12.魔羊と羊飼い
討伐に参加した日から、1週間が経った。
歓迎会の翌日、新人はお休みというのが通例だそうで、リントも多分に漏れず休ませてもらった。
初仕事にしては随分濃い1日だったので、身体を休められたのはありがたかった。
休み明けの3日目から本格的に指導が始まった。
基本の『壁』への充填を中心に、余った時間で資料作りや仕事に必要な知識の習得に努める。
ユールの言葉通りペガサスに乗っての移動になったので、『壁』の仕事は各段に早くなった。
回復薬がなければ確実に筋肉痛になっていたであろうリントとしては、大変ありがたい。
4日目からは壁の補修も並行して見るようになり、5日目には1人でも大丈夫とユールからお墨付きをもらった。
お休みを1日挟んで、今日からは『壁』の作業は完全に1人となり、本業に関しては順調そのものだ。
順調すぎて、頭の隅に追いやっていた討伐の事をつい考えてしまうくらいには。
この1週間の間に魔鳥の襲来が2度あったが、リントは同行させてもらえなかった。
てっきり参加するものだと思っていたのだが、ユールは約束通り2週間は魔導士の仕事に専念させるらしい。
一緒に行っても足手まといにしかならないのは自覚しているので、自分から一緒に行きたいとはさすがに言えなかった。
自嘲しながら魔力を壁へ込めていると、後ろからくんっ、と服を引っ張られる。
「んー、もうすぐ終わるから、ちょっと待ってね」
軍部で飼われているペガサスはとても人懐っこくて、かわいい。
元々馬よりも知能は高いので、意思疎通はとても楽だ。
今も、そろそろ休憩の時間なので教えてくれているのだろう。
自分のおやつの催促も兼ねている辺りは抜け目がないと思う。
そういえば、ヒポグリフもすごく大人しかったな、と思い出す。
あの柔らかな毛触りは、なかなか癖になる代物だった。
ヒポグリフに乗る訓練は決定事項なので、次に会えるのを密かな楽しみにしている。
いつものおねだりに振り返らずに返事を返したリントだったが、普段は1回で終わるそれが、なぜか何度もぐいぐいと引っ張られる。
おかしいと思って振り返ったリントの目に入ったのは、艶やかな白毛ではなく、真っ黒なもこもこの塊だった。
唖然としていると、黒いもこもこは、リントが腰に巻いていたポーチに必死に口を突っ込もうとしている。
「ちょ、ちょっとまって、その薬草はダメ!」
ポーチの中には仕事途中に見つけて摘んだ薬草が入っていた。
回復薬の原料である。
別に頼まれたわけではないのだが、栽培したものより自生している薬草の方が効能が高いとユールが言っていたので、見つけた時は持ち帰っていた。
慌てて距離を取ろうとしたが、向こうも必死なのか、なかなか離れてくれない。
じりじりと追いやられ、壁から身動きが取れなくなってしまったところで、ぶっきらぼうな声がした。
「カバンの中身、全部出せ」
「え?」
「中身、薬草だろ?そいつらの好物なんだ。なるべく遠くに放ればいい」
もこもこの先に見えたのは、口調も態度も見るからに生意気そうな少年だった。
リントと同じくらいの背丈だろうか。赤みのある短髪が目を引いた。
「さっさとしないと、押しつぶされるぞ」
もったいないとは思ったが、背に腹は代えられない。
ポーチから薬草を取り出すと、言われた通り力いっぱい放り投げた。
宙を舞う草を見つめるもこもこ軍団は、流れるように方向を変え、後を追っていく。
しつこくポーチに食い下がっていた子も、ひっくり返して中身が無いのを見せてあげると、ようやく諦めてくれた。
一息ついて、御礼を言おうと少年に向き直ったリントだったが、先に口を開いたのは彼の方だった。
「薬草ってのは茎の途中で切ると、匂いが増すんだよ。根から抜くか、専用の箱に入れないと魔羊が寄ってくるだろうが」
あの黒いもこもこは魔羊だったのか。
おかげで謎が一つ解けた。
装いからして、彼は多分羊飼いなのだろう。放牧に来ていた邪魔をしてしまったようだ。
「すみません、知識不足で。助けていただいてありがとうございました。私、魔導士庁のロスティア・リントと申します」
