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娼館の歌姫 (8)『運命』

今回、残虐な描写が入ります。

2話に分けようか、随分悩みましたが、きりが良いので1話投稿させて頂きました。

長いお話ですが、お付き合い頂けますと幸いでございます。

 女は力任せにリィネシアの顔を、その長い爪で掻き殴る。咄嗟に首を傾けなんとか眼元は避けるが、幼女の愛らしい頬には四本の深い爪跡が皮膚を抉り刻まれた。  

「ふ、可愛い顔が台無しね?」

「俺は貴様と違って、顔で生きてねぇよ」

 真っ直ぐに女を見据え、リィネシアはそう言い捨てた。ラルフは焦る気持ちで、鎌をもたげた蟲の頭部を抜けない剣で叩き潰す。だがまだ蟲は七匹も残っていた。

「本当に生意気な――――?」

 女は言葉途中で爪についたリィネシアの血を嗅ぎ、怪訝な表情を浮かべる。

「この甘い血の香り……お前、人間(ひと)ではないわね?」

 女がこの問いを発した時、ラルフは残り五匹の蟲と健闘していた。彼を噛み裂こうとする牙を撥ねのけ、抜けない剣で頭部と胴体の間を砕く。一匹倒すだけでも嘔吐感を催す程の据えた臭気に、ラルフはかなり閉口していた。

(甘い――?)そんな中、女がリィネシアの血の匂いを甘いと言った事が、彼にはひっかかる。

「――血の匂いでわかるのか?」

 リィネシアは相変わらず、淡々とした声で女に問うた。だが先程からの出血、その上腕を一本焼き切ったせいで、彼女の顔色は徐々に血の気を失ってきている。

(あれほどの傷、痛みはどれほどか……出血も酷い。せめて少しでも早く手当しないと!――)

 それがラルフの焦燥感をより募らせる。

「魔族の――同胞の香りと、これは神の……そう、お前はそうなのね?」

 謎の言葉を呟き、女はリィネシアの血のついた爪先を口に含んだ。そして唇が捲れ上がるのではないかと思うほど歪ませ、女は狂喜の笑みを浮かべる。

「何が言いたい?」

 女の異様な様子に、さすがのリィネシアも眉を顰めた。蟲と戦うラルフの心にも、何か禍々しいものが形を取ろうとしているのを感じる。

「気が変わった。ならばお前の身を引き裂き、殺すよりも――」

 そう言うと、女は牙を見せ嗤った。

「喰ろうてくれるわ」

「――っ!」眼を見開き息を呑んだ幼女の肩を長い爪で切り裂き、女はその牙を突き立てた。ぞぶりと嫌な音を立て、女はリィネシアの血を啜る。

「やっ――やめろっ! もう、やめてくれっ! これ以上は――!」あまりのおぞましい成り行きに叫んだのは、ラルフの方だった。青ざめた顔をしつつも、リィネシアは無言で気丈に耐えている。

「……同族喰らいか、本気で胸糞悪くなる醜悪さだな。貴様らは」苦々しげに呟くリィネシアの言葉に、女は顔を上げ嗤った。口から血を滴らせるその顔を見て、ラルフは違和感を感じる。

(あっ!?)

 違和感の理由――それは焼け爛れていた女の顔が、完全とは言えないまでも治癒しつつあったからである。

「お前の血肉は私の美しい顔を元に戻してくれそうだわ。少食なのだけど、残さず食べてあげる」

 女は囚われのリィネシアの小指に歯を立てた。

「やめろっ! いや、やめてくれぇっ!」

 見ているラルフの方が悲痛な叫びを上げた時、蟲は残り一匹になっていた。急いた心で最後の敵の胴を砕き、ラルフはリィネシアの元へ駆けつけようとしたが、何かに足を取られ転倒する。次の瞬間、彼は激痛に呻き声を上げつつも、剣を振るう。完全に息の根を止めていなかった蟲が鎌を振い、彼のふくらはぎは肉はごっそりと削ぎ取られてしまっていた。傷口からは裂けた薄桃色の筋肉や、深紅の血がこびりついた骨がその白さをより白く見せる。

