9.先輩の謝罪
先に部屋へ戻ったリントは、腕にかけていたローブを丁寧にたたみ直していた。
貴賓室に案内された際に、ローブは給仕が預かってくれていたので、部屋を退出する際にはブラシが掛けられ、とてもきれいな状態で返ってきた。
艶やかな感触を手で確かめつつ、先ほどは時間が無くてしっかり見ることのできなかった刺繍を確認する。
2本線の間に整然と配されている図案は、細身の葉と小花のようだった。
何の花なのか考えてみたが、銀糸一色で刺されているからか、結局思い出すことができなかった。
後でユールに聞いてみよう。そう思い、そのまま刺繍を指先でゆるく辿っていくと、胸元の国章が目に入る。
貴賓室を出てからずっと、同じ問いが頭を巡っていた。
討伐?私が?魔獣を?殺すの?
魚も肉も食べておいて何を今更、という話かもしれない。
魚は実家でよく捌いていたし、鶏を締めるのだって数えるほどではあるが、手伝ったことがある。
全くわだかまりがないわけではないが、最初は怖かったり、悲しかったそれも、回を重ねるうちに諦めと慣れに変わってしまった。
今回だってたぶん同じだ。
そうは思うのに不安が拭えないのは、あの圧倒的な炎を見たせいだろうか。
ユールの好戦的な顔を思い出した時、ぎぃっと扉が開く音がした。
わかってはいたが、姿を見せたのは今頭に思い浮かべていた当人だった。
「おかえりなさい」
なんとなく言ってしまってから、はたと気が付いた。『お疲れ様です』のほうがよかったのではないだろうか。
心配になって、ユールの表情を確認したが、とても嬉しそうな顔があっただけだった。
「ただいま。遅くなってごめん」
「大して待っていませんよ。あ、この刺繍って何の花かご存じですか?」
忘れないうちにと、手元のローブの刺繍を指で指しながら問いかける。
「ローワンだよ。『私はあなたを守ります』っていう意味。魔導士の心得と戒めが込められてる」
ローワン。
魔除けとして有名な木だ。
赤い実のイメージが強かったので、思いつかなかった。
ユール曰く、花は白色なのだそうだ。
街中でもよく植えられているそうなので、知らずに見ているのかもしれない。
リントはまじまじと図案を見つめた。
『守る』という言葉が、今のリントにはとても重い。
刺繍から目を離さないリントに向かって、ユールが声をかけた。
「リント、これから出かけるけど、その前にひとつ言わせて」
リントが視線を上げると、ユールはいつの間にか自分の正面に立っていた。
真っ直ぐリントの瞳を見つめ、深く頭を下げる。
「ごめん。俺の身勝手な行動のせいで、迷惑をかけた」
「あの、頭を上げてください。先輩に謝られることなんて何もないです」
リントは慌てて声をかける。
「あるよ。少なくとも、今君を悩ませている。討伐の件は、俺が関わっていなければ出なかった話だ。リントが参加する必要はないよ。隊長には俺から言っておく」
言い切るユールに、リントは迷いながらも言葉を返した。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。隊長へはちゃんと自分で返事をしますから」
「けど、魔獣を殺すことは、リントの本意ではないよね?」
『討伐』ではなく、わざわざ強い言葉を使ったのは、ユールの優しさなのだろう。
気持ちはありがたいが、甘えるわけにはいかない。
「それは、私だけではないと思います」
リントが言い返すとは思っていなかったらしい。
ユールは僅かに顔をゆがめたが、リントは気にせず話を続けた。
「『守る』って難しいですね。私、なんとなく、良いイメージしか持っていなかったんですけど、他のものを犠牲にしないと守れない事ってたくさんあるんだな、って今回思い知りました。フォクナー隊長は私を気遣って、はっきりとは口にしませんでしたけど、私の覚悟が足りない事わかっていらしたから、ちゃんと考えろって言ったんだと思います。勝手な解釈ですけど…」
自分なりに頑張って伝えてみたが、自信のなさからだんだん声が小さくなってしまった。
取り繕うように、声を1段明るくする。
「あ、それに、あの魔法陣は純粋に興味があります。使いこなしている先輩もすごく格好よかったです!」
てっきり調子よく返してくると思っていたのに、返事が無い。
見ると、ユールの顔がほんのり赤く色付いていた。
自分ではぽんぽん褒めるくせに、他人に言われるのは慣れていないのだろうか。
ちょっと『かわいい』と思ってしまったのは、内緒にしておく。
このまま黙っていると、こちらまで恥ずかしくなってきそうだったので、リントは言葉を続けた。
「あの、頼りないとは思いますけど、あまり心配しないでください。かけだしでも、魔導士の基礎は学んでいますし、足りない分の覚悟は、これからちゃんと向き合っていけるように頑張りますから」
フォクナー隊長が指摘したように、リントが魔導士を選んだのは、別に高い志があったからではない。
待遇の良さが1番の理由だし、周りから褒められる仕事は、やはり気持ちが良いものだ。
それでも、人の役に立ちたいという思いもまた嘘ではないし、肩書に恥じない自分でいたいとも思っている。
少しは、伝わっただろうか。
一瞬目を伏せた後、再び合わさったユールの目には、もう迷いは見られなかった。
「わかった。余計な事言ってごめん。あと、リントが望むなら、魔法陣の仕組みは今回の件と関係なく教えるよ。だから、本当に、無理だけはしないで」
「はい、ありがとうございます」
「そろそろ行こうか。あまり遅くなると、日が落ちる前に終わらなくなる」
ユールはなぜ討伐に参加したのだろう。
ふと沸いた疑問を聞いてみたいとは思ったが、すっかり切り替えて『壁』へと向かう背中に問いを投げかけることは躊躇われ、結局口にすることはできなかった。