15.美味しい回復薬の作り方
ノエルと会った翌朝、瞼の裏に光を感じてゆっくりと目を開けたリントを待っていたのは、ひどい顔をした自分と重い頭痛だった。
髪は寝癖がひどいし、化粧も落とさず寝てしまったので、ぺたぺたして気持ちが悪い。
とにかくシャワーを浴びて、ぼんやりしている頭をなんとか起こす。
石鹸を手で軽く泡立て、肌の上を滑らせていくと、腕輪が目に入り、外れていないことに安堵した。
泡を流して、タオルで水気を取っていく。
ふわふわとそれぞれが勝手な方向を向いていた髪は、ようやく真っ直ぐ下へと流れてくれた。
鏡の前に立って、改めて自分の顔を確認する。
「これ、お化粧で隠せるかな…」
昨夜落として寝なかったせいだと思うが、肌が少し荒れている。
一番気になったのは目の下の隈だった。
時間を確認して、出るまでの準備を逆算する。
いつも朝食はしっかり採る派のリントだが、果物だけにすれば多少のお手入れの時間は確保できそうだった。
完全に抜かないのは、昔、散々リリーに注意されたからだ。
規則正しい生活とごはんは、美容の基本らしい。
ペティナイフを取り出し、オレンジをくるくると剥いていく。
手ごろな大きさに切り分けて、そのまま口へと放り込んだ。
皮は捨てずに取っておく。
帰ってきたら、砂糖漬けにするつもりだ。
ちょっとした時につまめるし、お菓子に入れても美味しい。
タオルをお湯で濡らし、ぎゅっと絞る。
そのまま顔にあて、しばらくごろんとベットに横になった。
じんわりと染みるあたたかな感覚に頭痛もすこし和らいだ気がする。
3日、いやもう2日後か。
どうしたらノエルから魔法を教えてもらえるのか、リントは考えていた。
何か、彼に益のある提案ができればいいのだが、それが思いつかない。
本人について、羊飼いという以外何も知らないのだ。
当然と言えば当然だった。
「いっそのこと、本人に聞いてみるとか…?」
タオルを外しながらつい独り言が出てしまった。
先ほどとは違い、丁寧に石鹸を泡立て、顔に乗せる。
ぬるま湯で洗い流すと、今度は蛇口をひねり、水でばしゃばしゃと顔を冷やした。
本当は氷があればいいのだけれど、残念ながら今この家にはない。
今ある冷蔵庫は冷凍機能がないものだった。
まだ使えるからと、家にあった中古を持たされたのだ。
1人暮らしだし、冷凍まで必要ないかと思っていたのだが、やっぱりあった方が何かと便利だ。
最初のお給料は、仕送りと冷凍冷蔵庫に消えるかもしれない。
まだ入ってもいない給料の使い道を考えながら、最後にハーブの蒸留水をいつもよりたっぷりとつけ、下準備を終えた。
あとは、いつも通りの手順で化粧をしていく。
気になっていた目の下だけ、橙色を加えてからおしろいを重ねた。
ちなみに、先ほどのお手入れはリリー仕込みだ。
毎回『最新の』と言って色々教えてくれるのだが、以前は冷水で洗えと言っていたのに、今はぬるま湯だったり、教えてくれるたびに方法や順番が変わるので、効果のほどは定かではない。
やらないよりはましだと思って実践している。
「行ってきまーす」
誰もいないのはわかっていても、言わずにいられないのは実家で暮らしていた時のくせだ。
リントは扉を閉め、鍵をかけた。
・・・・・・
「おはようございます」
登庁する人々に声をかけつつ部屋へと向かう。
ユールは既に適当な机に座って書類作業をしていた。
「ユール先輩、おはようございます」
「おはよう、リント」
リントの声に顔を上げた彼は、ほんの一瞬だが眉根を寄せた。
「今日なんだけど、『壁』の作業午後からでもいいかな?」
「構いませんけど、何かありました?」
緊急の予定が入ったのかと不安になったが、そうではないらしい。
「材料もそろったし、回復薬を作ろうと思って」
「!私もご一緒していいですか!?」
「もちろんそのつもりだよ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに笑うリントを、ユールは優しく見つめていた。
回復薬を作るべく、リントとユールは研究棟へ向かう。
専門の研究をしている研究員や魔導士にはそれぞれ個別の研究室が与えられているそうだが、それとは別に共用で使用している広い研究室があるのだ。
研究棟へと到着したユールは階段を降り始めた。
そのまま研究室へ向かうと思いきや、通り過ぎて庭へと続く扉を開ける。
「どこへ行くんですか?」
「必要な材料を取りに」
にっこり笑うユールの後を大人しくついていくと、薬草畑に到着した。
「専科で習った時は乾燥した薬草を使用したと思うんだけど、ものによっては新鮮な状態で使った方が効果が高いものもあるんだ」
そう言って、ユールはいくつかの薬草を摘み始めた。
「ここの管理はどなたがされているんですか?」
「研究員が持ち回りで。彼らが一番使うからね。この区画は俺たちが回復薬に使える分。向こうにある薬草は許可をもらわないとダメ。研究室にある乾燥したものはどれでも自由に使って構わないよ」
在庫管理も研究員がしているそうで、補充もしてくれるそうだ。