「や、やめてくれ……――頼むからやめてくれっ!」

 嘔吐感を堪えるラルフの、振り絞るような制止の声を、女は横目で嗤う。そのまま女の(あぎと)にゆっくり力が込められていくのが、彼には見て取れた。

「うっ――あっ――!!」

 ずっと激痛に耐えていたリィネシアが、とうとう声を上げた。女が骨を砕き小指を噛み切ると、リィネシアの新しい傷口からはまた血が滴り落ちる。

「子供は骨まで軟らかいのね」

 軽快な咀嚼音を立てながら、女は持ち主の前で小指を噛み砕いて見せた。女の喉が動く、細かく砕いたモノを飲み下すために。

「頼む、もうやめてくれっ!」 

 眼を閉じられるものなら閉じたい、耳を塞げるものなら塞ぎたい――そんな凄惨な儀式が繰り広げられる中、ラルフにはただ剣を支えに足を引きずりながら、リィネシア達の方へ向かうしか出来ない。女の残虐な行為をやめるように、哀願し続けるしか出来ない。

(――自分が死なないだけじゃないか……こんな時に、一人の人すら助ける事が出来ないなんて――っ!)情けなさに目頭が熱くなるのを、彼は感じた。



 リィネシアが囚われてから、もう小一時間程、経っている。銀の糸で宙吊りにされ、生かさぬように、殺さぬように細心の注意で女は小さな幼女の肉体を痛ぶり続けた。

 腕を深々と刺し内臓を弄んだ上、肩を裂き血を啜り、小指を噛み切り――途中で気を失うような女性ならまだ幸いだったのではなかろうか。その肉体も精神も少しずつ破壊されゆく苦痛を、少しでも和らげる事が出来ただろう。リィネシアの瞳には、もう輝きが見えない。先程からの失血で意識を失ったのか、時々痙攣する手足がまだ息のある事を証明しているものの、その生を繋ぎ止めているのは髪の毛一筋の生命力であった。

「頼む、もう止めてくれ……代わりに俺を殺せばいい」

 目の前で行われる凄惨な儀式の阻止を哀願し続けるラルフの声も擦れていた。

 最後の一匹になった眷族は倒したが、とてもこの女までは倒せない。しかも、その気になれば再び多数の眷族を呼び出す事も、この女にとっては可能であろう。

 リィネシアもラルフも魔力での戦いは不利だった。

 これが魔族との戦い――――

(圧倒的な力の差に、ただなぶり殺されていくだけなのか? 不死者である自分は死なない。せめて彼女の命だけでも――)

「そうね……残さず食べてあげようと思ったのだけど、もう私お腹が一杯だわ」

 人差し指をすっかり回復した頬にあてる。そうして少し思案にくれ、女は一つの提案をした。

「お前が小鳥を救いたいなら、ここに来てこの子に口づけなさい。そうすれば見逃してあげる」

「そんな事で許してくれるのか?」

「もう飽きた事だし、お前がそこまで言うのなら――その傷ついた足でここまで這うと言うのなら、私にも慈悲の心はあるのよ?」

 女の笑みが、それは虚言だと語っている。だが、ラルフにはその言葉に一縷いちるの望みを賭けるしか無かった。異形の毒に侵された深手は、彼の驚くべき治癒力でも治りが遅い。

 激痛に耐え、這いつくばりながら、ラルフが意識の無い幼女に口づけようとする。女は彼らの背後で薄ら笑い、その爪を伸ばしていた。

「ノーリー・メー・タンゲレ」

 その瞬間――気を失っていたはずの、リィネシアの唇から言葉が紡がれた。言霊により、彼女を捕縛していた銀糸は分断され、女に向って降り注ぐ。

(古代語? そんなものまで網羅しているのか? この人は……なら、なぜ今まで使わなかった?)

 それは古代語と呼ばれる言葉。普通に織り上げるよりも濃縮された言霊の魔力を持つもの。

「ぎぃやぁぁぁぁっ!」

 己を焼く苦痛に叫んだのは女であった。銀糸は途中で姿を変え、無数の銀の針となり、女の皮膚を貫く。

「わしの依巫よりましに、これ以上、汚らわしい手で触れるでないわ。この下級妖魔(ようま)め」

 一瞬で、リィネシアの周りを取り巻く空気が変わる。髪の色は黒い闇を纏い、真紅と漆黒の色違いの瞳――そしてリィネシアとは違う老獪な笑み。深手を負いながらも凛とした姿で立っているのは、先ほどの幼女では無く、美しい16歳の少女であった。

