日あれに付き合うのかと思うとちょっと…」
初日にしてすでに先輩を『あれ』呼ばわりなのは許してほしい。
人には相性がある。
そして、リントにとって、彼は確実に合わないタイプだ。
苦手と言ってもいいくらいである。
「私はエスコートしてくれる人、嬉しいけどなぁ。優しくて、気遣いもできて、年齢も近いなんて、完璧な優良物件じゃない。『魔導士』の時点で生活の心配もないし。リントが興味ないなら、私に紹介してよ。顔は?私の好み?」
いつの間にか恋愛対象としての話にすり替わっている。
リントはそっとため息をついた。
友人のリリーは、大きな商会で秘書の仕事をしている。
いわゆる美人秘書というやつだ。
艶やかなブロンドに深青の瞳。メリハリの効いたスタイルと、とても恵まれた容姿をしているのだが、本人は背が低いのを気にしていて、リントが履いたら確実に転ぶであろう高さのヒールを愛用している。
専科へ進んだリントと違い、高等科卒業後に働き出したリリーは、社会人としては2年先輩だ。
会うたびに仕事の愚痴が増えていたのだが、今回からはリントも仲間入りである。
形ばかりの乾杯をした後、リントが今日の事をかいつまんで話し終えたところだった。
「そつがなさ過ぎて、かえって信用できない。それに、職場恋愛はぜったいに嫌。顔はリリーの好みだろうけど、プライベートの話はしたくないから紹介は勘弁して」
恋が破綻した上に職場まで失ったら目も当てられない。
公私はなるべく分けたいとリントは考えていた。
『なんだ、残念』と、大して残念とも思っていない表情でリリーが答え、すぐ別の話題へと移る。
あの後ユールは庁舎内を案内してくれたのだが、彼の対人スキルはさすがとしか言いようがなかった。
庁舎内とはいえ、人とすれ違う度に親しげに話し、目上の人にもそつがなく、会話の中ではさらりと褒め言葉を添える。
リントに対しても、緊張をほぐすかのように色々な話題を振ってくれ、ちょうどよいところで休憩をはさんでくれた。
おかげで挨拶回りは滞りなく済ませられたと思う。
ただ、彼の親しいであろう同僚達への紹介が『後輩のリント!』だったのは参った。
確実に名前呼びされる人間が増えてしまう。別に構わないのだが、気恥ずかしさは拭えない。
最初のうちはフルネームで挨拶を返していたリントも、休憩時間に2人のまわりが軽い人だかりとなった時点で色々諦めた。
会話はユールがほとんど引き受けてくれていたので、リントはその隣で笑顔がひきつらないようにだけ、頑張っていた。
「お待たせいたしました―」
よく通る声に意識を手元に戻す。
小柄な女の子が注文した料理をテーブルに並べていた。
専任の給仕がつくような気取ったお店ではないが、女性向けのセットメニューを選んだからか、料理の飾り付けがとてもかわいい。
大きなお盆に小皿がぐるりと配置され、凝った器の中には色とりどりの食材が少量ずつ盛られていた。
中央のフルーツの飾り切りは、食べるのがもったいないほど美しい。
「いただきまーす」
そう思っていたところで、リリーが容赦なくフォークで突き刺した。
性格も行動も本当に潔い。
行き過ぎて言動がきつくなることもあるが、リントはそのさっぱりした性格が好きだった。
可憐な唇に似合わぬ速さで食材が消えていく。
見慣れた光景に安堵して、リントもフォークを手に取った。
「そういえば、結局都内に引っ越したの?」
「うん。さすがに社会人になってまで『通い』もどうかと思って」
リントたちの故郷は、首都から100㎞ほど離れた港町である。
本当は専科に入ったときに引っ越すつもりだったが、兄に大反対されて、『通い』で通学していたのだ。
『通い』は魔導士科だけの特権だ。
ようするに、転移魔法である。
家から学舎へ直接行けるなら楽だっただろうが、転移の魔法陣は国の管理下にあるので、毎朝歩いて40分かかる区役所まで行かなければならなかった。
生活費のことを盾にされて仕方なく同意したのだが、朝は早く起きなければいけないし、せっかく都会にいるのに気軽に遊びにも行けず、なかなかにつらい思い出だったりする。
「よく許してくれたね、お兄さん」
「学生の時と違って、自分で払うから強く言えなかったみたい。借りる家は色々条件出されたし、定期連絡も必ず入れるっていう約束付きだけど」
「過保護は相変わらずなのね…」
リリーの瞳に同情の色が濃く映る。
年の離れたリントの兄が過保護なのは、友達の間では有名だった。
学生時代に却下された一人暮らしも、費用は建前で、本当は女の一人暮らしが心配なだけだったらしい。
しばらく兄と口を聞かなかったら、見かねた母がそっと教えてくれた。
ただ、兄がいつからこんなに過保護になったのかが、リントにはどうしても思い出せなかった。
幼い頃のリントの記憶の中では、兄は後をついていきたがるリントを置いてさっさと遊びに行ってしまうような人だったからだ。
思春期になると、あまりの煩わしさに何度か理由を聞いたこともあるのだが、『兄が妹の心配をするのは当たり前だ!』の一点張りで、結局わからず仕舞いだった。
「兄さんの話はおしまい。それよりリリーは?何かないの?」
「ん―。特にこれといって…あ、最近会長のところに来るお客さんですごくかっこいい人がいて―」
見た目もさることながら、来るたびに流行りのお菓子を持ってきてくれるらしい。
女性に対する気遣いが半端なくて、彼が来た日は受付の子たちが上機嫌になるそうだ。
ぽんっ、とユールの姿が頭に浮かんだ。
都市に住む男性はそんな人ばかりなのだろうか。
疑問をそのままリリーに問いかけたら、『資産家のご子息とかだと思う』と言われた。
隣国が王政なので、財閥や高官の家などは、小さいころから貴族対応を学んでいる人が多いらしい。
ユールもそういったところの出自なのかもしれない。
気さくな先輩が、いきなり遠くに感じられた。
そこまで考えて、ふと気づく。
ただの先輩に、遠いも近いもないではないか。
たとえ、ユールの実家が名家であったとしても、自分には関係のないことだ。
思考がおかしな方向へ行ってしまったのは、リリーの話を聞いていたせいに違いない。
余計な考えをふりきるように、リントは目の前の料理に集中した。
そのあとは、食べて、飲んで、とりとめのない話をたくさんした。
初日の気疲れは、リントが思っていたよりも重かったらしい。
明日も仕事なので早めの解散となったが、久しぶりの友人との会話は、そんなリントの気持ちを、とても軽くしてくれたのだった。