摘んだ薬草を持って、今度は別の扉から入る。
二重扉をくぐった先は研究室だった。
研究員が出入りしやすいように直通の扉を作ったらしい。
服が汚れない様に支給されている長衣を上からかぶる。
素材は違うが、ローブと同じ濃藍だった。
魔導士庁の基本色なのだろうか。
ユールが器具や薬草の場所を教えてくれ、リントは確認しつつ、必要なものを机の上に並べていく。
「さて、回復薬だけど、入れる薬草によって効能が変わることは知ってるよね?」
「はい」
回復薬は大きく分けて3つある。
外傷・体力・魔力回復だ。
一般に売られている基本的な調合と作成方法は専科の授業で習得済みだった。
「この前リントに渡したのは体力と魔力回復の混合薬。今日作るのもこれ。単独の物より効果は落ちるけど、『壁』の補充をするには十分だから」
リントは時々相槌を打ちながら、真剣にユールの話を聞いている。
「これが成分表ね。基本の薬草の他、5種類加えてある。あと、甘い味の秘密だけど…」
『わかる?』とユールが取り出してきたのは、草というより根のように見えた。
「初めて見ます」
「リコリスの根だよ。医薬品ではそれなりに使われてる薬草だね。ちょっと効果が強めだから、量はちゃんと守って」
『ちょっとなめてみる?』と、すでに粉末状にされたものをほんのわずかだけ掌に乗せられる。
口に含むと、とても甘い。
ほわりと勝手に口が緩んだ。
「ハーブティーやお菓子に入れる人もいるらしいよ。ただ、さっきも言ったけど、摂取のし過ぎは良くないから気を付けて」
「はい」
「じゃぁ、始めようか」
摘んだばかりの薬草をすり潰す作業は増えたが、他は習った通りの手順だった。
増えた5種類の中に、オレンジの皮を乾燥したものが入っていたのを見つけ、香りづけかと思ったら、ちゃんと疲労回復の意味があるのだそうだ。
家に残してきた皮の半分は、実験用にしようと決めた。
よく混ぜ合わせた後、魔力を込める。
色が変われば原液の出来上がりだ。
これを蒸留水で一定の割合に薄めて使用する。
「できました」
ユールがひとさじ掬って試飲する。
「うん、問題ないね。上手にできてる」
量り間違いでもない限り失敗はしないが、久しぶりの作業だったので、リントは無事にできあがったことにほっとしていた。
「はい」
「?」
「味見。リントも」
口元にスプーンを差し出される。
受け取ろうと手を伸ばしたら、避けられた。
「いいから、口開けて」
戸惑うリントの唇にぴたっとスプーンをくっつける。
「ほら、早く。こぼれる」
せかす声に薄く口を開く。
流れ込んできた回復薬は、以前飲んだものと同じ甘さだった。
こくん、と飲み込むと、ほわっと体が温かくなる。
「ちょっとは元気になった?」
その言葉に、リントは気づかれていたのだと理解した。
わざわざ『壁』に行く前に回復薬を作ったのも、自分の為だろう。
「私、そんなにわかりやすかったですか」
「そんなことないよ。でも、あまり眠れなかったのかなって」
ユールはリントの頬に手を添えると、親指の腹でそっと目の下をなぞった。
ひどく心配そうにリントを見つめている。
「大丈夫です。睡眠はしっかりとってます。少し慣れてきて気が抜けたせいかもしれません」
魔力の使い過ぎとは言えず、あいまいに笑った。
ユールに触れられると、どうしても意識してしまう。
彼の手から逃れたくて、リントは露骨にならないように気を付けつつ、一歩下がって距離をとった。
「これ、全部瓶に入れればいいですか?」
「あ、ああ。お願い」
目を合わせないように、無心に専用の小瓶に液体を注いでいく。
ユールがひどく傷ついた顔をしたことに、リントが気づくことはなかった。
出来上がった回復薬は全部で3本。
蓋をして、封をする。
作り終える頃には、器具はユールの手によってすっかり片付けられていた。
「これはどこに置けばいいですか」
「リントが使って」
3本の薬瓶を指さして聞くと、当然のようにユールが言った。
リントもそんな予感はしていたので、そのうちの1本を手に取り、ユールに差し出す。
「よかったら使ってください。この間お借りしたので」
「ありがとう」
ユールは大事そうに鞄にしまった。
「そういえば、お昼どうする?たまにはこっちで食べる?」
「そうですね。それもいいですね」
いつもは午前中からヤトル区へ行くので、隊の食堂で食べている。
たまには違うところへ行くのもいいかもしれない。
「せっかくだから、外に出ようか。希望はある?」
そう言って、ユールは庁舎からそう離れていないお店をいくつかあげてくれた。
料理を想像する中で、ふと引っ掛かりを覚える。
回復薬を試飲した時、自分が使う前にユールが同じスプーンを使って飲んでいなかっただろうか。
意味を理解したとたん、一気に顔に熱が集まるのが分かった。
「リント顔赤くない?さっきの薬効きすぎた?」
「何でもないです!先輩のお勧めでお願いします!」
あまりの恥ずかしさに、『カバン取ってきますね』とユールを置いて先に研究室を出る。
残されたユールは、突然のリントの行動の理由が思い当らず、首をひねるばかりだった。