「姫様っ!?」

 だが、今話しているのは彼の知っているリィネシアでは無い気がした。語る口調も大きく変わっている。そして――その魔力の波動は、ラルフの剣にあまりにも類似していた。

「見てられんのう、未熟者が。おかげで眠りから覚めてしまったわい。話は後じゃ、とにかくお主の剣を寄こさぬか」

 そうして『リィネシア』はラルフから受け取った魔剣を抜き、再びラルフに手渡した。彼が剣を握ると、刀身から闇が満ちる。闇は彼を包み、傷を治癒していく。

「お主がいくらうつけ者でも、使えるじゃろう?」

 そんな『リィネシア』の問いかけには答えず、ラルフは女に剣を突き付ける。魔剣はラルフに従う――違和感無く彼に流れ込む剣の魔力で、それが判った。

「今までの礼はさせてもらわないとな……」

 その声に含まれる怒気に魔族の女は怯え、一言も発せず、身動きも出来ないでいる。お前が魔族では?という程の邪悪な空気を纏い、ラルフは声を出す暇も与えず、女を斬り刻んだ。

――人知を超える剣技――いや、それはもう剣技と呼べるものでは無かった。粘土でも斬るように女を頭から真っ二つにすると、切口から闇が侵食していく。胴を斬り、腕や足を斬り――その度に闇は女を屠り、怯えきった女の顔が消え去るまで、彼は剣を振るった。好き放題(なぶ)ってくれた女への怒りのあまり、彼の剣はその速度を増したのかも知れない。

 こうして二人を苦しめた死闘は、嘘のようにあっけない幕引きで終焉を告げた。

「もう、そのくらいで良かろう、このたわけ者が。先にこの娘の傷を治してやらんか。命の火が消えかかっておるぞ」

 好き放題に言い放つ『リィネシア』の声で、ラルフは我に返った。

「あ……でも、どうすればよろしいのでしょう?」

「今のお主なら念じるだけで良かろう? そんな事もわからぬのか? この愚か者めが」

 悪しざまに言い放つ言葉に、ぐっと詰まりつつもラルフは念じる。ただ、この少女の傷を癒したいと――その想いが届いたのか、闇は彼女をも包み、全ての傷を癒していく。それは焼ききった、彼女の失った腕も、女に喰われた小指をも完璧に修復しうる程の魔力。

「あなたはいったい……?」

「わしがお主の『運命』かも知れんのう。だが、本当の『運命』はこの娘自身かも知れぬ。わしが教える事では無い。お主自身で知り、選ぶ事じゃ――わしは疲れた。もうしばらく眠る……」

 そう呟くと、もうすっかり回復していたリィネシアの体はそこに崩れ落ちた。慌てて抱き止めながらラルフは、己と少女の身に起こった怪異について苦悩していた。

(魔剣の魔力の波動、あの闇。そして――この少女の内にいる何か――眠りから目覚めたと言っていた。俺は、この少女は一体何なんだ? どちらかが俺の『運命』で、何を知り、何を選べと言うのだ?)

 そして――

(薄汚い男、未熟者、うつけ者、たわけ者、愚か者……今日は色々言われる日だったな)

 あまり有難くない肩書きばかり増えた事に、思わず溜息をつくラルフであった。



「ラルフ……あんなに必死になって――俺を助けようとして……」

 しばらくして、苦悩するラルフの腕の中で目覚めた十六歳の美しい少女は、真紅と漆黒の色違いの潤んだ瞳で彼を見つめた。

そして、するりとラルフの首に両の腕を回し、唇に口づけしようとする。

「……ちょっと待て」

 だがラルフは、自分と彼女の唇との間を、掌で遮った。

「どうしたの? ラルフ?」

「お前、姫様じゃないだろ――?」

――――しばらくの沈黙の後。

「せっかくじゃから哀れなお主に甘酸っぱい思い出を作ってやろうとの、わしの親切心じゃ。素直に受け取れば良いものを、この青二才めが」

 ふっと鼻で笑いながら、今度こそ本当に『運命』は眠りについた。

「お、大きなお世話だぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 嵐が過ぎ去った後には静けさではなく、ラルフの絶叫が響き渡ったのである。


いつも読んで下さってる方、ありがとうございます。

そして「もっとラルフを情けなくして下さい!」とのご要望がありましたので、ちょっと頑張ってみました。

ただでも情けないこの男をこれ以上どう情けなくしていくか、今後の課題でございます。

悪口のバリエーション(うつけ者、愚か者などなど)を考えるのが、楽しくなってきたのは秘密ですが。

(未熟者同盟の皆さん、いつも色々ご指摘、ご意見ありがとうございます)

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