17.魔法板の製作者
ユール目線です。
「いらっしゃいませ」
商会の扉をくぐると、受付の女性たちが華やかな笑顔で迎えてくれた。
今日のユールは定番の濃紺スーツできっちり決めている。
無地のシンプルなスーツは、どこへ行くにしても通りがよい。
あまり目立ちたくないので、同系のネクタイと薄青のシャツで落ち着いた印象にした。
個人的に、胸のバルカポケットがお気に入りである。
いつもはしない、つやなしの銀縁眼鏡が理知的な雰囲気を作り上げていた。
ユールは、にこやかな笑みで待つ受付嬢に、営業用の笑みを張り付けて相対する。
「会長とお約束しておりますアルファンと申します。お取次ぎ願えますか」
「伺っております。ご案内いたします」
「ありがとう」
2人のうち、背の低い方の女性がカウンターを出て、ユールを客間まで案内する。
いつものように一番奥の角部屋だ。
ここへ来るとき、ユールはいつも偽名を使っていた。
『ナファル』の名は、都内では目立ちすぎる。
部屋に入ったところで、席を勧める女性に手にしていた紙袋を手渡した。
「よろしければ、皆さんでどうぞ」
「いつもありがとうございます」
笑顔を返事の代わりにする。
甘えるような視線には気がつかないふりをした。
友人の商会で面倒は起こしたくない。
ああいう女は、プライドが高くて厄介だ。
『一度だけだから』と懇願され関係を持ったが最後、まるで自分のものになったかのような振る舞いをし出す。
最初から割り切った関係と念を押すのに、どうして『自分だけは特別になれる』と思うのだろう。
どうでもいい人間の顔はさっぱり消し去り、出されたお茶を飲みながら、ユールはリントに思いを馳せた。
今日はノエルとの約束の日だ。
自分がいると、出かけるにも気を遣うだろうと思って休みを取った。
誤魔化すことに慣れていないリントにとって、言い訳を考えるのは苦痛な作業だろう。
腕輪の時も、心苦しいと顔に書いてあるかのようだった。
仕事については何も問題ないとは思うが、それでも1日中1人というのは初めてなので、心細く思っているかもしれない。
ほどなくしてノックが響き、返事をすると扉が開かれる。
悠然と入ってきたのは旧友であるここの商会長だ。
神経質な性格が体格にも表れており、細身で灰色の三つ揃えが様になっていた。
最近髭を蓄えだしたので、商会長の威厳も加わったかもしれない。
「久しぶり。相変わらず忙しそうだね」
「ありがたいことにな。で、今日は?」
「ちょっとお願いがあって」
脇に置いてあった袋を掲げる。
中身は友人の好きな銘柄のワインだ。
先ほどの受付嬢の月収くらいなら軽く超える。
面倒な頼みごとの際は必ず持参していた。
紙袋の刻印で中身を理解した彼は、あからさまに眉根を寄せる。
「そんなことだろうとは思ったけどな。今度はなんだ?」
「前に作ってもらった魔法板、同じものが欲しい。材料はこっちで用意するから」
「誰が使う?」
「俺の後輩」
「名前は?」
「リント。…ロスティア・リント」
躊躇いながらも、ユールはリントの名を口にした。
「ロスティア?…そうか。入庁したのか」
旧友は、座っていたソファに深く身を預けた。
「…まだ恨んでる?」
「いや、昔の事だ。それに、あれはただのくだらない子供の嫉妬だよ」
自嘲の笑みを浮かべた目の前の旧友は、名前をウェイトナー・イーデンという。
年齢は自分よりも3つ上だが、基礎科時代に図書館で魔法陣を書いているのを見かけて、ユールが声をかけたのだ。
イーデンは魔力持ちではなかったが、魔法陣を作り出す才に長けていた。
2人で思いつくままに意見を出し合い、それを基にイーデンが作り、ユールが試すという役割分担だった。
調子に乗りすぎて、庭の花壇に大穴を開けたり、家の外壁を破壊してしまい、怒られたこともある。
以来、実験する際は必ず結界を張るようになった。
友人から親友へと変わり、深い話をするようになってから知ったのは、彼の父と祖父がリントの魔法の師という事だった。
「頼めるかな?無理にとは言わないけど」
「構わないさ。期間は?」
「できるだけ早く」
即座に答えたユールに、イーデンは渋い顔をした。
「暇な学生時代とは違うんだが…」
「もちろんわかってる。俺ができるところは自分でやるよ」
真剣に言うユールを、イーデンは笑い飛ばした。
「それは遠慮させてくれ。貴重な魔石板を無駄にしたくない。どちらにしろ、使用者の名前を変えるなら、文字の組み合わせも考え直さないといけないしな」
ほっとしてユールも笑顔になる。
言ってはみたものの、彼の作る魔法陣は複雑すぎて、自分では彫り間違えるのが目に見えていた。
「ひと月くれ。何とかする」
「ありがとう。恩に着るよ」
「問題ない。貸しが増えるのはいい事だ」
商売人らしい言葉に、ユールは『重い借りになりそうだ』と笑った。
忙しい人間にこれ以上時間を取らせるのも申し訳ないので、話が終わったユールは早々に立ち上がる。
「落ち着いたらまた一緒に酒でも飲もう」
「そうだな。ああ、そうだ。できれば一度彼女に会わせて欲しいんだが」
「彼女に?」
訝しがるユールに、イーデンは苦笑した。
「心配するな。ただ、少し昔話がしたいだけだ」
ユールを安心させるように、イーデンは優しい声音で言った。
「わかった。魔法板が完成した時でいい?」
一瞬躊躇したものの、ユールは話を受ける。
「ああ」
「じゃぁその時に一席設けるよ」
「頼む」
・・・・・・
『見送る』といったが、『ここでいい』と言うユールと部屋の前で別れたイーデンは、給仕の女性に後片付けを頼み、会長室へと戻った。
扉を閉めて、そのままもたれかかる。
下を向き、口元を手で押さえていたが、とうとう堪えきれなくなって笑い出した。
「っ、くくっ、はははっ」
なんとも昏い笑い声だけが部屋に響く。
イーデンの顔は、獲物を見つけた獣の如く歓びに歪んでいた。