全面的にこちらが悪いので、リントは素直に謝り、先に名乗った。
「知ってる。ユールの女だろ」
「え?」
「お前、この間の討伐でユールと一緒に乗ってた奴だろ?女の魔導士が来たってこの辺りじゃすっかり有名人だ」
知らなかった。
リントは、まだ町へ出かけた事がない。
小さな町なので、よそ者1人で歩かないほうがいい、そのうち一緒に行こうとユールに言われていたからだ。
注目されるのは仕方ないとして、とりあえず聞き捨てならない誤解だけは解いておこうとリントは口を開いた。
「魔導士なのは間違いありませんが、ナファルさんは仕事の先輩で、個人的な関係はありません。先日は討伐に参加するのが初めてだったので、一緒に乗せていただいただけです」
「けど、ユールが…あ―悪い、忘れて」
赤毛の少年は、手で何かを払うような仕草をすると、ばつの悪そうな顔をした。
続きが少し気になったが、初めて会う相手に問うのもためらわれた。
「いえ、こちらこそお仕事の邪魔をしてすみませんでした。以後気を付けますので」
「そうして。あ、俺ノエル。羊飼いしてる。ユールとは、まぁ飲み仲間だな」
「先輩のお友達…」
「友達ってほどじゃねぇよ。地元の奴らと飲む時に居合わせる程度」
社交的なユールらしい。仕事先でも円滑な人間関係を築いているようだ。
「なぁ、あんたもユールみたいなのできんの?」
ノエルが突然話を変えてきた。
討伐の際の魔法の事だろう。
「いえ、私はできないです」
「だよな。やっぱりあれ、特殊な技のか」
「そうですね。少なくとも、私は初めてみました」
自分も加わることになるかもしれないとは言えない。
今できないのは事実だし、外部の人間に勝手な判断で話すこともできない。
ノエルはうんうんと1人納得しているようなので、これ以上話が広がる前に話を切ろうと今度はリントから話題を振った。
「あの、さっきの子達が魔羊なんですよね?羊って白いイメージだったので、真っ黒でびっくりしました」
「それ、よく言われる。魔力のある獣は、なぜか濃い色が多いんだよな。魔牛も魔豚も黒だし、この間の雷鳥もほとんど黒に近い焦茶だったろ?あ、けどペガサスは白だな。あれ?じゃぁ一概にそうも言えないのか?」
リントの横に並んで大人しく待機していたペガサスを見て、ノエルが唸った。
魔物を飼育するようになってから魔物を見る獣医も、研究者もかなり増えたが、まだまだ解明されていないことはたくさんあるようだ。
答えの出ない問いを悩みだしたノエルになんて声をかけようかと迷っていると、辺りが急に翳った。
雨でも降るのだろうかと見上げた空に浮かんでいたのは、雲ではなく、大きな鳥だった。
腕を組んで、うつむき加減で悩んでいるノエルはまだ気がついていない。
「ノエルさん、あれ、すごく大きな鳥ですけど、なんていう名前ですか?」
「ん?」
ノエルが下を向いていた頭をそのまま上空に向けると、一瞬で表情が強張った。
「―魔鳥だ」
「まさか」
軍部が見落とすなどありえない。
魔鳥がなぜ壁の内側にいるのかわからなかったが、今はとにかく連絡しなくては。
ペガサスに乗ろうとするリントをノエルが押しとどめ、無理やり木陰に押し込んだ。
「隠れてろ。見つかったらまずい」
「でも、軍に連絡を」
「今から行って間に合うわけないだろ」
まずいと言いながら、言った本人が魔鳥へと駆けていくので、リントは驚いた。
「なにしてるんですか!危ないですよ!!」
「うるさい!殺らなきゃ羊が食われちまうだろうが!!」
2人の声に気がついたのだろう。
首をぐるんと回した魔鳥が、ノエルを視界に捉え、そのまま急下降してきた。
ノエルはというと、何もせずその場に突っ立っている。
このままでは羊の前にノエルが危ない。
『ロスティアさんは、どうして魔導士を目指したのかしら』
不意に、隊長の言葉を思い出した。
「私は、私に出来ることを…!」
リントは両手を前に突き出し、祈りを込める。
ノエルの眼前に鮮緑透明な結界が広がるのと、魔鳥が切り刻まれたのとは、ほぼ同時だった。